第25話 震天矢
コルダータを出てしばらくのあいだは、街道にもまだ人の気配が残っていた。
轍は新しく、馬の蹄の跡もそこかしこにある。
遠くには、避難の途中なのか、荷をまとめて移動する人影も見えた。
イルストリスに近づくにつれ、それも無くなっていく。
踏み固められただけの街道は荒れていき、乾燥した砂埃が立ち上がる。
雨で土が流れ出して通れないところもあった。
やがて、手入れの止まった畑や、打ち捨てられたような小屋が目につくようになる。
さらに進むと、道端に壊れた荷車が一台、また一台と増えていった。
横転し、車輪は外れ、布切れだけが風に揺れている。
崩れた石垣の向こうに人の気配を感じたので見に行くと、焼け焦げた案山子がカラスについばまれているだけだった。
風に乗ってかすかに鉄臭さが流れてくる。
ここまで来ると、もう前線が近いのだと分かった。
俺は速度を落とさず、街道をひたすら駆けた。
湧き上がる体力と、風魔法によるアシストで疲れは感じない。
精々、有酸素運動といったところだ。
そして、イルストリスまでの道のりも、あと少しといった頃。
前方の林から、黒いものがふわりと風船のように浮き上がって、街道を塞ぐように止まった。
最初は煤の塊かと思った。
だがそれは、痩せさらばえた老婆のような姿をしていた。
皮膚は干からびた木の皮みたいに皺だらけで、長い鼻と尖った顎が不気味に突き出ている。
背中には虫のような羽が生えていて、それを細かく震わせながら宙に浮いていた。
ハグ。
老婆の姿をした、下級悪魔の一種だ。
一匹だけじゃない。
二匹、三匹……十匹以上。
林の陰から、ぶんぶんと羽音を立てながら群れで湧いてくる。
うっとうしいな、待ち伏せか。
こいつら、こうやって通りがかる人間を襲っているのか。
割れやすい山精酒も持ってることだし、切った貼ったは避けたいが――
「ちょうどいい」
俺は足を止めて弓を取った。
矢筒から一本抜く。
先端には、穴を開けた精霊石を括り付けている。
震天矢――数が多いし、範囲が広い風属性でいくか。
俺は弓を引き絞り、ハグの群れに狙いを定める。
「【ウィンド】」
放った矢は、ハグたちの真ん中へ飛んだ。
轟ッ、と空気が爆ぜた。
暴風が渦を巻き、蚊柱みたいに群れていたハグたちをまとめて吹き飛ばす。
爆心地にいたやつは、その場で細切れになって散った。
少し離れていた個体も、羽をもがれ、手足を千切られ、枯れ葉みたいにばらばらと落ちていく。
よし、実戦でも通用する。
威力は十分だ。
俺は弓を背負い直し、ハグの残骸を蹴散らしながら走り出した。
◯
丘を登り、崖っぷちに出たところで、イルストリスを見下ろすことが出来た。
王都に最も近い街。
今や人々が『王都』と呼ぶ、人類の防波堤。
遠目にも、その異様さは見て取れた。
城壁はあちこちが補強され、木材や土のうが積み上げられている。
見張り台には兵士がぎっしり詰めかけ、槍が林立している。
城門は固く閉ざされ、その前には即席の防柵まで築かれている。
だが、目を引いたのは街そのものではない。
イルストリスの外周を、黒い染みのように悪魔の群れが取り囲んでいた。
城壁に張り付いて登ろうとする悪魔に、上から石を落とす兵士。
皮膜のような翼で飛び越えようとして、【ファイアランス】で撃墜される悪魔。
悪魔の持つ蛇のような尾が、槍を振るう兵士の脚に絡みついている。
俺が到着したときには、すでに防衛戦は佳境を迎えているようだった。
正午の光に照らされた戦場は、どこを見ても血と砂塵に塗れている。
城壁の一角はすでに悪魔の乱入を許しているらしく、防衛線が崩れかけて火の手が上がっていた。
「門まで行く道がないな……」
俺がどうやって中に入るか考えていると、どこからか、角笛の音が響いた。
低く、長く、腹に響く抑揚のない音。
悪魔が正門のある城壁の前に集結し、一斉に前へ出る。
兵士たちの怒号が飛び交い、魔法の光が弾ける。
どうやら総力戦が始まるらしい。
「配達より、助太刀が先か」
俺は弓を取った。
矢筒から震天矢を一本。
さらにもう一本。
そしてもう一本。
同時に三本を番える。
狙うのは、猛攻を掛けている悪魔の背後だ。
「三連【ファイア】!」
放たれた矢は、無防備な悪魔の頭上で炸裂した。
どん、どん、どんっ!
