その42
四十二
「魔理沙、離れて!」
「アリス!?」
魔理沙の身体を背後にかばうように立ったアリスの前に人形たちが円の壁を描くように浮き、光の文字が幾重にも並んだ魔法陣を描き出した。
「あそこに近づくと危ない。下手をすると、魂を吸い込まれてしまうわ。いま障壁を作って、影響を排除しているから」
「だけど、霊夢が!」
「だいじょうぶ。彼女は、境界の変化がもたらす力に抵抗できるはずよ」
そう言うと、アリスは魔理沙をひきずるようにしながら霊夢の立っている位置から離れ、参道からはずれた林の中へと移動した。
「あれは……あそこで、いったい何が起きてるんだ?」
鳥居の下の空間には、光輪のようなものが形成されているように思われた。
光を放っているように感じられるのだが、その中心には何もない。何かが存在するかどうかも分からない。まるで視界の中心に盲点が重なってしまったような印象だった。
「……もしかして、向こう側にだれかいるの?」
「輝夜の話じゃ、人形と一緒に九藤さんが入ってくるって……」
魔理沙はあえぐように言う。
「去年と同じことをしようとしてるんだ。去年の今日、九藤さんはあのチビの人形をもって、向こう側の神社に来た。そして、人形がこちら側に入ってきた」
「…………」
「いま、無縁塚で妹紅と輝夜が戦ってる。これも、去年と同じだ。あそことこっちが、どうつながるのか分からないが……とにかく、もう一度、同じことが起きるはずなんだ」
「……分かったわ。チビさんを……あるいは、『チビさんに等しい何か』を召喚しようとしているのね。ということは」
アリスは、霊夢の眼前に浮かぶ虚ろな光輪をにらむように見つめる。
「いまこの瞬間、あそこに『それ』がいるのかもね」
**********
気づいたときには周りが霧で満たされたように霞み、やがて光を帯びた煙のようになって押し寄せ、囲み始めた。
『 』
声が頭の奥に響く。同時に、身体が溶け落ちたような感覚とともに、軽くなった。
……誰だ?
『分からない。でもわたしはあなたを知っている』
そうか。そう言われると、私もきみを知っているような気がする。
ずっと昔から。
きみが憶えていない、昔から。
だが、その理由は分からない。
『わたしも分からない』
でも、知っている。
『そう。知っている』
**********
「…………」
紫は、境界に開いた光輪の前にたたずむ九藤の様子を観察していた。
意識はないようだ。おそらく、人形の方に魂は移動している。しかし、すべて、ではない。
あのときと同じように……
光輪の中には人の肉眼では見えないが、九藤の人形が『嵌り込んで』いる。
『向こう側』にはおそらく霊夢が似たような状態でいるはずだ。
二人の間に、現実と幻想を結ぶ隘路が形作られたのだ。
紫の境界の妖怪としての能力がもたらす超越的感覚は、この隘路に向かって伸びてくる結界の歪をとらえていた。
(無縁塚から……そうか、そういうことね)
怨嗟。悔悟。慟哭。
堆積した『念』が出口を求めてやって来る。
(すると……こことつながることになる、か)
紫はふたたび光輪の中心に眼差しを移す。
(人の形をした器。虚ろなる根源。幻想と現実、陰と陽の狭間に、果たして、何がやって来る? そして何が生まれる?)
