その36
三十六
周りを緑に囲まれた密やかな木蔭。そこに置かれた丸テーブルをはさんで西洋式の華奢なデザインの椅子に腰掛けた妖怪と亡霊が向き合っている。
それぞれの前に置かれた細長いグラスには、氷を抱いて軽く泡だった淡褐色の液体が満たされている。
幽々子はグラスを手にして一口飲むと、小さく首を傾げた。
「これって……ビールじゃないのね?」
「プラム酒のジンジャーエール割りだって。思いついて量産してみたはいいけど、いまひとつ受けなくて、流れ流れて香霖堂まで箱ごとたどりついたらしいわよ」
と紫。
「客にとってはとっつきが悪かったのねきっと。無難に梅酒にでもしとけば良かったんでしょうけど」
葉の隙間から射しこむ陽射しは夏そのものだった。草むらに映る光と影の明度の差は歴然としている。
風は吹いていない。だが不思議に、蒸し暑いわけでもない。空気は澄んでいて、木々の葉の一枚一枚の色さえ鮮やかに見える。
「このあたりって、なんとなくウチと同じような感じねえ」
幽々子はのんびりとあたりを見回す。
「なにかそういう仕掛けがしてあるの?」
「一時的なものだけど、冥界の飛び地みたいにしてあるわ。ここはそういう細工がしやすい場所だから……」
紫はグラスをとりあげ、液体の中で動く泡の粒を眺める。
「なにしろ、あなたのところには行くに行けないから……わざわざこんなところに来てもらう以上はせめて冥界と同じ環境にしなけりゃと思って」
「お気遣いありがとう。でも、亡霊は別にどこにだって行けるのよ。暑さも寒さもさほど気にならないから。ここも眺めはそう悪くないし……別荘でも建てたいくらい。秋になれば彼岸花が綺麗でしょうね」
「幻想郷最悪の危険地域なんだけどね」
紫は苦笑を浮かべる。
「おかげで余計な連中が近寄らないから静かではあるけれど。ところで、そっちの塩梅はどうかしら。九藤くんは相変わらず?」
「そうねえ……」
幽々子はすこし考える風に眼を細める。
「傍から見てる限りじゃ落ち着いてる感じねえ。最近は妖夢とすっかり仲良くなっちゃって……あの人の得意な彫刻とかも教えてるみたいね。妖夢はその手の芸術的な才覚とかには弱い子だから、すっかり心酔してるわ」
「……あのタラシが」
紫は低い声でつぶやく。
「え? なに?」
「いやいや、なんでもないわ。そういえば、妖夢とは戦闘の訓練とかもしてるんじゃなかったけ? そっちのほうはどうなの」
「ああ、あの人形を操る術ね……うん、あれもなかなかのものね。本人は『暇つぶしに付き合ってもらっているだけだ』と言ってはいるけど、それなりに目的をもって技を磨いているんだと思うわね。近頃は屋敷の外にまで人形を飛ばせるようになったみたい」
「屋敷の外……じゃあ、周りの様子も人形を通して『視て』いるわけ?」
「たぶんね。あなたの意向に沿って、そこらへんは好きにさせてるから……あの調子だと、幽明結界の近くまで届くかもしれないわね」
「そう……」
「まあ、彼自身は巫女とか魔法使いと違って飛べないから、結界を越えることはできないとは思うけれど」
「でも探索能力が高まった以上は、『裏口』に気づくかもしれないわね……」
「ただ、あの人なりに時機を計っているのかもね。乱暴なやり方で出て行くとか、そういうことはしないと思う」
「こっちの思惑をだいたい察してるってことかしら?」
「阿礼乙女さんが送ってる資料とかもちゃんと読んでるみたいだしね。なんでそんなものが送られてきてるのかってことも考えてはいるでしょう。もうこの辺りで、直に話をしちゃってもいいんじゃない?」
「……わたしとしては、最後まで『自分の都合だけで行動している妖怪』で押し通したいのよ」
「八雲紫は誰に対してもそういう存在でなければならない?」
「そうよ」
「素直じゃないわねえ」
幽々子はくすりと笑う。
「そうあらねばならないっていうあなたの考えも分かるけどね。でも、不思議ねえ……なんだか妖怪の方がよっぽど人間らしいように思えてくるわ」
「それはあなたがどちらかというと妖怪寄りの存在だからよ。こういうのは、意地っ張りとかへそ曲がりとか言われるのが普通なのよ、人の世では」
「へそ曲がり同士で鍔競り合い中、か。せっかくだから、最後まで見届けさせてもらいますけど」
「そう言ってもらうだけでも、多少気が楽になるわ」
紫は氷が溶けかかったグラスの中身を一気に半分ほど飲み、息を吐く。
「人間らしい人間なんて、ある意味妖怪より性質が悪いわよ……」
**********
斬り下ろされた木刀の切っ先を避ける。次の瞬間、反転して胸元へ。
「なんの!」
上体を振ってかわされ、下から鋭く突き上げられる。
地面近くまで下がり、足元を狙う。
