その27
連載を再開します。その26からの続きです。
二十七
数日後、寺子屋から家に戻る途中で、三人組の妖精と出会い、「巫女からの伝言」を聞かされた。
手紙を預っている、とのことだった。
それ以上は、なにもないとのことだったので、やむなく教育委員会の呼び出しに出頭するような気分で博麗神社を訪ねた。
母屋の縁側で私の話を聞き終えた彼女は、当然だがあまり機嫌が良くないようだった。
「別に怒ってるわけじゃありません。ただ、驚いてるだけです」
この手の言葉を彼女から聞くのは何度目だろうか? どう見ても、顔つきは怒っている感じなのだが……。
「軽い気持ちでやっているわけじゃないんだ。そこは分かってくれるね?」
「勝負をすることじたいに文句を言ってるわけじゃありません。わたしが分からないのは、どうしてあなたがそこまでしなきゃならないのかってことです。しかも話を聞いてると、負けることを前提にしてるみたいじゃないですか?」
「負けるとは限らないさ、勝負は水ものだからね。それと前にも言ったが、どうしてそんなことまで……というのは、言葉で答えるのは難しいよ」
「……そんなに言い難いことなんですか?」
「日本は『言霊の幸はふ国』だと言われるが、言葉というものは独り歩きするんだ。樹の枝から落ちた葉っぱは、元の樹とは別物だ。私がしていることは、いろいろな感情や意志が重なりあった結果なんだ。そして困ったことに、私自身その全体を観ることができていない」
「…………」
「このあいだ家に来てくれた時に、きみが話してくれたことは忘れてはいないよ。力を得ると相応に責任をとらなければならない、っていう。だから……」
「いいんです、それは」
彼女はさえぎるように手を上げた。
「ちょっと、別の話をしましょう。お茶を淹れ直してきます」
「ああ……うん」
息を吐き、お勝手に引っ込む彼女の後ろ姿を見送ってから、向き直ると、空中に生首が浮いていた。
「!」
身体が硬直しかけたが、その顔が見たことがあるものだったので、肩から力が抜けた。
「お久しぶりね」
「趣味が悪いよ、そういう登場の仕方は」
「わたしは境界の妖怪、八雲さんですから。」
金髪の上に異国風の白い帽子を被っているが、顔は懐かしい友人のそれだ。
「八雲さんか……その呼び方は、やっぱりしっくり来ないな」
「いいわよ、酒井でも。二人だけの時はね」
「そうか。ところで、何をしに来たんだ」
「あら、ずいぶん冷たいじゃないの? 去る者は日々に疎しとはよく言ったものね」
「何言ってるんだよ……」
私は呆れ、お勝手の彼女に気取られないよう、声を低くして言った。
「『もう個人的な接触はできない』ってのたまったのはきみのほうじゃないか。けじめがどうこうとか。あれは嘘だったのか?」
「衆目の前で親しげに話したりすることはできないって意味よ。人間とおしゃべりするような気さくな妖怪だと思われたら困るもの」
「阿求さんとはけっこういろいろ話をしたんじゃないのか?」
「……ああいう子は、それなりに手当てをしとかないとあとが面倒なのよ。しかし、もうあなたにアクセスがあったのね。相変わらず油断できないわ」
「近づきになりたいとか言われて、家に招かれたよ。あれはいったいどういう意味合いなんだろう」
「そんなに深い理由はないでしょ。とりあえずは個人的な興味じゃない? 若いし男だし、外界人だし。ちょっと有名になった外タレにインタビューする女子アナみたいなノリで」
「例えがひど過ぎるな……」
あまり難しく考えすぎてはいけないのだろうか? しかし、今となってはこの『八雲さん』の言葉をそのまま真に受けるのはまずいのかもしれない。
「あら、もはや妖怪の言葉なんか信じられないって顔してるわね」
「そんなことはないが」
「まあ、いいんだけど。しかし、やっぱり表情って大切よね。いろんなことが見えるもの」
「……私の表情って、そんなに分かりやすいのか?」
「分かりにくいよりいいわよ。ずっとね。それじゃまた。霊夢が戻ってくるわ」
「ああ、うん……」
小さく指先を振ると、空間にすっと引っ込んで消える。
彼女がお茶をもって縁側に戻ってくる。何食わぬ顔をしていると、呆れたような顔で私に言う。
「先生、紫にからかわれてるのが分からないんですか?」
「……!?」
小声で話していたつもりなのに……!
