第28話 UMAMI
気がつくと、俺は作戦会議に参加させられていた。
美しいステンドグラスのある大聖堂、そこに置かれた長机の上に、このイルストリスと王都を含む周辺地図が広げられている。
位置関係としては、ソシアリスから王都まで一直線といった感じだな。
そして机を囲むのは、各方面の指揮官たち、神官たち、文官たち、それにセレスティア。
あとなぜか、そのセレスティアの隣に俺がいる。
さっきまで教会の一室で、若返った侍女長を囲んで大騒ぎしていたはずだ。
それがどうしてこうなった。
「では、改めて現状を確認する」
セレスティアが机の上に手を置き、会議を始めた。
「サン殿の加勢により、西側の防衛線は持ち直した。しかし、敵の出現は留まるところを知らない」
セレスティアが地図の一点を指した。
王都だ。
「四年前、突如として悪魔が溢れ出した」
静かだが、力強く威厳のある声だった。
「当時、王都周辺の街や村は次々と呑まれた。私たちは兵をまとめ、かろうじて悪魔どもを押し返し、このイルストリスまで戦線を引き上げた。だが――」
セレスティアは拳を机に叩きつけた。
「それが破られた! 悪魔どもは小賢しくも我らの背後を襲い、西側の防衛は崩れかけた!」
セレスティアの視線が俺に移る。
皆の視線も俺に集中する。
「サン殿の協力によって、すんでのところで防ぐことは出来た。サン殿、改めて礼を言う。今もなおイルストリスを守りきれているのは、貴殿のお陰だ」
「――すっ」
小さく頭を下げる。
「とは言え。東側、王都からの敵の圧力は日に日に増している。ここいらが潮時かも知れん」
腕を組んでいた兵士長が発言する。
「まさか、イルストリスを放棄するのですか? 守るだけで精一杯でしたが、それでも四年、持ちこたえたのです。兵も民も防衛を心の拠り所にしているのです。陛下はそれを知っているはず」
その声色には非難めいたものが込められていたが、セレスティアは咎めなかった。
「兵士長よ。その逆だ」
「……というと」
「時間は奴らの味方だ。再集結の暇など与えず、このまま王都まで攻め上げ、悪魔どもを封じ込めるのだ」
「おお」
男たちが色めき立つ。
「神官長、結界石は用意できたか?」
そう言うと、白いローブ姿のお爺さんが椅子から立ち上がった。
「ははっ。近頃、ソシアリスで良質なものが産出されたとか。最高品質のものを準備しております」
ふむ。
ソシアリスで産出された結界石か。
何か聞き覚えがあるが、気のせいだろう。
「王都の悪魔を封印するのに十分、という意味だな?」
「まさしく」
そこでセレスティアが、俺の方を見た。
「サン殿」
「はい?」
「まず確認したい。山精酒は、まだあるのか?」
「ないです」
「そうか……」
セレスティアが露骨に落胆した。
事情を知らない指揮官や文官たちは、「山精酒ってなんだ」と耳打ちし合っていた。
「作ることはできぬのか?」
「俺には無理です。あれは父が作ったものでして」
セレスティアが眉を寄せる。
「父君なら作れるのか?」
「不可能ではないと思いますが、私からはなんとも」
「なぜだ」
俺は肩をすくめた。
山精酒――マタタビ酒は、父さんが一週間かけて作ったものだ。
マタタビというのは、ケットシーにとって薬でもあり、毒でもある。
作製にあたっては鉄の精神力を要求されるため、村の中でも真の男しか作れないらしい。
「作るのがとても難しい上に、急いでも一週間はかかると思います。それに――」
以前、父が、
『マタタビ嫌いの母さんに怒られたにゃ。もうマタタビ酒は作れないにゃ』
と言っていたので、無理だろうなぁ。
「それに――夫婦関係に亀裂が入りかねないので」
「そ、そうか。難しいというのは理解した」
何とも言えない微妙な空気が流れたが、セレスティアはすぐに表情を引き締め、再び俺を正面から見据えた。
「では、他に使えるものはないのか」
「他に、ですか」
俺は自分の荷物の中身を思い返す。
山精酒は、渡した。
