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その33



     三十三



 博麗神社の母屋の茶の間には、障子越しに人影がふたつ映っていた。


「そう……それでレミリアが里まで?」


「はい」


「永遠亭もうかつな動き方はしないとは思うけれど……場合によっちゃ、わたしも見ているっていうことを伝えるだけでも、それなりに牽制にはなるでしょうね」


 霊夢と咲夜、卓袱台をはさんで向かい合っているふたりの背中に、薄暗い影がそれぞれ張り付いている。


 ふたつ置かれた湯呑みの中のお茶は、手付かずのまま冷めていた。


「ただ、相手の妖怪も見ているわけですが……」


「それはたぶん大丈夫。話を広めてしまったら、自分や仲間にいいことがないってことぐらいは分かってるでしょう。たとえ妖怪の間で話が広まったとしても、人間に伝わるまでには違う話になると思う。むしろ、心配なのは里の中で、何かの拍子に周りの人たちに知られてしまうことね……」


「…………」


 と、霊夢は顔を片手で覆う。


「こんなの予定にない、って」


「え?」


 やや唐突な言葉に、咲夜がすこしけげんな表情になる。


「先生のね……お母さんが亡くなった時に、先生がそう思ったんだって」


「…………」


「悲しいっていう気持ちより先に、そう思ってしまった自分はなんて勝手なんだろう。でも、そうじゃなくて、もともと自分は勝手な人間だった、それに気づいていないだけだった……そのときそれが分かったって」


 手の下で霊夢のあごがかすかに震える。


「わたしも同じだった……おかしいわよね、別に先生は死んだわけじゃないのに」


 咲夜はしばし沈黙したあと、立ち上がって霊夢の隣に並ぶように座り、そしてささやきかけるように言う。


「あなたの心の痛みを感じることはできません。でも……」


「咲夜……」


 咲夜は霊夢の肩を両腕と胸で包みこむようにして言う。


「それだけの強い想いをあなたは持っている。わたしはうらやましい……心からそう思います」


「……ありがとう」


 霊夢は目尻を服の袖でぬぐう。


「なんだか、ここのところあなたにはお世話になってばかりね」


「自分ができることをしているだけです」


 正直もうぎりぎりだけれどね、と咲夜は内心でつぶやく。瀟洒な紅魔館のメイド長も、若い人間の女の子を慰めた経験はさすがにあまりなかったのだ。



     **********



 里の本通りを抜けて、慧音さんの寺子屋のほうに向かう途中で、何人かの人影がこちらに走り寄ってくるのが見えた。


 やがて彼らは私の行く手をふさぐかっこうで立ち止まった。


「……?」


 その中のひとりが私に声をかけてきた。


「あんた、寺子屋の先生かい?」


「ええ、そうです。九藤です」


「悪いが、ちょっとここで待っててくれるかい。あんたを探してる人に頼まれてたんだよ。いま、その人を呼びに行ってるから」


「……それはかまいませんが」


 暗闇の中ではっきりしなかったが、彼らはなんとなく人間ではないような印象だった。服装は人里の人たちとさして違わないのだが、なんとなく体型が違う。妙にいかつい感じだ。


 やがて、一人の人物が彼らの背後からやってきて、私の前に出てきた。


「夜分申し訳ありません。憶えておいででしょうか、九藤様」


「ああ、あなたは……たしか、斎野さん」


「はい」


 以前、私を稗田家に案内してくれた人だ。


「実は、主の阿求が先生に火急の用件があり、ぜひともわたくしに同道いただいて、屋敷までお連れするようにと申し遣っているのです」


「阿求さんが? それはまた……」


 もしかすると、今夜の件が何か問題となってしまったのだろうか?


