その34
三十四
小雨の降る中、傘をさした子供たちが次々と寺子屋の玄関から出ていき、生垣の向こうへと向かった。
やがて最後の一人が視界から消えるのを見届けて、慧音が引き戸を締めようとしたとき、黒い人影がふらりと眼前に現れた。
「よう。ちょっとご無沙汰だったな」
「……どうぞ、上がって下さい」
「いや、ここでいいよ。手紙のこと、霊夢から聞いたんでな。持ってきてくれるか?」
慧音は小さくうなずき、いったん廊下の奥に姿を消す。
やがて戻ってきた彼女の手には、封をされた書状があった。
魔理沙に手渡されたそれの表書きには細い筆字で「霧雨魔理沙様」とあり、裏には同様の字で「九藤雅樹」と書かれていた。
魔理沙は立ったままその書状の封を開け、中身を取り出して読んだ。文章は細い筆で、墨で縦書きで書かれていた。
魔理沙さんへ
突然のことであなたも面食らっているだろうし、もしかしたら怒っているかもしれない。だが、今回のことはあくまでも阿求さんたちの助言にしたがって私自身が決めたのだということをまず分かってもらいたい。
私が里の人々と一緒に生活することによって、ある一部の人たちに迷惑がかかるということが分かった。この一部の人たちが誰かということについては、いまここでは明らかにはできない。ただ、その人たちは、里の人々にとってとても大事な役目を果たしていて、彼らに迷惑がかかると、結果として里の人々全体にいろいろと損害を与えることになる。
だから、私は里を出ることにした。当面は、隠遁生活という感じになるだろう。
そして、私自身、どういった理由でどういった迷惑をかけることになったのかを知らされていない。だから、これについても説明することができない。
現状ではこちらから知人に会いに行くというようなことができない。といって、べつにどこかに監禁されているとかそういうことではない。人間としての生活は、すくなくとも前に住んでいた家と同じ程度には成り立っている。ただ、行動には若干制約があるということだ。
また、私のいまの住まいがどこかというのも明かすことができない。
こういう風に書くと、なんだか私が誰かの都合によって一方的に不自由を余儀なくされている、極めて理不尽なことだときみは思うかもしれない。
だが、そのあたりを承知した上であえてお願いしたい。
どうか、私の居場所を探索しないで欲しい。それは私自身にとっては何の利益ももたらさない。むしろ困ってしまう。
きみには普通の人間にはない力がある。だから、きみの意思次第で、できることもあるだろう。わたしがそれを阻止できるわけもない。だから、これは単なるお願いに過ぎない。
そして、今回の件を決めるにあたって、私が助言をもらった阿求さんと、里を出て寺子屋の教師を休職することについて合意をしてくれた慧音さんをどうか追求しないで欲しい。まるで、きみが追求すると決めてかかっているような言い方をして申し訳ないが。
この状況がどれぐらい続くのかは、正直分からない。だが、いい方向にもっていくための努力はしていくつもりだ。私にだって、まだやりたいことはいろいろとあるしね。
とにかく、いまはまだ不透明なことが多すぎるので、これ以上は私の方から説明できることがない。
大人の言うことは正しいとは限らない、というきみの意見はまったく正しい。だから、私がここで書いた内容についてはきみ自身の判断にゆだねるしかない。もちろん、行動についても。私の都合できみを縛ることはできないからね。
私はそんなに逼迫した状況だとは考えていない。ただ、結局のところ、これは私自身が解決していかなきゃならない問題だと思う。
いずれにせよ、これっきりきみと会えないとか話せないとかそんなことは絶対にない、と確信している。
それでは、そのうちにまた。
九藤雅樹
「……まったく、見透かしたようなことばっか書きやがって」
魔理沙は小さく鼻を鳴らし、手紙を畳んで服のポケットにねじ込んだ。
「もしわたしに訊きたいことがあれば、言って下さい」
慧音の言葉に、魔理沙の瞳が一瞬いらだちの色を見せたが、すぐに元に戻った。
「まあ、やめておくよ。どっちにしたって、肝腎なことは教えちゃくれないんだろう。それに、どうせこれはあんたらが考えたことじゃないんだろうしな……」
「…………」
「もしも九藤さんに連絡できるんだったら、伝えておいてくれよ。わたしはいきなり馬鹿げた行動には出たりしないから心配するなって」
「……申しわけありません、それは」
「いいんだよ。連絡手段があるかないかも答えられないってことだろ? ひとりごとみたいなもんだと思ってくれ。ああ、それからこの件とは直接は関係ないが、妹紅は最近どうしてるんだ?」
「妹紅……ですか」
慧音の額に陰りが浮かぶ。
「わたしも正直良くわかりません。里の人たちの永遠亭への送り迎えはやっているようですが、それ以外で何をしているのか……実は、ここのところあまり顔を出さないので」