震天矢は、もう残り一本しかない。バカスカ使ったからな。
滑空布は、使いこなせるのは俺だけだろう。
あ、そういえば。
「鮭節ならあります」
「シャケブシとはなんだ?」
俺は自分のリュックから現物を取り出す。
見た目はまっ黒焦げの木片みたいな感じだが、鼻を近づけると燻製の良い香りが漂ってくる。
「これが鮭節です。削って煮ると、いいお出汁が出るんですよ」
「この塊がか」
「試しにどうですか? 俺の自信作なんですが、まだ一つも売れないんです」
この鮭節はダリアとベルナルドの方でも持て余しているようなので、俺から営業を掛けてみた。
興味を持ってもらうには、試食が一番いいよな。
セレスティアは短く考え込み、すぐに決断した。
「せっかくだ。サン殿がそう言うなら、厨房に頼んでみよう」
そう言って侍女を呼び、鮭節を受け取らせた。
よし。
無事に鮭節は採用された。
俺謹製の旨味爆弾に驚愕するのだ異世界人たちよ。
「兵士長、戦況を」
セレスティアが促すと、兵士長は一歩前に出た。
「はっ。サン殿の加勢により、敵の二面作戦は失敗に終わりました。現在は西側の残党狩りをしており、終わり次第、各都市より物資と援軍が届く予定です」
セレスティアは机に肘をつき、静かにうなずいた。
「なるほど。後方の安全が確保され次第、我らも動くことができるな」
そう言って立ち上がると、卓を囲む面々を見渡した。
「これより本作戦を『王都奪還作戦』と称する。我が剣の届く限り、悪魔どもを根絶やしにする!」
「異存なし!」
「応ッ!」
「王都を取り戻せ!」
熱を孕んだ声が大聖堂に響く。
四年越しの反抗。
その号令を、誰もが待ち望んでいたのだ。
「では、各員準備に移れ。解散!」
◯
会議が終わった途端、中も外も、まるで巣をつついたように慌ただしくなった。
指揮官たちは早足で持ち場へ戻り、文官たちは羊皮紙の束を抱えて走り回る。
神官たちは悪魔封印の打ち合わせを始め、兵士たちは武具の点検や補給、部隊の再編に追われていた。
さっきまで一つの卓を囲んでいた面々が、今はそれぞれの役目のために散っていく。
「なんかすごいことになってきたな……」
俺は教会の入り口に立ち、他人事のようにその光景を眺めていた。
「サン殿、こちらへ」
後ろから声をかけられ、振り向く。
さっきセレスティアのそばに控えていた侍女の人だった。
「はい?」
「鮭節の使い方が分からぬと、厨房の者たちが困っております」
そりゃそうか。
いきなり鮭節を渡されて「スープが出ます」なんて言われても困るよな。
せっかくの鮭節をめちゃくちゃされる前に、使い方を教えなければならない。
「分かりました」
俺は侍女に案内され、教会の奥にある厨房へ向かった。
中に入ると、そこはすでに戦場みたいな熱気があった。
大鍋がいくつも火にかけられ、料理人が忙しそうに走り回っている。
その真ん中で、俺の鮭節を囲んで難しい顔をする集団がいた。
「この塊をどうしろと……」
うん、まあ、そうなるよな。
「すみません、俺がやります」
俺が声をかけると、料理人たちが一斉にこちらを見た。
「これを持ってきた方ですか」
「はい」
「これは本当に、食べ物ですか? 包丁が入りませんよ」
「削って使うんですよ」
俺はその辺にあった小刀を手に取ると、鮭節の表面を薄く削っていく。
硬い。
だが、そのぶん削れた薄片は軽く、ふわりと丸まって落ちた。
同時に、燻した鮭の香りが立ち上る。
「おお……」
料理人の一人が、思わずといった様子で声を漏らした。
「いい匂いでしょう」
「なんというか、食欲を掻き立てる匂いですな」
次に、湯を用意してもらった。
「ぐらぐら沸かしすぎると香りが飛ぶので、このくらいで」
釜の前に立った俺は、薪を動かして火の勢いを少し弱める。
それから、小皿に集めておいた削り節を湯の中に落とす。
すると厨房に、肉や野菜とは違う薫香が、じわりと広がっていく。
透明だった湯は、ほんのりと黄金色を帯び始めた。