あとわずかな時間で、その答は出る。
紫は、あらゆる事態に備えるべく、静かに精神を整えた。
☆★
「……あれは?」
幽香は空中に停まった光球に向かって飛んでいく人影を見て藍を振り向く。
「永琳だな。どうやら、例の『穴』が開いたとみて、確かめに行くんだろう」
と藍。
「あの瘴気の渦の中心に辿り着くのは容易ではなかろうが、わたしは紫様に報告しなければならないから、行ってみる。では」
そう言うと、藍はその金色の尾を大きく揺らしながら空中へと飛び立った。
「それじゃ、あたいもちょっくら……」
「あら。ここらへんは、死神さんの守備範囲に入るの?」
「……この瘴気は、積もり積もった死人たちの想いが産み出し、呼び出したモノたちなんでね。そいつらが悪さをするかもってことになると、全然知りませんでしたってわけにもいかないだろうねぇ」
「ふうん。死神さんは、こういうのは気にならない?」
幽香は周りに漂う瘴気を視線で示しながら訊く。
「まあね。妖怪の皆さんは……怨霊とかはあんまり駄目なんだっけ?」
「そうねえ。取り憑かれたりすると、ろくなことにならないからね……悔しいけど、いまは自重するわ」
「そのほうがいいよ。じゃ」
小町は鎌を担ぎ直すと、跳躍するような動きで急速に渦の中心へと向かっていった。
彼女が渦の中心に達した時には、すでに状況は相当に逼迫していた。
「うわ、こりゃまずいね……」
妹紅と輝夜の身体はすでに大部分が『穴』にとりこまれ、さらにその周囲に瘴気が絶え間なく流れこみ、その急速な流れがふたりを虚ろな間隙へと引きずり込もうとしていた。
藍と永琳は二人の身体を必死に引き出そうとしていた。
「あたいも加勢するよ。多少、時間稼ぎにはなるからね……」
「ありがとう……」
永琳は言葉少なに会釈をする。
小町の周辺は瘴気の流れが滞るようで、多少は安定した形で二人の身体を引き止めることができそうだった。
「このままだと、この禍蛇みたいな連中と一緒に吸い込まれる……どうすればいいの?」
輝夜の悲鳴に近い叫びに、藍が押し殺した声で答える。
「この間隙は、博麗神社に向かっている。つまり、この瘴気が神社に出ようとしているんだ」
「じゃあ……神社側に出口が開いて、出て行ってしまえば、この穴も無くなるわけか?」
と妹紅。
「おそらくはそうだが、その代わり今度は神社の境界に一気に噴き出す。すると、外界との境界がその衝撃で破壊されてしまうかもしれない」
「紫は神社にいるんじゃないのか?」
「境界の破壊に備えるために神社の外界側にいらっしゃる。もし博麗神社に瘴気が達したら、それに対応できるのは、巫女だけだ。人間でなければ、この穢れは祓えない」
瘴気の流れはますます激しくなり、それに影響されてか輝夜と妹紅の身体が黒ずんできた。
妹紅はすでに意識がとぎれかかっているのか、言葉を発しない。
輝夜はかすかに口元に笑みを浮かべる。
「妹紅……もしかして、わたしたちここで滅ぶのかしらね……それならそれで、ありかな?」
「輝夜、気を確かに! こんなところで滅ぶものですか!」
永琳が声を荒げる。
「それよりも、あなたがしたはずのことを思い出して!」
「わたしがしたこと……」
そこでふと、輝夜は小町の姿に気づいたように言う。
「死神さん……あなた、もしかしてあの時にもいなかった……?」
「!」
小町がぎくりとしたように眼を見開く。
と、それに反応したように、輝夜が叫ぶ。
「……そう……そうよ……!」
「輝夜?」
「く……来る! ここに来る! 永琳、逃げて! ここに、『一年前』が来る!」
「何を言っているの、輝夜」
「もうひとつの時間の流れ。須臾を集めて、わたしが作った。それがいま、ここに来る!」
藍がはっとしたように
「瘴気を、その時間に乗せたのか!」
「須臾の密度が最大になる瞬間に、来るの! だけどそれは……あの人に……」
**********
(帰りたい)(帰りたかった)(帰るんだ)
(こんなはずじゃなかった)
彼らが来る。
前もこんなことがあった。
『あったね』
そのときは……そのときも、一緒だった。
『そうね。一緒だったね』
なぜなら……私は、
『わたしだから』
そう、私は私/わたしだ。
『そう。わたしはわたし/私』
私とわたしの間に、帰って来る。彼らの想いが。
そして……
**********
外界と幻想郷、境界の両側で、空虚の光輪が拡がった。
魔理沙とアリス、そして紫はその光景を同時に見た。
虚空の焦点。
人形の黒い影。
その中心の、一瞬の青い輝き。
「あ の 人 形 に !」
輝夜の叫びがゆっくりと拡がる。
妹紅、永琳、小町、藍の動きが停まる。
次元は畳まれた。
両極の境界は、失せた。
『 』
接続されたその点は、ふたたび開いた。
そして、それぞれが、一瞬のあいだに心に撃ち込まれた声を聞いた。
『私/わたし が かえる』
『わたし/私 が かえす』
その43につづく




