第31話 消耗戦の果て
凍りついた悪魔たちが、ぱきぱきと音を立てて崩れていく。
その向こうに、ぽっかりと道が開いていた。
「進め!」
兵士長の怒声で、決死隊が我に返った。
神官たちを中央に据えたまま、一斉に駆け出す。
俺もその中へ戻り、周囲を警戒しながら足を速めた。
王立魔法学園は、もう目の前だ。
しかし悪魔どももそれを分かっているのか、それとも本拠地だから防衛が厚いのか、進むほどにその数を増していく。
そこはよく使っていた道。
通学路だった石畳の裂け目から、不定形の悪魔が染み出してきた。
黒くて、ぶよぶよしている、粘性の怪物が、水っぽい音を鳴らしながら膨らんでいく。
「ここは通さない――ってか?」
あれを剣や槍で対処するのは難しいだろう。
「頭を下げろ!」
俺の指示で一斉に屈む兵士たち。
俺は震天矢を番え、魔力を流し込んだ。
「【ファイア】」
放たれた矢は悪魔に突き刺さるとそのまま呑み込まれ、一瞬光った後に爆発した。
びちゃびちゃと汚い体液が降り注ぐ。
「よし行け!」
そうやって、俺たちは立ち塞がる悪魔どもをなぎ倒しながら強行していく――
そこには、かつて弁当屋があった。
栄養バランスなんか気にしない、ボリュームだけはあるのが人気の理由だった。
今はそこに、人の頭ぐらいある巨大なハエが黒雲のように集っていた。
「槍、構え! 上から来るぞ!」
上空に向けて槍衾が作られ、襲撃に備える。
そこへ、不快な羽音を発しながらハエどもが飛びかかってきた。
ところが――
「なんだ、こいつら!」
兵士が思わず言った。
ハエは自ら槍に突っ込んできて、無抵抗で刺さっていく。
捨て身の攻撃というよりは……
「――刺すな! 薙ぎ払え!」
兵士長がそう言ったのは、ハエの体液がついた槍が急速に腐食し始めたからだった。
今はかなり弱まってしまった聖属性の加護だが、それでも悪魔にとっては脅威だ。
それも武器がなければ使えなくなるだろう、という算段のようだ。
武器破壊が目的か。
虫のくせに考えたな。
「兵士長、漏れたやつは任せます」
「了解した!」
俺は震天矢を放つ。
「【ウィンド】」
弁当屋の方に飛んでいった矢が、ハエの群れの中で炸裂する。
次の瞬間、暴風が生まれた。
砂塵を巻き上げながら、ハエどもの身体をまとめて吹き飛ばす。
「今だ、走れ!」
瓦礫が跳ね、街路の先が一瞬だけきれいに空いた。
決死隊がその隙間へ雪崩れ込む。
神官たちは肩で息をしながらも、必死でついてきていた。
その後も、行く手を阻む悪魔に対して、俺は震天矢を惜しまず使った。
そのたびに兵士たちは足を止め、身をかがめた。
そして次の瞬間には「進め!」の号令で駆け出す。
もはや驚く暇もない。
生き残るために、ただ前へ進むだけだ。
そして。
奇跡みたいな話だが、誰一人欠けることなく――
俺たちは、王立魔法学園に辿り着いた。
◯
敵の気配がぱたりと止んだ。
決死隊は荒れ果てた中庭を突っ切りながら、旧演習棟を目指す。
そして、噴水広場に差しかかった。
見事な彫刻が施されていたそれは、水も止まり、像の腕は折れ、苔と黒い染みに覆われていた。
四年前、何気なく眺めていた景色の変わり果てた姿は、胸に来るものがあった。
――ようこそ、ロスマン君。私が学園長のメルキオール・メギドだ――
学園長と初めて会ったのも、ここだったよな。
「っと……」
俺はそこで、背中の矢筒を揺すった。
軽い。
嫌な予感がして中を覗く。
空だった。
「……マジか」
震天矢は、全部使い切っていた。
最後の一本をいつ撃ったのか、もう思い出せない。
そのくらい必死だったということだろう。
弓と矢筒をその場に捨てる。
小さく息を吐いた、そのときだった。
噴水の向こう。
崩れた校舎の影から、ぬうっと巨大な影が現れた。