「あと、これもお伝えするように言われておりますが、上白沢慧音様も、すでにいらしておりまして、阿求ともども先生のご到着をお待ちになっています」


「そうですか……」


 まあ、それならば断る理由はみつからない。慧音さんには今夜の件の決着について話にいかねばならないと思っていたのだ。


 しかし、そうなるとやはり何か叱られることになるのだろうか。稗田家は人里の有力者だし、何か私の行動に関して苦情が生まれたということがあるのかもしれない。


 いずれにしても、行ってみるしかないだろう。


「分かりました、それではうかがいましょう」


「ありがとうございます」


 斎野さんが周りにいた連中にうなずきかけると、彼らは足早にその場を離れていった。


「では、参りましょうか」


 私と斎野さんは連れ立って家が立ち並ぶ里の中に戻り、本通りからすこし離れた南寄りの区画にある稗田の屋敷にたどりついた。


 すでに夜も更けていたためか、正面の門は閉ざされていた。通用門らしき出入り口から塀に囲まれた敷地の中へと入った。


「阿求は向こうの離れにおりますので、そちらに」


 庭を横切るかたちで母屋から少し離れた建物へと向かう。斎野さんが入り口の引き戸を開け、促されて私は中へと入った。


 上り框正面から伸びる廊下の一方は洋風の窓が並ぶ壁、そしてもう一方には部屋の障子が立てられていた。その障子には明かりに照らされた二つの影が浮かび上がっていた。


「九藤先生をお連れいたしました」


 斎野さんが声をかけると、中から阿求さんの声が静かに返ってきた。


「……ご苦労様。九藤様、お入り下さい」


 こういう場合、開け閉めは座ってするのだったか、とも思ったが、あまり細かいことにこだわる状況でもなかろうと思い、「失礼します」と声をかけてから静かに障子を開け、中へと入った。


 部屋の中央に座卓が置かれており、正面に阿求さんが、そして左側に慧音さんが座っていた。


 ふたりとも、どちらかといえば沈痛な顔つきをしていた。これは、もしかするとあまり良くない状況なのかもしれない。


「こんな風にこちらの都合でお呼び立てして、本当に申し訳ありませんでした」


 阿求さんが深々と頭を下げる。


「ただ、差し迫った事情がありまして……お見かけしだいお連れするようにと命じたのです」


 私は覚悟を決めて訊ねる。


「なにか、私のせいで問題が起きたのでしょうか?」


「九藤様のせいではありません。これは、いわば人里の都合……ここで暮らしている人間たちの都合なのです」


「ここの人たちの、ですか……何か私の行動が迷惑をかけてしまったとか?」


「…………」


 阿求さんは、まるでいまにも泣き出しそうな顔になってしまった。


 慧音さんが、見かねたように言った。


「私から申し上げましょう、阿求様」


 すると阿求さんは顔を左右に振って言った。


「いえ、これは……わたしに託されたことですから。九藤様、実は……しばらく人里から離れていただきたいのです」


「人里から?」


 思いがけない話だった。


「それはつまり……人里から離れたところに移り住めということでしょうか?」


「それだけではないのです。できれば、人の住んでいるところには近づかないでいただきたいのです」


「…………」


 それはもしかして、ある種の追放、ということなのだろうか。


 すると、阿求さんは必死の表情で付け加えた。


「これは里の人達が何か言ってきたとか、そういうことではないのです。ただ、ついさっき……ある人物に、このままだと人里にとって都合が悪いことになってしまうかもしれない、と言われて。その理由が、いまひとつよく分からないのですが……永遠亭が危険な状態になるというのです」


「永遠亭が?」


 これもまた驚きだった。いったい、どういう風に話がつながっているのか、見当もつかない。


「はい。永遠亭の方々が追い詰められてしまう……という言い方をしていました」


「つまり、私が一般の人たちと同じ場所で生活していると、あの八意先生たちが追い詰められる、と」


「はい。ただ、その理由については永遠亭に問い合わせないで欲しいとも言っていました」


「…………」


「この話は永遠亭の関係者から来たわけではありません。むしろ、考えようによってはあの方たちとは敵対する立場にある者と言えます」


「ということは……妖怪ですね?」


「……!」


 阿求さんの眉がかすかに動く。図星のようだ。


 ついさっきその話が来たというのだから、やはりさきほどのイヅナくんとの一件とのからみがあるのかもしれない。もしかして、あの場にいたあの鬼か……あるいは、偶然出会ったように思えた、あの吸血鬼の少女? まさか、妹紅ということはあるまい。


 しかし、それにしても……なぜ永遠亭なのだろう?


 ただ、永遠亭という存在は人里にとっては敵に回したくない存在には違いない。なんといっても、ここの人々の医療体制を支える存在なのだろうから。


 とにかく、ここで阿求さんにどうこう言ったところで状況は改善しない。おそらく彼女は、里の有力者の一人であり、私の知り合いでもあるということで、仲介役としての役目を押し付けられたのだろう。


 まずはこれからどう行動するべきかについて、具体的に話をしていくしかないだろう。


 私は腹を決めて言った。


「承知しました。おっしゃる通りにしましょう」



その34につづく

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