第16話 父さんのマタタビ酒
ソシアリスの街を出て、見慣れた道を進み、森に入っていく。
湿った土と苔の匂い。
鳥の声とささやかな葉擦れ。
人間の街の石畳や喧騒も悪くなかったが、やはりこっちの空気の方が落ち着くな。
俺がケットシーのくぐり穴の前に差しかかると、近くで兄弟たちが遊んでいた。
イチとニンとヨンである。
三人でしゃがみこんで、地面を棒でつついている。
あれは『虫レース』だ。
地面に一本線を引き、小さな虫のお尻をつついて走らせるという定番の遊び。
「イチ兄! 棒で押すのは反則ニャ!」
「勝てばよかろうなのニャァァァァッ!!」
「よくないニャ!」
ニンが抗議し、イチが開き直る。
いつもの光景である。
その横で、ヨンがふと顔を上げた。
そして、ぱっと目を輝かせた。
「あ! サン兄だ!」
その一声で、イチとニンも一斉にこちらを向いた。
「サンにゃ!」
「帰ってきたにゃ!」
三人がわっと駆け寄ってくる。
勢いがすごくて、危うく荷物ごと押し倒されるところだった。
「おいおい、落ち着けよ」
「おみやげあるにゃ!?」
おかえり、より先にそれかよ。
「おー、あるぞ」
そう答えたら、三人の目がさらに輝いた。
現金なやつらである。
ヨンは俺の背中にしがみつき、ニンは荷物を覗き込み、イチは得意げに胸を張った。
「サンが帰ってくるまで、村はちゃんと守っておいたにゃ」
「虫レースしてただけだろ」
「それも大事にゃ」
そうかな……そうかも……。
「みんなに知らせるにゃ!」
「サンが帰ってきたにゃー!」
イチとニンが叫びながら、くぐり穴の方へ走っていく。
俺は荷物とヨンを背負ってその後を追った。
◯
気づけば、俺は村の中央にある広場に連れていかれていた。
しかも、なぜかお立ち台に立たされている。
集まってきた村中のケットシーに見上げられているので、気分は完全に演説会である。
「人間の街はどうだったにゃ!」
「賑やかで楽しかったよ」
「干物は売れたかにゃ!」
「完売したよ。また作らなきゃな」
「おみやげ! おみやげ!」
最後の声が一番大きいな。
俺は咳払いを一つして、懐から銀貨を取り出した。
太陽の光を受けて、銀色のコインがきらりと光る。
「まず、これを見てくれ」
おお~、と意味も分からず感心するケットシー。
「なんにゃ?」
「食べられるにゃ?」
食べるな。
「これはお金だ。お・か・ね」
俺はできるだけ分かりやすく説明した。
お金を貯めれば、いろんなものと交換できること。
余ったものをお金に換えておけば、あとで別のものと交換できること。
そして、俺たちの干物が、こんなにたくさんの『おみやげ』に変わったこと。
最初は「ふにゃ?」みたいな顔をしていたケットシーたちも、俺が持ち帰った荷物を広げ始めると、一気に目の色が変わった。
布。針。塩。鈴。香辛料。おもちゃ。干した果物。他にも少量ずつ、生活に役立ちそうなものから嗜好品まで、幅広く買い集めてきた。
「おおお……」
「すごいにゃ……」
「これ全部、干物が化けたにゃ?」
俺は一人ひとりに土産を渡していった。
みんな、見たことのない品に興味津々だった。
鈴を振り回して怒られているやつ。
香辛料を嗅いでくしゃみしてるやつ。
母は絹の布を広げて、嬉しそうにくるくる回っていた。
ひと通り配り終えたところで、俺は次の話をした。
「次の交易は、一週間後を予定している」
その言葉に、村中がざわつく。
「また行くにゃ?」
「今度は何を持っていくにゃ?」
「何を買ってきてもらえるにゃ?」
「だから、それを考えてほしいんだ」
俺は銀貨を指先で弾きながら言う。
「各自で、売りたいものと、欲しいものを考えてくれ。それを俺に報告してほしい」
ケットシーたちは顔を見合わせた。
自分たちの作ったものが、村の外で売れるかもしれない。
その実感が、ようやく湧いてきたのだろう。
「分かったにゃ~!」
「考えるにゃ!」
「すごいもの作るにゃ!」
若干不安ではあるが、やる気だけは十分のようだ。
◯
そうして今回の仕事を全うした俺は、ようやく実家に帰ってくることができた。
家に入ると、母がすぐに飯を出してくれた。
焼き魚。
きのこのスープ。
木の実を練った団子みたいなやつ。
相変わらず素朴だが、ほっとする味だ。
「やっぱり母さんの飯が一番だな」
「そうかにゃあ」
母は照れくさそうにひげを揺らした。
そのあと、兄弟たちと久しぶりに夜まで遊んだ。
虫レースの続きを見せられたり、土産の鈴を鳴らして大騒ぎしたり、ヨンが俺の膝で寝落ちしたり。
三人をベッドに寝かせた俺は、父と二人で庭のベンチに座っていた。
夜の森は静かで、遠くで虫の声がしている。
「これ、父さんに」
俺は包みを差し出した。
中身は、夫婦茶碗だ。
