第34話 カタルシス
「ありゃ!? 順調そうじゃったのに、何で死んだんじゃ?」
白いひげ。白いローブ。白い空間。
もう見慣れてしまった、そして二度と見たくない光景の中で、邪神エントロピアが俺を覗き込んでいた。
俺は仰向けのまま、しばらく天井のない白を見つめる。
それから邪神に言った。
「……いつもこんなだろ」
エントロピアは手のひらを拳でポンと叩いた。
「そういえばそうじゃった」
そんなベタな仕草、漫画でもしねーよ。
俺はゆっくりと身を起こした。
身体はもう痛くない。
血も出ていない。
死んだあとのこの空間では、俺はいつもモブになる。
初対面で邪神に、『現世では特に大したこともなく、かといって極悪人でもない、実にコメントしづらい』と評された、ただの一般人だ。
だが、俺の手の中には、今まで無かったものがある。
――セレスティアの万年筆。
よし……。
「しかしまた、今回も妙な人生じゃったのう」
エントロピアが白いひげを撫でながら、しみじみと言う。
「まさかあの不気味な顔で客商売を始めるとは思わなんだ」
「今は多様性の時代なんだよ」
「そういうものかのう」
エントロピアは、いつものようにどこからともなく分厚い本を取り出した。
また転生特典カタログか何かだろう。
「ところで次の転生なんじゃが」
ぺらり、とページをめくる。
「勇者で戦い方を覚え、賢者で知識を蓄え、猫で商売と発明を成功させた。拾った石が精霊石だの魚が霊魚だの、ちとインチキ臭かったがの」
「失礼なこと言うな。石油だって掘らなきゃただの泥水なんだぞ」
「次はどんなおもしろ……こほん、かっこいい能力を授けてやろうかの」
邪神はチラリと俺を見た。
その目に指をぶっ刺したい衝動を押さえ、ここからどうやって邪神の気を逸らすか考えた。
「ふむ……貴族、貴族とかどうじゃろう。お主の推しであるセレスティアと結婚できるぐらい身分の高い貴族じゃ」
「どうせチビデブ悪徳貴族なんだろ」
「ふは、バレたか」
「昨今はありきたりな設定じゃ見向きもされないぞ。もっと慎重に考えろよ」
エントロピアは「ほう」と感心したように眉を上げた。
「確かに、確かに」
そして本気で考え込み始めた。
ちょろい。
油断しきってる。
まあ、奴にとって俺は、路傍の小石程度の存在なんだろう。
だが、それがいい。
奴が見せた致命的な隙に、俺は手の中の万年筆を握り直した。
音が鳴らないようにキャップを外す。
エントロピアの視線は本に落ちている。
まだ気づいていない。
白い空間の床に、後ろ手で円を描いた。
人ひとりがぎりぎり入れるくらいの大きさ。
滑らかに黒い線が引かれた。
よし。
インクにかすれはない。
遂にこの時がきた。
賢者として積み上げた、召喚術の知識。
『呼ぶのは簡単だが返すのは難しい』
そして――、
『……頼んだ』
あいつとの約束を果たす。
俺は円の内側へ、文字を書く。
――魔王――
円が、淡く光る。
悪魔たちを送り返すのは難しかった。
だけど天国の手前に魔王を呼ぶのは、驚くほど簡単だった。
「どれにしようかのう……やはり次は、もう少し捻りが――」
エントロピアはまだ本を眺めていた。
そのとき、奴に影が落ちた。
エントロピアがきょとんとする。
「なんじゃ? まだ決めとらんぞ」
見上げた。
そこにいたのは、魔王だった。
青い肌。
額から伸びた角。
黄金の瞳。
圧倒的な威厳と魔力を発している。
エントロピアの表情が凍りつく。
「なっ――」
慌てて両手を打ち合わせようとする。
だが、その刹那。
魔王の剣が閃いた。
黒い軌跡が弧を描き、エントロピアの右腕が宙を舞っていた。
「ぎゃっ!?」
切り落とされた腕は、床に落ちる前に白い空間へ溶けるように消えていった。
魔王は剣を振り払い、冷たく言った。
「いつもそうやって権能を使っていたな」
エントロピアは切断面を押さえながら、後ずさる。
「無作法だが、封じさせてもらった」
「な、なんでお前がここにいるんじゃ!?」
俺は万年筆をくるりと回してみせた。
「ペンは剣よりも強し、ってね」
ちょっと臭かったか。
エントロピアが目を剥く。
「呼ぶのは簡単なんだよ。知らないのか?」
「そんなことは聞いとらん!」
俺は魔王の隣に立った。
「俺たちは契約したんだ」
エントロピアを見据える。
「お前のところまで、魔王を連れてくること」
魔王が鼻を鳴らす。
「そして我が――いや、俺がお前を殺す」
エントロピアは顔を引きつらせ、それでもなお笑った。
「はー! バカモノども! 片腕を落としたからと言って、わしを止められると思うなよ!」
左手を構える。
指を鳴らすポーズ。
俺と魔王は同時に身構えた。
そういやこいつ、指パッチンで横綱に変身するんだった……!
