第26話 異形のクリーチャー
俺は城壁から飛び降りると、街の中心に向かって走り出した。
「待て!」
若い兵士に呼び止められる。
「加勢、感謝する!」
振り返らず、拳を振り上げて返事をしておく。
◯
俺は人の気配を辿っていった。
兵士が集まる場所を通り。
避難民が押し込められている場所を覗き。
炊き出しの煙を眺め。
負傷者が運び込まれている場所を見つける。
そこは大きな教会の前だった。
尖塔を持つ、街でもひときわ大きな建物だ。
広場には負傷兵が寝かされ、壁際には避難民らしい女や子どもたちが身を寄せ合っている。
教会の入り口近くでは、修道服姿の女たちが湯や布を運び、血まみれの兵士に薬草を当てていた。
ここが病院としての役割を担っているなら、負傷したという女王もいるかもしれない。
もしくは、身分の高い人がいれば女王に取り次いでくれるかもしれない。
俺は正面から教会へ向かった。
入り口には槍を持った兵士が二人立っている。
「待て」
片方の兵士が槍の石突きを鳴らした。
「ここから先は関係者以外立入禁止だ」
案の定止められた俺は、懐からダリアの紹介状とベルナルドの通行証を取り出した。
「ソシアリス商業ギルドからの届け物です」
兵士は書状を受け取ると、怪訝そうに目を細めた。
もう一人も横から覗き込む。
「商業ギルド……?」
「物資の補給か?」
「いえ、女王陛下宛てです。どなたか側近の方に取次をお願いします」
二人は顔を見合わせた。
「顔を見せろ」
「え?」
「そのゴーグルを取れ。姿を隠したまま信用できるわけがない」
うむむ、まあそうなるよな。
正直、見せたくはない。
俺の不気味な素顔を見せたところで、話が早くなるとも思えない。
だがしかし、拒んだところで余計怪しまれるだけだ。
「実は魔王の呪いで――」
「いいから外せ」
兵士はぴしゃりと言った。
言い訳もさせてくれないのか。
俺は小さく息を吐き、ゴーグルに手をかけた。
それから耳のあたりを覆っていた包帯を少し緩め、フードごと上にズラした。
兵士たちの視線が、俺の顔に集まった。
「うわっ」
片方が露骨にのけぞった。
もう片方も、頬を引きつらせて後ずさる。
ですよねー。
俺の顔は、あまりにも不自然だった。
ケットシーという愛らしい猫の種族に転生したというのに、邪神の悪質な悪戯によって、人面猫という妖怪に変えられてしまった。
額から頬、顎にかけて、人間の皮膚と猫の毛皮が全く馴染まずに合成されている。
鼻筋は人間らしくリアルに高く、唇は無駄に血色が良い。
毛皮から『毛穴の開いた人間の肌』が見え隠れしている様は、それだけで生理的な嫌悪感を駆り立てる。
何より酷いのは目と口だ。
猫特有のスリット状の瞳孔ではなく、白目がはっきりと存在する。
濡れた人間の眼球。
それが何をするにもぎょろぎょろと動いてしまう。
喋るたびに、猫の小さな顎ではなく『人間の口元』が軟体動物のように歪み、歯並びのいい白い歯がちらちら覗いていると、気持ち悪いを通り越して怖いぐらいだ。
はー……。
猫と人間が混ざったキャラクター。
いくらでも可愛くできる組み合わせでありながら、出来上がったのは毛むくじゃらの変態である。
「ひぇっ! 悪魔か!?」
槍を構える兵士の手が、見たこともない怪異を前にしてカタカタと震え始めている。
「違います。人間です。これは魔王にかけられた呪いで――」
「嘘をつけ!」
「俺のことより配達が――」
「近寄るな! だれか! 悪魔が出たぞおおお!!」
兵士の絶叫は、広場に響き渡った。
休んでいた兵士が振り向き、炊き出しの鍋を見張っていた兵士が槍を掴み、入り口の奥からもばたばたと足音が近づいてくる。
まずい。
俺は反射的に踵を返し、その場から一気に駆け出した。
背後で兵士たちの怒号が重なる。
「逃がすな!」
俺は避難民のいない細い路地へ滑り込んだ。
積まれた木箱の上を飛び跳ねて民家の屋根の上まで駆け上がる。
「くそっ、どこへ行った!?」
「探せ!」
その声をやり過ごしながら、血眼になった一団が通り過ぎるのを待つ。
「……正面突破は無理か」
こうなることは分かっていたが、若干凹む。
ケットシー村のみんなは、こんな俺にも全く動じることなく、普通に接してくれていたのに。
だけどやっぱり外の世界における俺の顔面は、兵士を震え上がらせる程のクリーチャーなのだと再認識させられた。
「さて……」
いつまでも化け物扱いされたショックに浸っている暇はない。
こうなったら、直接探るしかないか。
俺は耳に手を当て、キャッツイヤーを全開にした。
祈りの声。
兵士の怒号。
周囲の音が、一気に流れ込んできた。
その中から、必要なものだけを拾い上げる。
――怪しい……やつを……――
――教会……警戒……ろ……――
――上に……近づ……るな――
……上?