お揃いのやつ。
父は目を丸くした。
「これは……」
「人間の街で見つけた。二人で使ってくれ」
父は少し照れたように耳をぴくぴくさせたが、ちゃんと嬉しそうだった。
「ありがとにゃ」
それから俺は、人間の街であったことを話した。
ギルドという組織と契約したこと。
干物が思った以上に高く売れたこと。
そして、この森を手に入れるために動き始めたこと。
父は黙って聞いていた。
俺が話し終えると、ゆっくりと立ち上がった。
……といっても、座っている俺と目線の高さはあまり変わらない。ケットシーだからな。
「お前がそんな立派なことを考えていたとは知らなかったにゃ」
いや、思いつきなんだけどね。
とは言わないでおいた。
「父さんも頑張らないとにゃ」
「頑張るって?」
「サンが出発するのは1週間後にゃ?」
「その予定だけど」
「それまでに、人間が喜びそうなものを用意するにゃ」
父が遠くを見るような目で言う。
「それでガッポガッポ稼いでくるにゃ」
急に俗っぽいな。
だけど、それでいい。
村のみんなが自分ごととして動き始めている。
それはたぶん、いいことだ。
翌日から、俺は霊魚の干物づくりに励んだ。
釣りをして、捌いて、干して。
釣りをして、捌いて、また干して。
鮭節も、村用と販売用に余分に作っていく。
その合間にも、ケットシーたちが続々と相談に来た。
「サン、これ売れるにゃ? 自信作にゃ」
渡されたのは、木彫りの鳥の像だった。
翼を広げ、空を翔ぶ姿を忠実に再現している。
めちゃくちゃ繊細でリアルなフィギュアだ。
だけど……
「ちょっとかさばるな。壊れ物だし、今回はごめん」
「そうかにゃ。残念にゃ」
俺一人が運ぶのには限界がある。
かさばるもの、重いもの、壊れやすいものの扱いについて、先に考えておくべきだった。
「サン~! 集めてきたにゃ~!」
村の子どもたちがわらわらと走ってくる。
その手にはきれいな小石が握られていた。
「ニャアの宝物にゃ」
「サンに託すにゃ」
「売れなかったら返してにゃ」
「お、おう」
白くて半透明の石。
赤くてキラキラした塵のようなものが混ざった石。
猫の顔みたいな形の石。
まあ、川にいけば沢山落ちてるやつだな
正直、何が人間に受けるか、俺にも全部は分からない。
干物は鉄板として。
それ以外は持っていってみないと分からない、と前置きしておけばよかったな。
「……今度街に行ったら、馬車かロバ車でも手に入らないか聞いてみるか」
ベルナルドかダリアに頼めば、なんとかしてくれるだろう。たぶん。
そして、一週間が経ち。
二回目の交易の日がやってきた。
みんなから"商品"を預かった俺は、くぐり穴の前に立っていた。
村のみんなも、また見送りに来てくれている。
今度は自分たちの用意したものが売れるかどうか、期待半分、不安半分といった顔だった。
「頼んだにゃ、サン!」
「売れたらすごいにゃ!」
「だめでも泣かないにゃ!」
そんな声が飛び交う中、少し遅れて父がやってきた。
「遅れたにゃ。すまんにゃ」
父は息を切らしながら、俺に小さな包みを差し出した。
受け取ってみると、中には陶器の瓶が入っていた。
コルクで蓋がしてあり、その上から蝋で封がしてある。
少しも漏れ出ないように、かなり厳重に処理されていた。
「これは?」
「父さんの用意した商品にゃ」
父は胸を張って言った。
「マタタビ酒にゃ」
その瞬間、場が騒然となった。
「や、やるにゃあ……」
「真の男にゃ!」
「すごいにゃあ!」
周囲の反応がやたら大きいぞ。
俺は思わず尋ねた。
「どゆこと? マタタビのお酒?」
すると母が、こっそり教えてくれた。
「マタタビの匂いに耐えながら酒を仕込むのは大変なんだにゃ。普通は途中でべろべろになって、それどころじゃなくなるんだにゃ」
納得した。
つまり、製造には鉄の精神力が求められるらしい。
父は得意げにひげを揺らした。
「このマタタビ酒は、特別なマタタビだけを使ってるにゃ」
「特別って?」
「虫に食われたマタタビは逆に薬効が強くなるにゃ。でも食われすぎるとマタタビの中が糞まみれになるにゃ。見極めが大事にゃ」
虫入りのマタタビか……。
俺は飲みたくないな。
「でも、飲めばどんな怪我も治り、体の底から力が溢れて元気になるにゃ。きっと高く買ってくれるにゃ」
どんな……怪我も……?
それ、いわゆるポーションとか、エリクサーとか、世界樹の雫とか、そういう類のやつでは?
父さん。
ちょっとやり過ぎかもしれない。
そう思うと同時に、これにどんな価値がつくか知りたい自分もいた。
……またベルナルドさんが飛び上がる姿が見れるな。
霊魚に月の木。
そして今度は、マタタビ酒。
さて。
二回目の交易は、どうなることやら。




