第9話 種子庫の二重鍵
鍵は、持っている人間より、作らせた人間の方が多くを知っている。
私はそう思って、領都の鍛冶師通りへ向かった。北辺侯家の鍛冶帳には、予備鍵作成を請け負った工房の名が残っている。老人の鍛冶師バルドは、帳面を見せた瞬間に眉をひそめた。
「ああ、その仕事か。気持ちのいい依頼じゃなかった」
「どういう意味です?」
「侯家の正式鍵なら封印札が付く。だがその時は、王都商人が急がせてきてな。しかも持ち込まれた原鍵が、新しすぎた」
新しすぎた。つまり、紛失した古鍵ではなく、その前に複製された鍵をさらに複製したということだ。
「誰が持って来たか覚えていますか」
「名は知らん。だが、右手の小指に温室棟の硝子で切ったみたいな古い傷があった」
私はすぐカスパルを思い出した。彼は若い頃、王宮温室の硝子修理を手伝って手を切ったことがある。婚約したばかりの頃、自慢げに見せられた傷だった。
工房を出ると、外は粉雪だった。私は手袋越しに指を握り込む。傷の形まで思い出してしまう自分が腹立たしい。
温室へ戻ると、レオンハルトが暖炉前の机で納品帳を読んでいた。私の顔色で何か察したのか、黙って温かい茶を差し出してくる。
「鍛冶師が、鍵を持ち込んだ男の傷を覚えていました」
「王都の人間か」
「ええ。たぶん、カスパルです」
口にした瞬間、茶の湯気がやけに熱く見えた。もう婚約者ではないのに、その名を言うたび少しだけ昔が喉を掠める。
「なら、鍵を使って抜いた種はどこへ行った」
「王都か、博覧会の裏庭か、あるいは……」
私は温室の奥を見た。青磁鉢の薔薇の芽は日に日に強くなっている。もし王都で白冠薔薇が『咲いたこと』になっているのなら、それは私の記録ごと盗まれた株か、その子だ。
その夜、私は母の花名札を整理していて、一枚だけ裏書きのある札を見つけた。
『真正株の種子庫は二つ。王都と北辺。片方が消えても、もう片方が真実を残す』
母は保険を掛けていたのだ。
だからこそ今、北辺に残った記録が生きる。
私は新しい台帳の見出しに、さらに一行を書き足した。
『予備鍵複製経路確認。王都園芸商会、王宮温室管理長補佐関与の疑い』
私情で名前を書いてはいけない。記録は冷たくあるべきだ。そう自分へ言い聞かせながら、それでも最後に小さく付記した。
『鍵は花を咲かせない。咲かせるのは、記録どおりに世話をした者だけ』
これは証拠であると同時に、私自身への言い聞かせでもあった。