人の形をしている。
だが、人ではない。
「巨人……」
誰かの戦慄した声が漏れた。
見上げるほどの巨躯。
光を吸い込むようなその黒い肌の表面に、ドクドクと不気味に脈打つ赤い筋が網の目のように走っている。
まるで皮膚の下にマグマが煮えたぎっているようだ。
巨人は歩くだけで地面を揺らし、兵士たちの戦意をくじいた。
「来るぞ!」
兵士長が剣を抜き放つ。
兵士たちも慌てて構えた。
巨人は、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。
その口元が、にたりと歪む。
次の瞬間、地を蹴った。
「回避っ――」
言い終わる前に、その巨体が噴水を飛び越えていた。
兵士長が咄嗟に横っ飛びする。
そこへ凄まじい衝撃。
「ぐぁっ!」
兵士長の身体が石畳の上を滑った。
「ぐっ……!」
今度はそこへ長い腕が振り下ろされる。
こいつ、兵士長をッ――
俺は瞬間的に速度を上げると、巨人の腕をかいくぐり、ギリギリのところで兵士長を掴み上げた。
そのまま転がるようにして、瓦礫の陰に押し込んだ。
「――さ、サン殿! かたじけない!」
「大丈夫ですか?」
「いえ、はい」
俺は尻もちをつく兵士長を立たせた。
その間、巨人は叩き潰したはずの兵士長がいないので、きょろきょろと周囲を見回していた。
兵士のことなど眼中にないようだ。
「俺がやりましょう」
「……勝てるのですか?」
どうだろうな。
万全の状態ならまだしも、今は震天矢もないし、魔力もそんなに残っていない。
俺の最大火力である、四属性複合魔法はもう使えないだろう。
だけど、俺が対処しないと人が死ぬ。
「俺たちの目的は悪魔を倒すことじゃない。地獄の源泉を封印することです。意味は分かりますね」
兵士長は苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「厳しいのですな……」
「皆がここを脱出できたら後を追いますよ」
そう言って巨人の前に出ようとしたとき、ルークが一歩踏み出した。
「やい、このでくの坊! 服ぐらい着たらどうだ変態め!」
あいつ、何してるんだ。
巨人はルークに蹴りを放った。
「し――ぬかと思った……」
咄嗟に屈んだことで、蹴りは空振りに終わる。
ルークは急いで立ち上がると、槍を捨て、走り出した。
なんだこれ。
追いかけてくる巨人の足元を、ルークがネズミみたいに走り回って躱している。
「兵士長!」
ルークが叫んだ。
「何だ!」
「こいつは俺が引き受けます! それが正解でしょ!」
兵士長が眉をひそめる。
「な、」
「行って! 長くは、もたない!」
逡巡する兵士長。
だが、次の瞬間には戦士の目に戻っていた。
「ここはルークに任せます。サン殿はついてきてください」
「いいんですか?」
「あなたは、神官団を守ってください」
兵士長は号令を飛ばす。
「総員、離脱しろ!」
仲間を置いていくことになった決死隊は、様々な思いを抱えながら走り出した。
ルーク、お前はいいやつだったよ……。
『おおお』
俺たちが離れていくのに気づいた巨人が向き直る。
「よそ見すんじゃねえ!!」
鈎縄が肩に突き刺さった。
ルークが縄を引っ張りながら言った。
「追いかけたきゃあ、俺を倒してからにしな!」
『おお、おおお』
巨人が大ぶりに腕を振り上げた。
走り去る俺たちが目撃できたのは、それが最後だった。
◯
そして、やっと。
俺たちは目的地に到着した。
――旧演習棟、跡地――
そこにはもう、建物はなかった。
代わりに、すり鉢状の巨大な穴が口を開けていた。
四年前、
俺が自爆して穿った、大穴だ。
その縁に立つ。
生暖かい空気が、底の方から吹き上がってきた。
まるで地の底そのものが、息をしているようだった。