「いまさらですけど、わたし、博麗の巫女なんですよ。妖怪が近くに来てるのに気づかないわけがないでしょう。ましてあんな奴の……」
「いや、べつにその……」
「分かってます。人をからかうのを生きがいしてるような奴ですから、まともに取り合ってたら、バカを見ます……どうぞ」
お茶が入った湯呑みをわたしの前に置く。
「ああ、ありがとう」
彼女も湯呑みを手にして縁側に座る。急須が乗ったお盆が、私と彼女の間をはさむように置かれている。
「……前に、博麗の巫女をやめようと思ったことはないのかって先生が訊いたでしょう?」
「ああ、訊いたね」
早苗さんと来て、最初の参拝をしたときだな。
「あのとき、やめようと思ったことはないって言いましたけど、本当は少し違うんです」
「違う?」
「ええ」
彼女はそう言って、視線を落とした。
「やめるのが怖いんです。怖いっていうのもおかしいのかな……変わるのが嫌なんです、いまのこの自分が」
「……それは分かるよ。変えたいと自分で思っていても、なかなか変えられないものさ」
「だけど!」
彼女はすこし声の調子を上げる。
「先生は変えられたじゃないですか。外からここに来て。自分の周りがすべて変わって、一から全部やり直して。どうしてそんなことができるのか、わたしにはそれが不思議なんです。どうしたら、そういう勇気っていうか……強くなれるんだろうって」
それが強さと言えるのかどうか。しかし、そういうとらえ方もあるのかもしれないな。
「それはね……べつに訓練とか、そういうことではないと思うね。歳をとって経験を重ねれば、というものでもない。努力でもない。単なるめぐり合わせだよ」
「めぐり合わせ?」
「自分の意志とは関係なく、自分の周りがすべて変わってしまうことがあるんだよ。世界が変わると言ってもいい。そうなると、否が応でも自分が変わらなきゃならない。私の場合、たまたまそういうことがあったのさ」
「それは……どういう」
「あんまり愉快じゃない話だけど、いいかい。ちなみに、私自身はこの話をするのはなんでもないんだが、きみにとってどうかは分からない」
「かまいません。お願いします」
そこで、私は話を始めた。
☆★
「起きたことはさほど複雑なことではないんだ。私が中学二年……誕生日より前だから十三歳のときだな。母が死んだんだ。三十九歳だった」
「……!」
彼女はしまった、というような顔をした。だが、そこで話を止めるのもおかしいと思ったのだろう、沈黙したままだったので、先を続けた。
「今から考えると、まだ親の影響力が強かったんだね。かなり衝撃だった。まあきみからすれば、それはあたり前のことだろうと思うだろう。だけどね、じつは私の衝撃っていうのは、母が死んだことそのものじゃなかったんだ。母が死んだことによって、自分の生きている世界が変わってしまった……例えて言うなら、周りの風景の色を塗り替えられてしまったような感じかな。言い方が難しいけどね。だから、悲しいっていうより、腹立たしかった。なんで死んじゃったんだよ、こんなこと俺の予定にないよ! って感じでね。そして、そんなことを思ってる自分自身に対しても衝撃を受けていた。いったいなんなんだ俺はって。なんでこんなに自分勝手な人間なってしまったのかって。でも実は違ったんだ、それは」
私はお茶を一口すすってから言った。
「もともと、私は自分勝手な人間だった。ただ、それまでの暮らしの中で、それが見えてなかっただけなんだ」
「…………」
