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38/46

その38


     三十八



 庭の木々が少しづつ赤く色づきはじめていた。陽射しはまだ夏の頃と同じぐらいの強さのように思えるが、庭石や地面を照らすその色は熱さを感じさせるものではない。


 相変わらず空気にはほとんど動きがない。といって、淀んでいるというわけでもない。むしろ重なりあった木々の向こうまで、枝や葉の色がくっきりと見えている。不思議なほどに透明感のある情景だった。


 と、廊下から足音が聞こえてきた。やがて、開いた障子の向こうに、膝を折った少女の影が映った。


「九藤様、いまよろしいでしょうか?」


「かまわないよ」


「あの、お客様がおみえになりまして」


「私にかい?」


「はい」


「そうか。ついにいらっしゃったか」


 そろそろか、とは思っていたが……辛抱していたかいがあったというものだ。


「座敷でお話をということですので、そちらに」


「分かった」


 私は立ち上がった。


 妖夢さんの案内で庭に面した廊下を進み、座敷に達した。深みのある色合いの座卓をはさんで向かい合わせに座布団が二つ置かれている。


 私は下座側の座布団の上に着座した。


「あの……まだおいでになるまでは間があると思いますので、お茶を」


「ああ、ありがとう」


 妖夢さんが出してくれた緑茶を一口すする。


「ここにご厄介になってからは、あなたにはずいぶんお世話になったね」


「!」


 彼女は、はっとしたような顔で私を見る。


「そんな……わたしは大したことはしておりません。修行の相手をしていただいたりして、むしろわたしのほうがお世話になったとさえ思います」


「私ごときを相手にして、あなたの鍛錬の足しになったかどうかは正直分からないが。そう言っていただけるのならそれはそれで良かった」


「…………」


「これから来る客人が私の予想通りのひとであれば、私はここをおいとますることになると思う」


「……はい」


 妖夢さんは、そこですこし複雑な感じの笑みを浮かべた。


「九藤様は不思議なかたですね」


「不思議? どうして」


「ほとんど理由を知らされないまま、この屋敷に連れ込まれて……何ヶ月ものあいだ過ごされて。初めの頃は、わたしはかなり緊張していたのですが。なにか、その……思い切ったことをされるのではと」


「脱走とか? それはまったく考えなかったね。幻想郷じたいが人智を超えた世界だしね。下手にじたばたしても仕方ないと思ったのさ」


 もう一口お茶を飲む。緑茶の香りが、頭の芯に拡がっていくかのように快い。


「本来向きあうべきだった問題から眼をそむけていたのも確かでね……ここに来たおかげで、いやおうなくそれを思い出すことになった。阿求さんから資料が送られてきた意味も分かったし、私が幻想郷に来る前に起きていたことを知ることができた。そういう意味では感謝してるんだ、私をここに連れてきてくれたひとにはね」


 と、廊下から誰かが近づいてくる気配が感じられた。


 私は眼を上げて、障子の縁から姿を現したその人物を見つめた。


「わりと遅かったじゃないか」


「……これでもタイミングを計って来たのよ」


「それは失礼した」


 彼女は座敷に入り、座卓をはさんで私と向き合う形で座った。


 妖夢さんは、彼女にもお茶を出すと、一礼して障子の向こうへと姿を消した。


「久し振りだったね」


「そうね……」


 それから、軽くため息を吐いて言う。


「もう、さすがにわたしのことを『酒井』とは呼ぶ気にはなれないんじゃない?」


「……『彼』はきみのことをなんて呼んでたんだ?」


「紫さん、ね。まあいちばん最初だけ、彼は八雲さんと呼んだんだけど、変えてもらったの」


「ゆかりさん、か。下の名前ではあるが、やっぱりすこし遠い感じがするな」


「本気で言ってるのよね……」


「こんなことを冗談で言う意味はないだろう? 感じたままを言っているだけだ」


 私は茶碗に残っていたお茶を飲み干した。


「前から思っていたけど、あなたって、妖怪じみたところがあるわね」


「それは褒め言葉なのかな。まあ、妖怪は人間よりも優れたものという前提でとらえれば、褒めてもらっていると解釈していいんだろう」


「このあいだ魔理沙が来た時に『彼』のフリをしたのは、その場の思いつき?」


「思いつきというより、流れのままにという感じだろうな。自分のしゃべっていることをトレースしながら同時に考えるなんてことは不可能だからね、ただの人間には」


「結果的にはそれは成功したわ。魔理沙は霊夢にさえ話していないみたいよ」


「そうか」


 あとでどんなしっぺ返しがくるかは分からないが、とりあえず良かった。


 単に私自身として人形に憑依した姿で魔理沙の前に出て行っても、冥界に私が隔離されていたということを告げるだけになってしまう。だったら、その先にもっと重要なことがあるという印象を与えたほうが秘密を守ってもらえる可能性が高い。そのための演技だった。


「わたしのこと……いつごろから、解っていたの?」


「阿求さんから話が来た段階でもうだいたい見当はついていたよ。わたしが阿求さんの家に招かれたことを知っている人はあまりいない。前に神社できみが出てきた時に話をしただろう? あれぐらいだったんだよ。そうなると、消去法でほぼ決まるんだ」