俺はここからでも見える教会の尖塔を見上げた。
この街で一番上はあそこだが。
俺は目に手をかざし、キャッツアイを全開にした。
廊下の窓から兵士が慌ただしく走り回っている姿が見える。
灯りも多い。
あんな高くて狭いところ、賑わう場所でもないと思うが。
最後に、キャッツノーズ。
鼻先を向けると、なんとなく分かってくる。
血の臭い。
薬草の臭い。
それに混じって、上等な香油の臭いがする。
こんなときに贅沢だな。
あそこに誰かいるとするなら、戦地なのに豪奢に振る舞う悪趣味な聖職者……。
もしくは、この国で最も尊敬される誰かさんだな。
「見に行くか」
俺は変装をつけ直してからそっと顔を出し、教会の外壁を見上げた。
正面は兵が多く、裏口もさっきの騒ぎで警戒されている。
だが、尖塔の側面は高すぎるせいか人の目が薄い。
俺は屋根から飛び降りると、陰から陰へと移動し、教会から突き出た小屋によじ登った。
ここは炊事場みたいだな。
石の煙突に足をかけ、ところどころにある装飾の出っ張りや細い窓枠を掴みながらするすると登っていく。
途中、下から兵士の声が聞こえた。
「……今、何か動かなかったか?」
「鳥じゃないか?」
俺はそのままさらに上へ登る。
尖塔に近づくにつれ、地上の喧騒が遠のいていく。
代わりに、上階から漏れる灯りと、人の気配がはっきりしてきた。
結構な人数がいる。
鎧のこすれる音もする。
薬の臭いもする。
俺は尖塔の窓に手をかけ、音を立てないように慎重に押し開けた。
そして、影のように室内へ滑り込む。
「誰だ!」
鋭い声が飛んだ。
俺はとっさに顔を上げた。
そこにいたのは、白銀の鎧を身に着けた、あのセレスティアだった。
美しかった金髪を短く切り、戦場のためか少し汚れているが、凛とした雰囲気がある。
そして、怪我なんてしてない無事な姿で、こちらを睨んでいる。
「……え?」
一瞬、頭が真っ白になった。
じゃあ、怪我をしたっていうのは――
視線をずらすと、部屋の奥のベッドに、一人の女が横たわっていた。
年配の女性だ。
顔色は悪く、胸元には血の滲んだ包帯。
周囲には医者らしき男たちと、侍女。
セレスティアはその女性を守るように身構え、全身に緊張を漲らせていた。
その姿は、俺の知っている『控えめで可愛い姫』とはまるで違う。
面影がある。
でも、もう別人みたいだった。
強くなった。
いや、そうあろうとしているように見えた。
見惚れてしまった。
だがそんな場合じゃない。
「待ってくれ。怪しい者じゃない」
俺は両手を軽く上げた。
その間に部屋の扉が勢いよく開いて、外に待機していた護衛たちがガチャガチャと音を立てて入ってくる。
「俺はソシアリスの商業ギルドから遣わされた配達人だ。女王陛下に届けるものがあって、ここまで来たんだ」
セレスティアの目が大きく開かれる。
「私に?」
俺は剣を抜いた護衛たちに取り囲まれた。
「ギルドマスターの書状と正式な通行証も持っています」
そう言ってゆっくり懐に手を入れ、二通の書類を取り出した。
「正面から来ればいいものを、なぜ窓から入る」
「一刻を争う状況だと聞いて省略しました」
セレスティアは護衛に目配せし、書状を受け取らせた。
その間も、視線は俺から外さない。
「ほう? どういう状況だと?」
「陛下が怪我をされたとか。私は治療薬をお持ちしました」
「治療薬?」
セレスティアが聞き返したので、俺は売り文句を唱えた。
「"飲めばどんな怪我も治り、体の底から力が溢れて元気になる"と言われる山精酒です」
部屋の空気が一瞬だけ妙になった。
だがセレスティアは姿勢を崩さなかった。
「なんだそれは。聞いたこともない」
「お見せしましょう」
俺はそう言って体に巻き付けていた包みから山精酒の瓶を取り出す。
瓶は俺から護衛に渡り、さらにセレスティアの手に収まった。
「それは陛下のために、といって持ってきたものです。もし他に重傷の方がいるなら、まずはその方に使って効果をお見せすることもできます」
俺は目線で、ベッドに横たわる女性を示した。
すると、セレスティアのそばにいた侍女が険しい顔をして止めた。
「お待ちください、陛下。詐欺師まがいの話に耳を傾けてはいけません」
その言葉に続いて、医者らしき男が言った。
「侍女長様は極めて危険な時期におられます。そのような得体の知れぬものを信じてはいけません」
セレスティアの視線が、ベッドで浅い呼吸をする女性に向く。
「……ストラは、私にとって母のような人だ」
苦しげな声だった。
彼女は手にしていた瓶を、寝台脇の小卓へ置いた。
「そんなものを、試すことはできない」
やっぱり、そうなるか。
さて、ここからどう説得したものか。