「……美しい色だ」
俺は内心でにやりとした。
やはり人間の料理人には分かるようだな。
ケットシー村の連中は鮭節の味にしか興味がないが、この香り、この色も鮭節の魅力なのだ。
頃合いを見て火から下ろし、丁寧に漉す。
澄んだ出汁が器に落ちるたび、あの何とも言えない郷愁を誘うような香りが立ちのぼった。
「これが出汁です」
「出汁?」
「スープとは違うのですか?」
俺は小皿に出汁を入れて差し出した。
「飲めば分かります」
料理人は戸惑いながら、皿に口を付けた。
そして口に含んで味わう。
「……興味深い」
「味が薄いな」
「こ、これは……!」
反応は様々だった。
俺は味が薄いと言った料理人に、塩を一つまみ加えた出汁を渡した。
「これなら気に入ると思いますよ」
「どれどれ……――!」
目を見開いてガクガクと震えだした。
炸裂したようだな、旨味の爆弾が。
「鮭節の調理方法についてはこれで終わりです。問題なさそうですか?」
「ええ。ありがとうございました。大変素晴らしい食材ですね。すぐに陛下にお出しします」
料理人が女王に出すための食器などを整えている間、漉し器に残った出し殻が目に入った。
これを捨てるなんてとんでもない。
俺は厨房を適当に漁り、醤油とご飯と箸を見つけた。
すげえ、なんであるんだ?
ご飯に出し殻を乗せ、醤油をほんの少し垂らす。
軽くかき混ぜ、食べようとしたとき、背後から遠慮がちな声がした。
「あの……」
振り向くと、若い兵士が立っていた。
向こうは俺を見て、ぱっと顔を明るくした。
「あなたは……!」
なんだ?
「その節は助けていただき、ありがとうございました! 自分、第三防衛隊所属のルークと申します!」
助けて――ああ、城壁で悪魔に襲われていた兵士だ。
「俺はサンです。よろしく頼みます」
「こちらこそです!」
ルークは慌てて背筋を伸ばして、左胸に右手を置いた。
「それで、どうしました?」
「いえ、その……補給の合間に何か腹に入れられないかと思って来たのですが、忙しそうだったので」
そう言いながら、彼の視線は俺の手元の猫まんまに吸い寄せられている。
俺は少し考えてから、その茶碗を差し出した。
「どぞ」
「えっ」
「これから陛下に料理を出してくるので、代わりにどうぞ」
ルークは目を丸くした。
「い、いいんですか?」
「こんなもんで良ければ」
差し出すと、彼は恐縮しながらも両手で受け取った。
「ありがとうございます!」
よほど腹が減っていたのだろう。
ルークは箸を手にとって一気に掻き込んだ。
「うめっ……うめっ……」
その反応に、俺はちょっと満足する。
うんうん、分かるぞ。
腹ペコのときの猫まんまは最高だよな。
だが、バター醤油猫まんまを、君は知らない。
今度教えてやろう。
マヨとか味噌漬け卵黄もあるぞ。
「じゃあ俺はこれを届けてくるから、堪能してくれ」
丁度、鮭節スープを乗せたワゴンが用意できたのが目に入った。
俺はルークの肩を叩いて厨房を後にした。
背後から「本当にうまい……」という感動した声が聞こえてきた。
◯
ワゴンに出汁の入った銀のポットを乗せ、廊下を進む。
ルームサービスみたいだな。
侍女に案内されて向かった先は、大聖堂の奥にある控えの間だった。
中にはセレスティアが一人、地図と書類を前に腕を組んで座っている。
「失礼します。鮭節のスープをお持ちしました」
侍女がそう告げると、セレスティアは顔を上げた。
「来たか」
お付きの人たちがポットからお玉で出汁をスープ皿に注ぐ。
「ほう……香りは悪くないな。和む」
そう言ってスプーンを手に取り、ひとすくいすると、出汁を口に運んだ。
ひと口。
ふた口。
「……これはいい。疲れた身に染みる。今後も定期的に口にしたい」
そこまで言われると、作った甲斐がある。
「ありがとうございます」
俺が頭を下げると、セレスティアはスプーンを置いてこちらを見た。
「サン殿」
「はい?」
「そなたは本当に、面白い」
褒められたのか?