「そうか。まあ、あいつのほうが周りの連中にしてみると危ないんじゃないのかという気はするな。妹紅あての手紙ってのも当然あったんだろう?」
「ええ。たぶん内容は同じようなものではと思いますが」
「わたしや霊夢とは立場も考え方も違うだろうからな。九藤さんの言い分にすんなり納得するとは思えない」
魔理沙はちいさくため息をつく。
「……霊夢さんはどうしてらっしゃいますか」
「ああ、まあ……なんていうか、とりあえず今は参道のほうに専念してるぜ。気が紛れるのは確かだろう」
魔理沙はそう言うと、手を上げた。
「邪魔したな。もし妹紅を見かけたら、あんまり無茶するなよって言っておいてくれ。周りが迷惑だからな」
小雨の中を飛び去ってゆく魔法使いを見送る慧音の横顔には憂いがいつまでも残っていた。
☆★
「ああ、あの寺子屋の男の先生ね……聞いたよ。けっこう子供たちは懐いてたんだけどね」
「里の外で調べたいことがあるんだって。なんか学があるひとらしくて、いろいろと見て回りたいって話だって」
「あんまり危ないところにいかんほうがいいと思うけど、ちょっと変わりもんだって話だし」
「そういえば、山の神社のほうにもよく行ってたっていうけどねえ。あれもなんか調べとったんかな」
「神社に行く道を作ってたって話か。あれはどうなったんかな」
「どっちにしてもあそこも妖怪だらけだしな。道を作っても、あんまり役には立たないだろうに」
「いつごろ戻るかって? そりゃ分からんね。慧音さんに聞いてみればいい」
「そのうち帰ってくるんじゃないかって、あたしはそう聞いたけどね」
☆★
夜更けの永遠亭の一室で、てゐはこれまでの人里での聞き込みの結果を永琳に報告していた。傍らには輝夜も同席している。
「とにかく本人が急に言い出して、里から出て行ったってことぐらいしか分かりませんでした。寺子屋を辞めたっていうわけじゃなくて、里から出て調べたいことがあるからしばらく休むっていうことなんですけど……かなり怪しい感じです」
てゐは身振りを加えながら話をする。
「例の晩のことは里の連中は全然知らなかったみたいです。あんな時間に里の外に出る者はいないし、弾幕戦みたいに派手な光や音もなかったみたいだし、気が付かないのは無理ないんですけどね……まあ、こっちも薬の入れ替えのついでって感じで、できるだけ気取られないように話をもってったんで……あんまり根掘り葉掘りってわけにもいかなかったんですけど」
「そうね。あまりやり過ぎると、狭い人里のことだし、こちらの動きを他の連中に気づかれれないとも限らないわ」
永琳はやや硬い表情でうなずいた。
「あと、家の周りの様子は?」
「うーん、わたしの見た限りじゃあ、特に何も変わっちゃいませんでしたね。周りに張り付いてるやつとかもいませんでしたし。近くには見張りを置いてますけど、いまのところ連絡はないです」
「そう……それにしても、ずいぶん素早い行動に出たものね。あの晩の次の日にはもう姿がなかったわけだから」
「確かにね。妙に早手回しというか……なんとなく、らしくないというか」
「そうね。それはわたしもそう思う」
永琳は考えこむように視線を落とす。
「どちらかというと周りの動きをよく確かめた上で着実に前に進もうとする感じよね、あの人は」
するとそれまで黙っていた輝夜が言う。
「やはりあのことに気づいた、ということかしら?」
「……でも、もしそうだとして、ここまでことを急ぐ必要があるとは思えないんだけどね」
永琳の反論に、輝夜は微笑で答える。
「もしかすると、わたしたちのことを考えてくれたからじゃないの? 正直、何かの拍子に明るみに出たら、蓬莱の薬を彼に与えたのか、と周りから疑われるのは間違いないところよ」
「まあ、薬に関しては普通に考えればあり得ないことだけど……でも、他に方法がないということになれば、疑われるのはやむを得ないところね」
「彼は外界でそれなりに学問を修めた人なのでしょう? だとしたら、永遠亭がいま人里にとっては大事な存在だということは分かっているのじゃない? その永遠亭の立場が悪くなってしまったら、それは結果として里の連中も困ることになる」
永琳はかすかな驚きを見せる。
「じゃあ、彼は自分が不死であることが周りの人たちに悟られないよう、あえて里を出た?」
「あり得ることじゃない?」
「…………」
「いずれにせよ、いまはわたしたちは下手に動かないほうがいいでしょう」
輝夜は静かな口調で告げる。
「でも、わたしたちが……いえ、たぶん、このわたしね。わたしが、何をしてしまったのかはいずれはっきりさせなくてはならない。彼が不死になってしまった理由はそれ以外には考えられないのだから」
その35につづく
ここでまたいったん連載を中断して一週間のお休みをいただきます。再開は2012/2/22(金)です。よろしくお願い申し上げます。