三連続の爆発が、戦場を揺らした。
爆炎と衝撃で悪魔たちはまとめて宙へ跳ね上がり、隊列が崩れた。
前列にいた図体のでかい悪魔は、突如崩壊した後衛に気を取られ、たたらを踏んでしまう。
城壁へ集中していた流れが、そこで完全に断ち切られた。
「――今だ、押し返せ!」
震天矢の爆発を見た兵士たちが呆けていたのは一瞬だった。
バラバラに弾け飛んだ悪魔の死体を見て、チャンスと見たのだろう。
一気に盛り返して前線を押し上げていく。
よし、上々だな。
風属性を使うか悩んだが、火属性で良かった。
「反撃の狼煙は派手な方がいいからな」
次に俺は、リュックから、綺麗に折りたたんだ厚手の布を取り出した。
リュックの中身はほとんどこれで、広げると一畳ぐらいはある。
四隅に鳩目があるので、紐を通すことができる。
凧作りの延長で試作した、簡易滑空布だ。
本当はもっと安全な場所で試したかったが、今はそんなことを言っていられない。
「ぶっつけ本番だけど、死にはしないだろ。たぶん」
俺は布を抱え、崖から飛び降りた。
胃がふわっと浮く感覚。
普通なら悲鳴の一つも上げるところだが、ケットシーになってから落下には滅法強い。
空中で布を広げ、紐を引く。
同時に、下から上方へ風を流し込んだ。
「【ウィンド】」
ばさっ、と布が膨らみ、落下速度が一気に緩んだ。
「おお……」
ちゃんと飛んでる。
正確には滑ってるだけだが、それでも十分だ。
俺は風の方向を調整しながら、戦場へ向かって斜めに降りていく。
風を強めれば浮き、弱めれば沈む。
左右の手の高さを変えると、進路もコントロールできる。
なるほど、なるほど。
思ったよりちゃんと飛べる。
というか、これ普通に楽しいな――などと考える俺の下では、悪魔と兵士が入り乱れている。
土煙。血飛沫。火の手。怒号。
誰も彼もが夢中で戦い、こちらのことなど眼中にないようだ。
俺は城壁の一角を狙って降下した。
最後に風を強め、着地の勢いを殺す。
山精酒が割れないように抱えると、たたんっと華麗な身のこなしで着地した。
俺はすぐに布を引き寄せて丸める。
そして、目の前でこちらを見て固まっている兵士と悪魔に向き直った。
「さて、続きだ」
俺は右手をかざした。
「【ライトニングボルト】!」
青白い雷が悪魔に直撃し、城壁から叩き落とした。
俺は一歩踏み込み、城壁の上を見回した。
「な、何だお前は!?」
顔じゅう煤だらけの若い兵士が、槍を構えたまま振り向く。
だが、説明している暇はない。
俺が降り立ったこの一角は、城壁の上部が半ば崩れ、外側の石積みも抉られていた。
そのせいで防衛線に隙間ができ、悪魔が街に入り込んで来ている。
兵士たちは必死に押し返しているが、このままでは焼け石に水だ。
「この辺りの味方、いったん下がらせられるか?」
「はあ?」
「この崩れたところを塞ぐ」
「塞ぐって、どうやって――」
「【ライトニングボルト】!」
「なっ!?」
雷が兵士の脇を抜けていき、飛びかかってきた悪魔を撃墜する。
「協力してくれると助かるんだが?」
「――ッ!」
兵士は目を白黒させながら、周囲へ叫んだ。
「下がれ! いったん下がれ!」
「どうした! 何をする気だ!」
「知らん! だが何かするらしい!」
兵士たちが半信半疑のまま後退し、崩れた城壁部分から味方の姿が引く。
「少し引きつけてから……」
兵士の圧力が無くなった城壁の裂け目に、重装備を付けた悪魔が殺到してくる。
空を飛べるタイプとは違って、地上戦で無類の強さを発揮する悪魔だ。
俺は弓を取った。
矢筒から一本抜く。
先端に括り付けた精霊石へ、今度は土属性の魔力を流し込む。
狙うのは悪魔ではなく、崩れた城壁の内側。
俺は弓を引き絞った。
「【ストーン】」
放った矢は、まるでスッポ抜けたかのように、地面に突き立った。
どごんっ!
鈍く重い音とともに、地面が噴き上がった。
砕けた石、土、砂利、瓦礫が膨張し、崩れた一角へなだれ込む。
居合わせた悪魔はそのまま土砂に呑まれて見えなくなった。
「うおお!?」
「なんだァッ!?」
兵士たちが悲鳴混じりの声を上げる。
だが、土砂はそこで終わらなかった。
吹き上がった土と石は、崩れた裂け目に引っかかり、折り重なり、みるみるうちに盛り上がっていく。
「……良かった、ちゃんと塞がった」
見た目は悪いが、穴を塞ぐことができた。
いくらか時間は稼げる。
「なんだこりゃ……こんな魔法見たことないぞ……」
おそるおそる、兵士が土砂の山を槍で突いていた。
別の年嵩の兵士が大声で叫んだ。
「ぼさっとするな! 板を持ってこい! この場を固めるぞ!」
その一声で、兵士たちが一斉に動き出した。
新たに土のうや板材を運び込み、俺が作った即席の土壁を芯にして補強を始める。
現場の人間は判断が早くて助かる。
「これで少しは持つだろ」
すると、すぐ横から呆然とした声がした。
「お、お前……何者だ……」
さっきの若い兵士だった。
槍を握ったまま、完全に腰が引けている。
「女王に届け物がある」
俺がそう言うと、若い兵士はますます意味が分からないという顔をした。
そのとき、城壁の下から再び悪魔の咆哮が上がった。
土砂で塞がれた穴の前に新しい群れが集まり始めている。
だが、もうさっきまでとは違う。
兵士たちにも、迎え撃つ余裕ができていた。
「槍、前へ!」
「持ち場につけ!」
「登らせるな!」
反撃が始まる。
悪魔たちは土砂を突き崩そうとするが、そこへ槍と矢が降り注ぎ、次々に倒れていった。
さっきまで崩壊寸前だった防衛線は、目に見えて立て直されていく。
これで、この一角から悪魔がなだれ込むことはなくなった。
なら次は――本来の目的だ。
俺は街の中心に視線を向けた。
女王のところへ行かないと。




