第23話 深夜の急変
前回の交易から帰ってきて、今日でちょうど一週間が経つ。
そろそろまたソシアリスへ向かう頃合いである。
俺は朝から、荷物の積み込みを行っていた。
村の連中ももうすっかりこの準備に慣れてきたらしく、あれこれ手伝いながら口を出してくる。
「それは上に積むにゃ」
「そっちは割れるにゃ」
「次はマタタビも頼むにゃ」
最後のは知らん。
しかしいつもと違うこともある。
荷車の横に立っているのは、俺だけじゃない。
母も一緒だった。
母は前に俺が持ち帰った絹や布を使って、自分で仕立てた服を着ていた。
流れるようなドレープが美しい新緑の外套。
動きやすさと見栄えを両立させたものらしい。
顔には絹を緩やかに巻いていて、俺みたいな不審者スタイルではなく、ちゃんとどこかの婦人に見える。
「母さん、すごいちゃんとしてるな」
「似合うにゃ?」
「それは父さんに聞いてくれ」
今回街へ行くのは、母だけだ。
父は畑の世話もあるし、イチとニンとヨンのこともある。
とはいえ、昨日いきなり決まった話だ。
普通ならもっと揉めたり、準備に時間がかかったりしそうなものだが、そこはケットシーである。
母もそうだが、父の決断も早かった。
『こっちのことは任せるにゃ』
猫は人間の四倍の速さで年を取るという。
迷っている時間があるなら動く。
そういう生き方なのかもしれない。
寿命の感覚も、時間の重みも、人間とは違うのだろう。
出発前、父と母は名残惜しそうに抱き合っていた。
イチとニンとヨンも、母の足元にまとわりついている。
「すぐ帰って来るにゃ」
「気をつけるにゃ」
母は一人ずつ頭を撫で、最後に父の肩へ額を寄せた。
その様子を見ていると、なんだかこっちまでしんみりしてくる。
「じゃあ、ミュー様にお祈りしてから行こうか」
俺がそう言うと、母はしっかりと頷いた。
「もちろんだにゃあ」
俺と母さんはくぐり穴の前で静かに目を閉じる。
どうか、俺たちの旅が上手くいきますように。
◯
ケットシー村を出発した俺たちは、街へ向かう途中で、街道警備隊の詰め所に立ち寄った。
これからは母もこの道を使うのだし、顔を出しておいた方がいいと思ったのだ。
挨拶しておいて損はない。
「グレイさんはいますか」
そう声をかけると、詰め所の前にいた無精ひげの男が、面倒くさそうにこちらを見た。
「いるいる。目の前にいるだろ」
「母さん、これがグレイ」
「おい、紹介が雑だぞ」
母は一歩前に出ると、きちんと頭を下げた。
「息子がいつもお世話になっております……にゃ」
最後、ちょっと惜しい。
グレイは一瞬ぽかんとしたあと、俺と母を見比べた。
「あ、はあ、こちらこそ……って、息子? サンのご母堂?」
「そうだよ」
「そうなのか……」
なんだその、納得いかないような顔は。
「これから交易を手伝ってもらうから、見かけることもあると思うんだ。よろしく頼むよ」
「ああ。分かった」
グレイは母に向かって軽くうなずいた。
それから、ちらっと俺を見る。
「お前って何歳なの?」
「四歳」
「はいはい」
◯
ソシアリスに着くと、まずは母にいつもの宿を見せた。
「ここが、俺がいつも泊まってるところだよ」
商館の二階にある部屋。
ベッドしかない安い宿とは違って、生活ができるようにキッチンや居間なども用意されている。
取引先の相手なんかが滞在するための部屋だから、内装も割と豪華になっている。
「思ったより立派にゃ」
「だろ?」
荷物を置いたあと、今度は二人で商業ギルドへ向かう。
母が俺の代わりに商売をするなら、まず登録が必要だ。
受付の人は、俺を見るなり「ああ、また来たのね」という顔をした。
「今日はどういったご要件で?」
「この人の登録をお願いします」
俺が母を示すと、受付の女性はにこやかに書類を取り出した。
名前、年齢、出身地、扱う品目。
母さんの名前? いい名前だよ。
そして、出身地を聞かれたとき。
母はなめらかに答えた。
「大陸の東の僻地にあるミロミロ村という寂れたところですが一晩にして魔王に滅ぼされてしまい散り散りになりましたが生き残りの息子とようやく会えました」
受付の人が気まずそうに母を見る。
「あ、ああ、それは良かったですね……お母さん」
俺の考えた設定を淀みなく答えられた母は、小さくガッツポーズした。
めちゃくちゃ練習したからな。
登録は無事に終わった。
これで母も、表向きはちゃんとした商人である。
◯
「次はベルナルドさんを紹介しよう」
そう思って受付の人に居場所を聞いてみたのだが、返ってきたのは予想外の答えだった。
「ベルナルドでしたら、今は街を出ております」
「え? どこへ?」
「コルダータへ出張中です」
となると、商談や査定の話は誰とすればいいんだ?
