第20話 ロバと女王
滞在四日目の朝。
そろそろ、査定中の俺の荷がどうなったのか気になる頃合い。
「ベルナルドさんに聞いてみるかあ」
というわけで、俺は朝のうちに商館へ向かった。
ベルナルドを探すのは簡単だ。
声か匂いを追えばいい。
俺はキャッツイヤーとキャッツノーズを全開にしながら歩き回った。
しばらく探していると、倉庫の方から聞き覚えのある声がした。
ベルナルドだ。
積み上げられた荷物の前で、帳簿片手に仕事をしている。
「こんにちは」
俺が声をかけると、ベルナルドは振り向いて『誰だこいつ』みたいな顔をした。
「お、おお、サン殿ですか?」
そういや、包帯ぐるぐる男から、ゴーグルフード男に進化してたんだった。
「そうです。査定の方はどうなりましたか?」
ベルナルドは帳簿を閉じて答える。
「東洞散と山精酒は、もうしばらくかかります。それからあいにくですが、鮭節のほうについてももうしばらく」
鮭節もまだなのか。
猫まんまのレシピでも付けた方が良かったかな?
「まあ、そうでしょうね」
「ですが、精霊石でしたら無事に買い手が見つかりました」
おお、それは朗報だ。
「明日の便で、コルダータに霊魚を。そのまま王都に精霊石を届ける予定です」
俺は思わず聞き返した。
「え? 王都って、悪魔に占領されてるのでは?」
するとベルナルドは、ああ、と小さくうなずいた。
「"王都"というのは通称です。今は、王都に最も近かったイルストリスの街のことを、そう呼ぶんですよ」
「イルストリス……」
「コルダータのさらに向こうの街ですね。女王もそちらにおられますし」
女王?
「王様じゃなくて?」
「ええ」
ベルナルドは少しだけ表情を曇らせた。
「王は、王妃とともに王都陥落の際に崩御されました」
そういうことも、当然あり得る。
分かっていた。
あの俺を殺した王様と、肌を重ねたこともある王妃様と……って、そこまで感慨深くないわ。
あんま絡みなかったし。
「じゃあ、女王っていうのは?」
「セレスティア姫が即位されて、今は女王となっています」
――え。
俺の前前前前世の妻、セレスティアが女王に。
あの控えめで、いつも王妃の陰に隠れていて、やたら可愛いセレスティアが?
「なんで女王様が最前線にいるんですか?」
気づけば、そんな言葉が口をついていた。
もっと安全なところに行くべきだ。
ソシアリスですら下級悪魔が出るのに、地獄になった王都のそばにいていいわけがない。
だが、俺の疑問にベルナルドは、むしろ誇らしげな顔で答えた。
「燃え盛る王都を前に、女王は退却を進言する貴族たちに向かって『王都を捨てて逃げ延びた王など、民の希望にはなれません。私はここに残り、最後まで戦います』――と仰ったそうです。それを見ていた民たちは逃げる足を止め、みな、頭を垂れたとか」
セレスティアが――?
どうやら俺は、彼女のことを何も知らなかったらしい。
「士気が上がったでしょうね」
俺がそう言うと、ベルナルドは力強くうなずいた。
「それはもう。親衛隊と一緒に戦場に出て、味方を鼓舞し続けられました。そのおかげで、なんとか悪魔を王都に押し込むことに成功したようなものです」
胸の奥に、誇らしさと、どうしようもない苦さが同時に広がった。
彼女と俺の間には何もない。
知らないとか、覚えてないとか、そういう次元ですらない。
俺と彼女との幸せな時間は、邪神が見せた、ただの夢なんだから。
「ここから王都……じゃなくて、イルストリスって遠いですか?」
「いえ、そんなことはありませんよ」
ベルナルドは指を折って数える。
「馬車なら、コルダータまで二日。そこからさらに五日ほどでしょうか」
馬の脚で合計七日。
俺が全力で走ればどれくらいだろう。
一日はかからない気がする。
途中で休憩を入れても、たぶんかなり早く着く。
行こうと思えば、行ける。
そう考えてしまった自分に、俺は少しだけ眉をひそめた。
今はまだ、ケットシー村のことが先だ。
そこで急に、ケットシー村を発つときに考えていたことを思い出した。
「そういえば……」
「どうしました?」
「ベルナルドさん、急な話なんですが、馬車って手に入りませんか?」
ベルナルドが目を瞬かせる。
「馬車、ですか?」
「本格的に交易をするなら必要だと思いまして」
今までは全部、自分で背負って運んでいた。
しかしそれには限界がある。
村のみんなが本気で商品を持ち込み始めた以上、輸送手段は必要だ。
それに、物資もケットシー村に沢山持ち帰りたいしな。
「もちろんご用意できます」