「じゃあ、あなたをここに拉致した理由も?」


「それについては、結論にたどりつくまでにすこし時間がかかった。永遠亭の人たちが追い詰められる理由は何か? まず思いついたのは私が何か質の悪い病気か何かを持ち込んだという可能性だ。ただ、あのときの状況を考えてみると、例のイヅナくんとの勝負と関係しているとしか思えない。何しろ、里に帰ってきてからすぐに阿求さんの家に連れて行かれたわけだから。あのとき起きたこと……それも、私が意識を失っているときに起きたこと。原因はたぶんそこにある、そう思った」


「…………」


「あの勝負の直後に私のところに来た霊夢さんは、私から大きな『力』が放たれた、と言った。そして私がその『力』を制御できていなかったとも。そんな『力』を備えた者が人里に住んでいたら危険だ、というような理屈も成り立ちそうではあったが……永遠亭の人たちを危うい立場にするとは思えない。何かもっと致命的なことが起きたんだ」


 そこで、あの紅魔館の主人の妹さんの言葉を思い出したのだ。


『他の者を無に帰すための不死』


「……だが、この話はそこまでにしておこう」


「どうして?」


「副次的なことだからさ。肝腎なのは、それは私がここに隔離される理由としては十分だった、ということだ。きみの判断は正しかった」


 いまこの話を下手にすると、こじれる。だいたい、私自身、自分の身体が本当にそうなのかを確かめたわけではない。妖夢さんとの稽古のときに、打撲などの怪我の治りの速さを意識した程度だ。だったら、このまま脇においておいたほうがいい。


 しばらく沈黙したあと、彼女は声を低めていった。


「……霊夢は知っていたのよ」


 たぶん、そうだろうなとは思っていた。


 あのとき、袖がまるごと無くなっていたから、おかしいとは感じていた。


「きみもあの勝負をその場で見ていたのか?」


「ええ。萃香が来てるっていう知らせを受けたから。気まぐれさにかけてはわたしにひけをとらないから、ちょっと心配でね……あの直後、阿礼乙女に話をつけに行ったのはわたしよ。正直、無理なことをしてもらったとは思ってる」


「そうだね。とにかく短い間に一気に段取りを作ったから、いろいろ無理があったんだろう。だから、阿求さんも動揺を隠せなかった」


「芝居の出来がお粗末だったというわけね」


「きみはやるべきことをやっただけだ」


 私はできるだけ穏やかに言う。


「すくなくとも、きみは自分の行動が周囲にどう影響を与えるか、十分承知していただろう。それをふまえて、最善と考えられる処置をとった。それなら、私もその努力に答えて、自分がやるべきことをやるだけだと考えた。だから、時機が来るまで待った」


「……九藤くん、相手の立場を慮って非難を一言も口にしないっていうのは、優しさでもなんでもないわよ」


「私はきみに優しくしているつもりなんかない。これはすべて……」


「『自分のため』、なんでしょ!」


 声が震えている。


 この手の演技力に関しては、並はずれた能力を持っている。大学時代はさんざん騙された。ただ、今回、この状況であえて感情的な演技までする必要があるのかどうか。


 まさか、私に甘えているのだろうか? いくらなんでも、それはないだろう。いまこの場では彼女は八雲紫なのだから。


「自分がやるべきことに向かって精一杯の努力をしているひとを非難したくないんだ。たとえそれが結果として私に災いをもたらすものであったとしてもね。私に対して後ろめたいというんだったら、自分で気が済むような方法を考えて……」


「あなたに対して後ろめたいなんて一ミリも思ってないわよ。わたしが言ってるのは霊夢のことよ!」


「…………」


「わたしが黒幕だってことはあの子だって、とっくに分かってるんだから。それなのに、何も言って来ない。前はわたしを呼び出すために、結界を緩めたりなんてことを平気でするような子だったのに……どういうことよ?」


「当然、きみが置かれてる状況を理解してたんだろう」


「生意気よ、人間の女の子のくせに……」


「幻想郷の要たる博麗の巫女が精神的に成長しているのは、喜ばしいことじゃないのか?」


「もちろん喜ばしいわ。でも、それをあなたに言われたくない!」


 どうして私は幻想郷の連中を怒らせてばかりいるのだろう。やはり人徳の問題だろうか?


「……話を戻そう。きみは、私を迎えに来てくれたんだよな?」


「そうよ」


 拗ねているような顔にしか見えない。立場を忘れてしまっているのだろうか。まあ、私個人としてはかまわないのだが。


「あなたの『実験計画』に乗っかるしか方法がないんだもの」


 実験計画か……まあ、たしかに実験と言い方がふさわしいのかもしれない。


「じゃあ、ひとつよろしく頼むよ。幻想郷のフィクサーであるきみに協力してもらわなきゃ、この話は先に進められないからね」


 私はこれまで整理してきたことを思い出しながら言った。


「まずは、一緒に永遠亭に行こう」



その39につづく

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