エントロピアが、渾身の力で指を鳴らす。
しゅっ……
空振りした。
しゅっ、しゅっ……
「しもた。利き腕じゃないと音が鳴らんのじゃ」
「魔王!」
「人間!」
俺たちは同時に飛びかかった。
魔王の剣が左肩を裂く。
俺の拳が顔面にめり込む。
エントロピアがひっくり返る。
「ちょっ、待つのじゃっ――」
殴る蹴る殴る。
俺は悪鬼羅刹の形相で、邪神を散々殴り回した。
「打つや叩くやの大乱打、これでもか、これでもかと、したたかに打ち据える」
「昔話風に殴るのはやめてくれ!」
じゃあ、童謡風でやるか!
「うんとこしょ、どっこいしょ!」
「グエー!」
はひー、気持ちええ。
拳が痛くなったところで魔王にタッチする。
「よっしゃ! いけ、魔王!」
魔王が剣先で床をひっかきながら、エントロピアに向かっていく。
「やめ、やめるのじゃ!」
「お前が与えてくれた、『不幸属性』。その身で受けるがいい」
ぐさり、とエントロピアの胸に剣が刺さった。
「死ね! 邪神!」
魔王が魔力を込めると、紫の光が波動となって白い空間に広がっていく。
不幸属性……絶対ろくでもない能力だ。
「ふ……ふふ……」
エントロピアがぼろぼろになって崩れていく。
その身体は、端から少しずつ光の粒になって溶けるように消えていく。
「今度は……わしが死ぬ番か……」
口元を歪める。
「実に……おもし……ろ……」
そこで、声は途切れた。
邪神エントロピアは、完全に消えた。
……。
本当に何も無くなった空間で、俺と魔王はしばらく立ち尽くしていた。
先に口を開いたのは、魔王だった。
「よくやってくれた」
俺はじんじんと痛む拳を軽く振り、
「おう。だいぶ待たせたけどな」
「なんの、これしき。俺があそこで何年魔王役をやらされてたか知らないだろ?」
魔王は剣を納めた。
「千年だ」
「やば」
エグ過ぎる!
改めて邪神の邪悪さを認識した。
「不幸属性ってなんなの?」
「俺は元々、不幸の勇者として異世界転生させられたんだ」
「前世はクイズ王だったっけ?」
「……まあ、話せば長い。それよりも――」
ふと、周囲の白い空間が剥がれ始めていることに気づいた。
壁も、床も、天井のない白も、ぺりぺりと剥落していく。
その向こうに見えたのは、真っ暗な、何もない世界だった。
「邪神が死んだからか」
ここは奴のための場所。
主人がいなくなって壊れ始めたんだ。
「俺たちは地獄に落ちるのか?」
俺はそれを否定した。
「いいや、地獄はもっと臭かったよ」
白い世界はみるみる壊れていき、残すところは俺たちが立っている場所だけだ。
おそらく、これはもっと根源的な終わりなんだと思う。
このまま俺たち、消えてなくなるのかもしれない。
しかし、不思議と怖くはなかった。
魔王が、ふっと笑う。
「短い付き合いだが、悪くなかった」
「もっとあんたのことを知りたかったよ」
「もし再会できたら、一杯やろう」
俺も笑った。
「その時は、銀の弾丸を奢るぜ」
暗転。
◯
ぼやけた意識が、ゆっくりと浮上する。
気づけば俺は、公園のベンチに座っていた。
のどかな昼下がり。
少し肌寒い。
スーツ姿の俺は、飲みかけの缶コーヒーを片手に、ぼんやりと子どもたちが遊ぶのを見ていた。
……なんだ、死んでねえじゃん。
じゃあ、夢か?
俺は胸ポケットを探った。
指先に触れた感触を引き抜く。
セレスティアの万年筆。
あった。
俺は息を吸い、試しに呟く。
「【ウィンド】」
つむじ風が舞った。
足元の枯れ葉がふわりと巻き上げられ、くるくると回る。
「ママー! 竜巻!」
「つむじ風よ」
子どもがきゃっきゃと笑いながら追いかけていく。
俺は胸ポケットに万年筆を挿し直すと、冷めた缶コーヒーを一気にあおった。
さて、やることは決まっている。
「探しに行くか、クイズ王」




