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第12話 元婚約者の買い戻し提案

カスパル・ヴァイトが北辺へ来たのは、白冠系の蕾が三つ揃った朝だった。


 温室前に停まった馬車の紋章を見た瞬間、私は嫌な予感しかしなかった。案の定、彼は王都用の薄い外套のまま中へ入り、冷気に肩をすくめる。


「こんな場所で、本当に働いていたんだな」


「見ればわかるでしょう」


 私は鉢を動かす手を止めなかった。彼は昔の癖で、私が作業中に立ち止まると思っている節がある。もうそんな義理はない。


「今日は話し合いに来た」


「私は忙しいの」


「王都へ戻れる話でも?」


 グレタとハンネスがあからさまに顔をしかめている。私は彼らへ合図し、先に北棟へ行ってもらった。カスパルに見られたくない蕾があるからだ。


「で、何を買い戻しに?」


 彼は眉をひそめた。


「言い方が刺々しいな」


「売った覚えのないものまで奪われたので」


 とうとう彼は本題を出した。


「春花博覧会の件だ。王都では今、紋章花の管理をできる人材が足りない。リディアは社交には向いているが、細かな育成には向かない。君が戻れば、補佐役として席を用意できる」


「補佐役」


「待遇は悪くしない。婚約の件も、形だけ整え直すことは可能だ」


 私はしばらく黙って彼を見た。昔なら、その『形だけ』に傷ついていたと思う。けれど今は、不思議なほど冷静だった。


「つまり、花を咲かせる手だけ戻れと」


「そういう言い方をするな。君にも利がある」


「ありません」


 即答すると、彼は少しだけ声を荒げた。


「意地を張るな、エルザ。北辺で咲かせたとしても、名声は王都に集まる。君ひとりが逆らっても変わらない」


「変わるわ」


 私は作業台の上の帳面を開いた。北辺温室の納品控え、王都の仮勘定、種子庫の鍵複製記録。彼の顔から血の気が引いていく。


「少なくとも、誰が変えようとしたかはね」


「それを公にするつもりか」


「ええ。北辺の名で」


 彼は低く息を吐いた。諦め半分、苛立ち半分の顔だった。


「君は昔から、帳面を抱えると強情になる」


「あなたは昔から、帳面の外だけを欲しがる」


 それで終わりだった。彼は何か言い返そうとして、言えずに口を閉じた。


 帰り際、彼は蕾を見て足を止めた。


「その花……」


「王都にはないでしょう」


「まだ確証にはならない」


「そう。だから私は、確証ごと持って王都へ行くの」


 馬車が去ったあと、私はようやく背中の力を抜いた。レオンハルトが少し遅れて温室へ入り、何も訊かずに暖炉の火を強める。


「追い返しました」


「見ていた」


「助けに入らないんですね」


「君が一人で追い返せる顔をしていたから」


 悔しいけれど、その通りだった。私は笑ってしまい、ようやく胸の詰まりが少し軽くなった。


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