まあ悪い気がしない。
「それでは、失礼します」
用を終え、部屋を辞する。
扉が閉まると、廊下はひっそりとしていた。
厨房や広場の喧騒が遠くに聞こえる中、石造りの回廊にはひんやりとした空気が流れている。
その先に、一人の女性が立っていた。
「サン殿」
侍女長のストラだった。
今やすっかり若返ってしまって、落ち着いた物腰や上品な雰囲気はそのままだが、見た目はまるで別人のようだ。
「もうお体は大丈夫ですか?」
「ええ、おかげさまで。この通りです」
ストラは柔らかく微笑み、優雅に一礼した。
「ちょうど良かった。尋ねたいことがありましたの」
「なんです?」
俺が問い返すと、ストラは少しためらいがちに言葉を続けた。
「……サン殿は商業ギルドから来られたのですよね?」
「ええ。ギルドから派遣されてきました」
「でしたら、任務を果たされた今、そちらに戻られてしまうのですか?」
どうやら彼女は、俺がこの地を離れてしまうのを気にしているらしい。
そもそも俺は完全に第三者で、兵士でもなんでもない商人なんだよな。
ここに留まる理由なんてないんだ。
あるとするなら、俺の個人的な理由――
「いえ、戻りませんよ」
「え?」
「まだ、やることがあるので」
俺は短く答えた。
「女王陛下を助けると決めました」
ストラはしばらく俺を見つめていたが、やがて小さく頷いた。
「そうですか。それは陛下もお喜びになります」
そうだな。
今は猫の手も借りたいほど忙しいしな。
だが次の瞬間、ストラは楽しげな声色で言った。
「ところで」
「なんでしょう?」
「あなたのお顔を見せていただけませんか?」
嫌な予感がした。
「え? ……なんでです?」
「兵たちの間で噂になっておりますの。素顔を見て悪魔呼ばわりしてしまった、と」
それって、教会の前に立ってた二人だろ。
あいつら、言いふらしてんのか。
「見ないほうがいいと思いますよ」
「ぜひ」
「うなされますよ」
「ぜひ」
この人には逆らえない圧があるな。
俺は観念して、フードを少し下げた。
ついでにゴーグルも外す。
ストラはまじまじと俺の顔を見つめた。
俺は「ほらやっぱり」と言うために身構えていた。
しかし、返ってきたのは予想外の言葉だった。
「……あら」
ストラは目を瞬かせ、それから口元に手を当てた。
「最初は驚きましたけれど」
「でしょうね」
「見ているうちに、なんだか癖になりますね」
「!?」
「独特の世界観があります」
「そんなこと初めて言われました」
「ええ。芸術的感性をくすぐられると申しますか。一般には理解されにくいかもしれませんが、私は嫌いではありません」
それ、褒めてるのか?
いやまて。
なんか変だぞ。
「エモーショナルで弾けるようなパッションを感じられます」
それキャッツの感想だろ!
「…………そうですか」
危うくツッコミが口から出かけたが、なんとか飲み込んだ。
異世界で通じるわけがない。
「意外と愛嬌がありますよ。自信を持ってくださいな」
そう言われても、俺としては複雑である。
けれど、少なくとも彼女は俺の顔を見て怯えたりはしなかった。
それだけでも、少し肩の力が抜けた気がした。