俺が持ち込むものは高額になりがちだし、話の分かる相手の方がいい。
「じゃあ――ダリアさんとの面会希望を出しておいてください」
受付の人は一瞬怪訝な顔をした。
「え、ギルドマスターのダリアでよろしかったでしょうか?」
「はい。サンが来たと伝えてもらえたら分かると思います」
ギルドマスターを指名するのは、普通の商人なら気後れするのかもしれない。
だがまあ、預けてある商品のこともあるし、こうした方が良いと思う。
大丈夫、大丈夫。
◯
そのあとは、母に街の中を案内した。
食堂やアクセサリーショップにも興味を持ったが、生地屋に入ってからの母のテンションはすごかった。
「見て、見て、サン」
「どしたの」
「見たことない織り方にゃ……」
「俺は全部見たことないよ」
目が爛々と輝き、完全に獲物を見つけた猫のようになっていた。
今日は案内だけで買い物はしない。
まずは相場を知ること、店の場所を覚えること、どういう品があるのか把握することが大事だからだ。
だが、それにしても興奮ぶりがすごい。
「もしかして、街に来た理由ってこれだったりする?」
「違うにゃ」
「本当に?」
「違わないこともないかにゃ」
正直でよろしい。
「サンだって、この街が好きだにゃ?」
「もちろん。母さんの布好きにも負けないぐらい好きだよ」
「ほら、サンだって同じにゃ。好きがあれば怖いのは無くなるにゃ」
そうだな。
人間の街を怖がっていた頃からすると、ずいぶんな進歩だ。
「サンのおかげで好きなものが増えて、とっても楽しいにゃ。街に連れてきてくれてありがとにゃ」
そんなこと言われるとは思ってなかったので「どういたしまして」とだけ返しておいた。
この交易を始めて良かったと、心の底から思った。
◯
宿に戻ってくると、母は鏡の前で何やらぶつぶつ言っていた。
「ありがとうございます……にゃ」
「よろしくお願いします……にゃ」
「にゃにゃ!? にゃにゃにゃにゃ!!?」
語尾に「にゃ」をつけない練習をしているらしいが、中々難しいようだな。
俺はその健気な姿を横目に、持ってきていた精霊石に穴を開ける作業をしていた。
弓錐できりきり、きりきり。
作れるのは一日に二個か三個ってところだな。
時間がかかるから、こういう空き時間に進めておきたい。
母は最初こそ発声練習を頑張っていたが、やがて椅子に座ったまま、うつらうつらし始めた。
慣れない街歩きで疲れたのだろう。
俺もそろそろくたびれてきたし、寝ようかな。
◯
真夜中。
足音で目が覚めた。
廊下を急ぎ足で進む音が聞こえる。
こんな時間に宿の中を走るなんて、何かあったのだろうか。
俺がベッドから起き、寝室から出ると、母も寝室から出てきた。
「母さん……」
「サン、なにごとにゃ」
その直後、扉を強くノックする音が響く。
どん、どん、どん。
俺は反射的に身構えた。
「……はい」
すると、扉の向こうから切羽詰まった声が返ってくる。
「ギルドの者です。ギルドマスターが、今すぐ来るようにと」
こんな夜遅くに?
俺が母を見ると、力強くうなずいた。
「母さんのことはいいから、行ってくるにゃ」
「う、うん」
俺は短く答え、部屋を出た。
◯
通されたのは、ダリアの執務室だった。
小さなランタンが一つだけ灯っていて、部屋の中は薄暗い。
机の上には書類が広がり、どこか張り詰めた空気が流れていた。
俺が中に入ると、背後で扉を閉める音がした。
ダリアは机の向こうに立っていた。
いつもの余裕をたたえた彼女らしくない気がした。
「問題が発生しました」
「問題?」
俺が聞き返すと、ダリアはすぐ本題へ入った。
「イルストリスに女王が駐留しているのは知っていますわね?」
「耳には挟んでいます」
「悪魔との戦闘で、怪我をされたそうです」
「えっ?」
女王――セレスティアが怪我を?
「コルダータにいるベルナルドから早馬が届きました」
ダリアは机の上の書状へ視線を落とした。
「軽症ならいいのです。けれど、万が一ということもあります」
万が一。
その言葉が、重く響く。
「そこで、蘇生も可能と言われるあなたの山精酒を、女王のもとへ届けたいと思っています」
なるほど、そういう話か。
「今、私たちは、女王を失うわけには参りません。できることがあるなら、やるべきなのです。ですが……」
ダリアは言い淀み、それから頭を下げた。
「今すぐ買えるだけの現金はありません。ですので、証文を書きます。どうか、それで山精酒を譲っていただけないかしら」
夜中に呼び出し。
山精酒がほしい。
金はないが信用してくれ。
それが商人として不誠実だと、自分でも分かっているのだろう。
それでも頭を下げて頼んできた。
それだけ切迫しているということだ。
俺はすぐに答えた。
「もちろん構いませんよ。代金もいりません」
ダリアが何か言おうと口を開く。
だが、俺はそこで続けた。
「ただし――条件があります」
その瞬間、ダリアの表情が硬くなった。
一体何を要求されるのかと、身構えたのだろう。
けれど、俺が言ったのは別のことだった。
「山精酒は、俺に届けさせてください」
ダリアは、完全に虚を突かれたようにポカンとしていた。