「!」
一瞬、腰を引いて膝を閉じるような動き。
回りこみながら上昇し、手元に一撃。
「くっ!」
後ろに跳躍、同時に弾き返される。
着地と同時に左右の足周りから砂塵が上がり、身体全体が後方にスライドする。
『…………』
反転して、彼女の正面に戻る。
息の音。額には、かなりの汗。頬の色も赤い。
『……いったん、休みましょう』
「まだいけます!」
『いや、こっちも集中力が切れてきていてね。正直、限界に近いんだ』
「そうですか……それでは」
妖夢さんは構えていた木刀を下ろす。
私は人形は手元に呼び戻し、本体に意識を戻した。
隠れていた木の陰から出て、彼女が立っている南庭に出る。陽射しがまぶしい。
「それにしても、よくあれだけの動きができる……前よりも反応が速くなったのは間違いないよ」
彼女にしてみれば動きのすばやい獰猛な鳥に間断なく攻撃されていたような感じだったはずだ。身体が人形に接触すれば、気力を吸い取られるので、木刀で弾き返すか、避けるかしなければならない。
「最後のやつも、ほとんど効かなかっただろう?」
「そうでもないです。もうすこし早く下がれたはずですが……遅れました」
妖夢さんはそう言うと、口元に手をあて、すこし羞じらうような表情になる。
「正直、殿方との戦いにはこの恰好はよくないように思います……」
「? いつもの服じゃないか」
「スカートだと、下からの攻撃のとき……その、よけいなことを考えてしまうので」
「ああ……」
まあ、その瞬間『視られて』いる感じはあるのかもしれない。この人形は文字通り私の分身として機能しているのだから、まとわりつかれているという感覚に近いだろう。
こちらは実際にはそれどころではないのだが。
「もうすこし運動に向いた服を調達することを考えたほうがいいのかもしれないね」
「はい……あとで人里に行くので、そのときに見てこようと思います。あ、それから……例の彫刻用の小刀、あれも探してみます」
「そっちは無理はしなくていいよ。ちょっと傷とかを直したいと思っただけだからね」
ここに来てからかなり使い込んでしまったので、人形のところどころに傷や凹みができてしまっている。せめて顔の部分でも修正できればと思っていたのだ。いま教えているレリーフの制作のときは彼女が持っていた和風の小刀を使ってもらっているが、あれだと細かい部分の修正はやりづらい。
「お茶を淹れて参りますので、縁側でお待ちください」
「ああ、ありがとう」
建物の中に入ってゆく妖夢さんを見送り、縁側に腰を下ろす。
相変わらず風はないが、陽射しが強い割には暑さを感じない。この不思議な静けさに包まれた透明感のある世界に、いつのまにかなじんでしまった。だが、そろそろ期限は迫っている。どこかで、動かなくてはならないだろう……。
彼女はいま、どうしているだろうか?
**********
「盆も正月もないっていう言い方はあるが、送り盆に力仕事に励む巫女ってのはどうなんだ?」
「新暦のお盆なんて、暦上の意味合いはたいしてないわ。しかも元々は儒教の風習と仏教の風習が混じり合ってできてるんだしね」
霊夢は鍬を使って土の上に撒かれた砕石を均しながら答える。
「それに、こんな恰好で巫女だなんて誰も思わないわよ」
半袖のシャツにジーンズ、長靴というその姿は、確かに本来の生業のイメージとはかけ離れていた。ジーンズは外界に行ったときのものをそのまま使っていたので生地は厚手、夏向きではない。
「まあな……」
魔理沙はため息をつく。
「しかし、身体の方は元気なようでなによりだ」
「おかげさまでね。この仕事って身体の鍛錬になるのは確かよ。そのせいか、こっちのほうも万全」
そう言うと、霊夢は自分の前髪を一本ぷつりと抜き、砕石のひとつに結びつけ、道の崖から空中へと放り投げた。
見る間にそれは一個の霊弾となり、青白い光を放ちながら一直線に飛んでいった
「!」
と、光点となった霊弾が静止し、見る間に時間を巻き戻したごとく、高速で飛んできたかと思うと、まるで飼いならされた生き物のように霊夢の手中へと戻った。
「……なるほど。精神的にも問題ないと」
「レミリアが十人、団子みたいになって襲ってきても大丈夫よ。まとめて串刺しにしてあげる」
「レミリアの串団子ってのは、あんまりうまくなさそうだな……ああ、それでさ」
魔理沙は思い出したように言う。
「香霖が夏向きの飲み物を仕入れたっていうからさ。香霖堂で一杯やらないかっていう話をしにきたんだが」
「……その夏向きのなんとかってお酒なの?」
「酒のようで酒じゃないっぽい酒なんだそうだ。ただ、こっちに持ってくると冷し直すのが面倒だからさ。向こうに行けば冷えたのが飲めるって話さ」
