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その37



     三十七



 私は資料を読み返し、もう一度要点をまとめる作業に没頭していた。


 いちばん肝腎な点は、『彼』が出現したときに何が起きていたか、だ。


 あの日、私が人形をあの神社に持っていったときに、幻想郷側では蓬来山輝夜と妹紅が無縁塚という結界の交差点のような場所で戦っていた。だが、そのときに何が起きたかは二人は分からないという。


 その後『彼』自身がそのことを検証するために無縁塚に行った時、風見幽香と魔理沙の戦いの中で、独特の現象が起きた。瘴気が彼女たちの戦いに引きつけられるように集まり、戦いを中断させるべくその瘴気の渦の中心へと突入した『彼』を中心に、特異点が生まれた。その特異点は瘴気を吸い込み、そして人の身体や精神をも吸い込んでしまう、ブラックホールのような代物だったらしい。それは、瘴気が博麗霊夢の力で浄化された時点で解消した。


 複数の人物の証言によって裏付けされたというこの話は、ほぼ事実に近いと見ていいのだろう。つまり、その特異点は、無縁塚という環境、瘴気の集中、そして依代の出現という条件が満たされることで発生したのだ。


 とすれば、『彼』が出現したそのときも、この条件が満たされたという可能性が高い。


 そして、無縁塚の近辺は、外界との接点とされる博麗神社と共通点があるという。外界からモノや人が入り込みやすい場所だということだ。外界から見れば重なりあっているようなものだという説もあるらしい。


 私が人形を持ち込んだあの日、その人形が無縁塚に出現したらしいということは、その人形を八意永琳が紅魔館に預けに行ったという話で裏付けられている。一方、『彼』の魂は博麗神社の彼女の身体に宿った。それは、無縁塚と博麗神社が何らかの形で接続されている、あるいは接続され得る場所だということを示唆している。


 では、どういう順序でそれらの事象は起きたのか。


 おそらく、こういうことになるのだろう……。



 輝夜と妹紅が無縁塚で戦った。


 瘴気が彼女たちの周りに集まり始めた。


 依代(人形)が結界を通り抜けて外界から無縁塚に出現した。


 瘴気が依代に向かって集中した。


 特異点(境界の裂け目?)が発生した。


 その特異点に『彼』が出現した。



 その後に集中した瘴気が誰によって祓われ、特異点が解消したのか、そしてなぜ『彼』が彼女の身体に出現したのか……そのあたりは不明だ。だが、少なくとも『彼』が特異点に出現する条件ははっきりしている。


 そして、さらに条件を加えるならば……。


「マサキさん」


「?!」


 私は驚いて後ろを振り向く。気配がまるで感じられなかった。


 障子を隔てた廊下に、この屋敷の主人、西行寺さんが立っていた。相変わらずの不思議な気配。というか、まるで空間に浮いているような、淡い存在感。


「ごめんなさいねえ、いきなり来ちゃって」


「いえ、私はかまいませんが……どうかされましたか」


 彼女はふだん奥の間にいるらしく、表の方にはめったに出てこない。たまに呼ばれてお茶をご一緒させていただくぐらいだ。


「実は、うちの『入口』にあたるところに、黒白魔法使いが来ちゃって……」


「!……魔理沙ですか」


「ええ。それで、屋敷の中を改めさせろって。要するに、なぜかは分からないけど、ここにあなたがいるんじゃないかって勘づいたらしいの」


「…………」


「いま妖夢が相手をしているけど、この手のことはスペルカード戦で決着をつけるのが通例だから、おそらくそういう話を突きつけられていると思うのね。まあ断ることもできなくはないんだけど、そうすると次にどういう事態になるかが分からない」

 つまり、加勢に来る者が現れるかもしれないということか。


「それでねえ……妖夢もけっこう強いんだけど、スペルカードルールで戦う以上は必ず勝てるとは限らないのよね。で、負けちゃうとあなたのことはバレちゃうわけ」


「ははあ」


「どうかしら……この状況だと、いま帰るのはまずいんじゃないかって、あなたも思わない?」


 確かに、いまここで帰ったところで余計な混乱を招くだけだという気はする。永遠亭に対する問題もある。


「そこで、ひとつわたしから提案があるの。あくまでもわたしの独断なんだけれどね……」



     ☆★



 私と西行寺さんは屋敷の外へと出た。以前ここに妖夢さんの案内で入ったときは真夜中だったので、周辺の様子はさっぱり分からなかったが……。


 今回も、あまり分かりやすいとは言いがたい。


 見た目は幻想郷の野山とそう変わらないような気もするのだが……存在感が淡いというか。芝居の書き割りが大掛かりになっているような、そんな印象だ。そして周辺には、なにか気配の塊のようなものが飛び交っているような気がする。


 ある意味、こここそが幻想郷という呼び名のイメージに近いかもしれない。


 やがて、前方が霧のように霞んできて、視界が狭くなってきた。


 前を進んでいた西行寺さんが立ち止まり、たたんだ扇子で前方を指し示す。


「この先に、幽明結界という境界があるの。そこはちょっと普通の人間には行きにくいところなので……」


「なるほど」


「まず、わたしが妖夢に代わって魔法使いさんの相手をしてるから、あなたはここで準備をしておいてくれる? 妖夢が戻ってきたら案内してもらって、わたしのいるところまで来て」