ベルナルドは即答した。
さすが商人。
「ご希望はありますか?」
「幌付きで、できるだけ操作が簡単なものがいいです。馬に触ったことすらないですし」
するとベルナルドは俺を倉庫の外へ案内した。
「こちらでしたら、すぐにお引渡しできます」
そう言って見せてくれたのは、一頭立て、二輪の荷車だった。
だが引いているのは馬ではない。
ロバだった。
「ロバは優秀ですよ。馬より安いのはもちろん、餌は道端の雑草でもいいですし、馬には難しい悪路でも進めます」
ロバか。
改めてまじまじ見ると、なかなか愛嬌のある顔をしていた。
体を撫でたら結構ゴワゴワしていたが、マズルのあたりは柔らかくて、撫でるとロバも気持ちよさそうにしていた。
「馬よりロバですか?」
俺が聞くと、ベルナルドはうなずいた。
「まあ、馬より運べる荷物は少ないですし、脚も遅いです。どちらでもいいというなら私も馬をおすすめします。しかし、初心者ですぐにでも使いたいというのであれば、ロバもいいもんですよ」
俺はロバを正面から見た。
目が笑っているような形で、可愛らしい。
可愛いと言えばセレスティア。
段々、セレスティアに見えてきた。
「じゃあ、この子で」
「お買い上げありがとうございます」
よく考えずに買ったが、ロバ車は驚くほど安かった。
荷車も含めて、1ヶ月分の食費くらいで済んでしまう。
馬車はこれより四倍、五倍高いらしい。
「街を出発するときまでは、ロバは商館で預かっておきますね」
「助かります」
そこで俺は、ふと思い出した。
「そうだ。ベルナルドさん、この前使ってた魔力鏡って、売ってたりします?」
「魔力鏡、ですか?」
「ええ。あれ、便利そうだったので」
ベルナルドは揉み手で答える。
「もちろんご用意できます。ご希望は?」
◯
ロバ車の積載スペースは、前世で言う軽トラの荷台くらいだった。
これなら、今までよりずっと多くの荷物を運べるな。
というわけで、俺はその足で市場へ向かった。
市場では生活必需品、前回評判の良かったフルーツや絹の布なんかを買い足していく。
それから、久しぶりに発明家としての血がうずいたので、工作に使えそうな素材も適当に買っていく。
まあ本当の意味の発明じゃなくて、前世の知識の再現なんだけどな。
俺はさらに三日ほど、市場をぶらぶらしながら過ごし、滞在一週間目にソシアリスを出発することにした。
今回の儲けは、俺の干物が金貨二十枚。
また金貨一枚分だけ両替して懐に入れると、残りは商業ギルドに預けてプールしてもらった。
子どもたちの精霊石は、三つ合わせて金貨三十五枚だった。
これは袋に入れてもらい、持って帰ることにした。
銀行や商館に預けておくこともできるが、やはり現金を手にした時の感動を味わってほしい。
実際の効果を調べていた床ずれ薬アンド精力剤"東洞散"については、ベルナルドが「効果は抜群」と太鼓判を押していた。
俺が次に来るときまでに買い手を探しておいてくれるらしい。
ちなみに、どうやって調べたのか聞いてみたら、ベルナルドは人差し指と中指の隙間に親指を挿し込んで、
「実地調査です」
と言っていた。
俺、四歳だから分かんない。
分かんないったら分かんない。
さて。
俺は荷車に乗り込み、ロバの手綱を掴んで街道へ向き直った。
このロバには、もう名前もつけてある。
「行くぞー、セレス」
セレスは耳をパタパタと動かし、
「エッッッッッ」
と、なんとも独特な声で鳴いた。
「エッ! エッ! エッ! エッーーーー!」
「鳴き声、思ってたのと違うな」
でもまあ、元気そうで何よりだ。
こうして俺は、再び森への帰路についたのだった。
◯
ケットシーのくぐり穴の前に着いたところで、俺はロバ車から降りた。
「ちょっと待っててくれ」
「エッ!」
ここで懐から、ベルナルドに用意してもらった魔力鏡を取り出す。
「前から気になってたんだよな」
くぐり穴は大木のウロにできた通路のようなものだ。
俺は魔力鏡をかざしてみる。
すると、穴の縁のところに、細い光の線がふわりと浮かび上がった。
……ん?
しかしそこに見えたのは、複雑な魔法陣でも、古代語の呪文でもなかった。
まるで落書きのような、雑に描かれた図案。
それは――左手を上げた招き猫にしか見えなかった。
「なんだこれ……」
神秘的なのか、ふざけているのか。
だが、ケットシーらしいといえば、らしいかも知れない。
俺は魔力鏡をしまい、なんとも釈然としない気分のまま、セレスを連れてくぐり穴に入っていった。