「そう……まあ、ツケで飲ませてくれるんだったら考えないでもないわ」
「ツケどころか、きちんと金を払っておごるぜ。最近は、それなりに稼いではいるんだぜ? 仕事の売り込みもしてるからな」
「……そう。そこまで言ってくれるんなら、付き合うわ。ただ、この格好じゃ、さすがにね……着替えてから行くから、先に行ってて」
「分かった、待ってるぜ」
箒にまたがって飛び去ってゆく魔理沙を見送りながら、霊夢は小声でつぶやく。
「気を使わなくてもいいのに……」
そして、石を均した道を振り返って見る。一日分の作業としてはかなり進んだほうだった。
「まあ、いいか。たまには」
☆★
「彫刻に使えるような刃物?」
霖之助は、妖夢の要望を聞いて、前にも聞いたような話だな、と思う。
「ええ。あまり大きなものではなく。小刀よりももう少し小さい感じで……」
「まあ、外の世界にはそういう工芸に使うための専用の道具というのはいろいろあるとは聞いているけど……そうだねえ」
霖之助は、店内の一隅にある窓付きのケースのあたりを見ていたが、そのうちの一つを開いて、折りたたみ型のナイフを示した。
「これなんかどうかな。刃に厚みがあるし、刃の形が先に向かってこういう風に曲がっているから、あて方によってそういう風に使えないこともないと思うけど」
「ん……そうですね」
妖夢はナイフを受け取ってその刃を形状をしげしげと観察した。
「持ちやすいし、確かにこれなら使えそうな感じがします。おいくらですか?」
勘定を済ませて、妖夢が店を出ようと入口の引き戸に手を伸ばした途端、がらりと開いて人の姿が現れる。
「魔理沙……さん」
「いよう。奇遇だな、妖夢。お前も食い過ぎ亡霊に頼まれて夏向き飲料を仕入れに来たクチか?」
「幽々子様はそんな大食いではありません……それでは」
「なんだおい、やけによそよそしいな。というか、なんだかお前、妙に緊張してないか? なにかここで、いかがわしいもんでも買ったのか?」
すると、カウンターの後ろから霖之助が声を出す。
「魔理沙。うちには『怪しいもの』はあるかもしれないが、『いかがわしいもの』は置いてないぞ。そこのところは間違えないでほ欲しいな」
「たいした違いはないように思うがなあ……」
「失礼します」
妖夢は魔理沙から逃げるように去ってゆく。
「なんだありゃあ……あ、もう飛んでっちまった」
「まともなお客に対して嫌がらせまがいのことはして欲しくないな……店の印象が悪くなる」
「わたしだって、今回はいちおうまともな客だぜ? ちゃんとお金は払うんだからな」
「あたりまえのことを自慢気に言うんじゃないよ……」
霖之助は呆れたように言う。
「しかし妖夢のやつ、いったい何を買ってったんだ? 亡霊屋敷で必要になりそうなものなんか、ここで売ってたか?」
「売っていたから、お買い上げいただいたのさ。断っておくが、何を買っていったかなんて教えるつもりはないぞ? 客の秘密を守るのは商売人として最低限の義務だからな」
「ふーん……しかし、だ」
魔理沙はにやりとした。
「推理するのは勝手だよな。ここの店はろくに掃除もしていないから、床にほこりがついてる。ところが、久々に客が来たもんだから、できたての足跡がついてるな……その足跡はそっちのケースの近くに行ってる」
足跡をたどってケースのそばに歩み寄る。
「このケースを開けたんだな。これまた、指の跡がついてるぜ。そして……ここはあれか、刃物関係か。そういや、ナイフがあったような気がするな。折りたたみの。どうだ?」
「…………」
霖之助は、黙ったままだ。だが……。
「なんでお前はそんなことまで知ってるんだよ、って顔してるな。男ってのはどうしてこう隠し事が下手なのかねえ」
魔理沙はふたたび入口近くまで戻ってくる。
「ナイフの柄の模様とかが、印象に残ってたのさ。西洋系のアイテムには注目してるからな。しかし、あんなナイフを妖夢が使うかね? あの御仁は亡霊屋敷に近づいてきた奴を片っ端から撫で斬りにしまくるのがお仕事だろうに……」
「武器として使うとは限らないだろう」
「まあ、わたしみたいに森ん中に住んでる奴とかなら、あの手のナイフは必需品だけどな。あとはまあ趣味で何か作るとか……」
すると、霖之助が小さく「あ」と声を出した。
「ん、なんだ?」
「いや……ちょっと思い出したことがあって」
「何だ?」
「うーん……」
「言えよ。そこまで言ったんなら、言え。大事なことなんだろ?」
「実は、前に九藤さんに、訊かれたことがあったんだ」
「!……何をだ?」
「彫刻に使える刃物がないだろうかって……」
その37につづく