「分かりました」



     *********



「急用ができた? なんなのそれ……」


「いや、お金はおいていくから、霊夢が来たら飲ませてやってくれ、とは言われてるんだが……」


 霖之助は、すこしぎこちない口調で言う。


「まあ、座りなよ。魔理沙のことだから、またすぐ戻ってくるかもしれない」


「ふうん……」


 霊夢はやや疑念のまなざしを向けつつ、カウンター近くにおかれている椅子に座る。


「そういえば霖之助さん、最近紫ってここに顔出した?」


「えっ? ああ、そういえば、ついこのあいだ、ふらって現れてこれを買っていったな。なんか珍しい飲み物が入ったって聞いたからと」


 霖之助は桶に入った井戸水につけてあった缶を取り出しながら言う。


「ふうん、ここには来たりはするのね」


「きみのところには来ないのかい?」


「ええ。先生がいなくなってからこっち、ぴたりと出てこなくなったわね」


「九藤さんか……」


 霖之助は、缶のプルトップを起こし、カットグラスに淡褐色の液体を注ぐ。泡立つ音がかすかに響く。


「きみは、彼がやってた参道の整備をしてるんだってね。進んだのかい?」


「それなりにね。男の人のようなわけにはいかないけど。でも、おかげでいろいろと感じることはあった。あの人がいったい何を考えながらこんなことをやっていたのか、とか」


「……分かったのかい、彼の考えていたことが?」


 霖之助はカウンター越しに霊夢にグラスを手渡す。


「細かいことは分からないけどね。ただ、ひとつだけ感じたのは……」


 霊夢はいただきます、というようにグラスを軽く持ち上げてみせた。


「『自分のためにやる』なんていう単純な理由じゃ、あんなことは続けられないっていうことね」


「…………」


 霖之助は、グラスを傾けて中身を飲む霊夢の横顔を、寂しさと嬉しさが混じりあったような複雑な表情で見つめた。


「うーん……変わった味ねえ。いちおうお酒みたいではあるけど」


「そうだな。変わり者にはふさわしい味ではあるね」


「だからこそ、こんな変わった店に流れ着いちゃったんでしょうよ」


 霊夢は空になったグラスを見つめる。


「自分にふさわしい場所に、ね」



     **********



 上下左右、霧で囲まれたような曖昧な空間。それは、まさにこの世とは異なる世界の風景だ。


 目の前には、箒にまたがった白黒ツートーンの服に身を包んだ少女が浮いている。こんなところまで自力で来れるというのはやはりたいしたものだ。


『私だよ、魔理沙』


 私はひさしぶりに会ったその魔法使いの少女に声をかけた。ただし、彼女の眼に映る姿は私自身ではない。


「も、もしかして、チビ……なのか!?」


 私はそれには答えずに言った。


『わけがあって、ちょっとここに世話になっているんだが……今日はこのまま黙って帰ってくれないか? そして……できれば、私のことは霊夢には伝えないで欲しい』


「だっ……な、なんだよ、どういうことだよ? そりゃあ、ここは冥界、死者のいる世界だ。だから、お前がここにいるってこと自体は不思議じゃないさ。だけど、なんでその器が九藤さんの作った人形なんだよ!」


 死者のいる世界か……だからこそ、ああいった不思議な透明感に包まれた光景だったわけだ。


『しかし、前の器も彼が作った人形だしな』


「いや、それはそうだけど……! でも、それじゃ九藤さんはどこにいるんだよ!」


 そこで、私は答えた。


『彼は必ず幻想郷に戻るよ。それも近いうちにね……そう、あとひと月ぐらいだ』


 たぶん、この答は魔理沙だけではなく、彼女も知ることになるだろう。そして、こちらの意図に気づくだろう。


『秋の彼岸の中日の夕方……去年、私が幻想郷に初めて入ったその日と同じ日に、私は還る。そして九藤雅樹もね』


「……!」


『その日がくるまで、このことは秘密にしておいて欲しい。そうしないと私がこれまで積み上げてきたことがすべて無意味になってしまう。それと、もうひとつきみにお願いしたいことがある』


「……なんだ」


『私が還るその日、霊夢は神社にいるはずだ。その彼女のそばについていて欲しい。そして何が起こるかを、見届けて欲しい』



     **********



 木彫りの人形が魔理沙の相手をしているその後方で、妖夢は幽々子に詫び続けていた。


「わたしが未熟なばかりに、こんなことになってしまいました……」


「いやあ、まあ……結果としてはちょうど良かったんじゃないかしらね」


 幽々子は微笑みながら言う。


「……ちょうど良かった?」


「おかげで潮時がいつ頃なのか、はっきりしたし。鍔競り合いもそろそろ終わりにしたほうがいいのよ」


「はあ……」


 そして、幽々子は前方の様子をうかがったあと、妖夢の肩に手をおく。


「どうやら魔法使いは帰っていったみたいよ。彼の『本体』がいるところに戻りましょう」


「……はい」


「人の世には、ちょっとしためぐり合わせが作る綻びが要ることもあるの。彼らはわたしたちとは違って、変わり続けるさだめを背負っている者たちだから……きっかけがあれば変わることができる」


 幽々子はふわりと浮き上がって、きた道を戻り始めた。


「マサキさんは、変わり続けることを選んだのよ」



その38につづく

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