「世界が変わるっていうのはそういうことでね。自分のものの見方……周りに対する見方が変わるだけなんだ。で、そこから何を学んだかというと、世界っていうのはいつでも変わる可能性があるんだということ。なぜなら、世界はいわば『もうひとつの自分』だから。そして、変わらない日常に浸っていると、いざ変わってしまったときの衝撃は、浸っていた時間の分だけまとめて返ってくる」
諸行無常という言葉も知識としては知っていたが、理解できているわけではなかった。
モノが壊れるのは当たり前、人が死ぬのも当たり前。だが、まさか自分の母親があんな齢で死ぬとは思ってもいなかった。そこが浅はかといえば浅はかなんだが。
「母親が死んだのはすい臓がんという内臓の病気で、分かった時にはもう医者にもどうしようもない状態だった。すい臓というのは胃袋の裏側にあるから、発見が難しいらしいんだ。ただ、後から考えてみると、具合が悪そうだな、って思ったことが私にも結構あった。実際、母親は父の仕事も手伝っていて、家のことも全部やっていたから、働き詰めだったんだ。それは原因のひとつとしてあったと思う。母に負担がかかり過ぎなのは私自身も分かっていたんだが、父には言えなかった。簡単に言えば、勇気がなかった」
「…………」
「いちおうその後は、父の友人の仏具屋さんがいろいろと面倒を見てくれて、なんとか仕事がつながるようにしてくれた。おかげで私も上の学校まで行って、勉強を終えたあとは教師として収入を得る立場になれた。ところが……」
一瞬、あの父の変わり果てた表情が頭に浮かぶ。
「何年か経ったら、今度は父が病気になってしまった。認知症というやつでね。簡単に言うと頭がボケてきたということなんだが、父の場合、それが歳のせいというのではなく病気だった。しかも年齢がまだ老人というほどじゃなかったために進行が早かった。その間にいろいろなことがあったけどね……私はそのときに、母が死んだ時に自分が学んだことというのはまだ浅かったと知った。死そのものよりも厳しいことがあることもね。要するに、もう一度別の世界に行ってみたという感じかな。苦しみもあったけど、得ることもいろいろあったよ。病気が分かってから二年ほどで父は亡くなった。まだ六十にもなっていなかった……そんなわけでね。世界が変わることに、あまり抵抗がなくなった。それよりも、自分がいまどうしたいのかを大事にしたほうがいいと思うようになったんだ」
私は、沈んだ表情の彼女の横顔に向かって言った。
「正直、私は自分が強いかどうかというのは分からない。ただ、私の場合はそういうめぐり合わせだった……それだけのことだと思うよ」
**********
「帰ったのね、彼」
「…………」
「どうしたの? また喧嘩でもした?」
「しないわよ。それと、家の中に入るときはせめてそこの入り口から入ってきて欲しいんだけど。玄関からとまでは言わないから」
霊夢は空中に半分だけ姿を現している紫のほうは見ず、茶の間の卓袱台に頬杖をついたまま言う。
「だいたい『また』とはなによ。わたし、先生とそんなにしょっちゅう喧嘩してるわけじゃないわ」
「でもまあ、スペルカード戦に較べれば体力使うわけでもないし。そこそこ喧嘩ができる相手というのはいないよりはいたほうがいいものよ。慣れればそれなりに楽しいし」
「……もしかして、あなた、外で先生とそういう喧嘩とかしたことがあるわけ?」
「喧嘩なんてないわよ。ま、サークルの集会に出てこいって、よく怒られたけどね」
「サークル?」
「ああ、なんていうのかな。酒のない宴会をやる集まりのようなものよ。まあ酒あり宴会もよくやったけど。それで、他の連中はわたしのことを怖がってて、文句を言って来なかったんだけど、あの人だけは諦めずにいろいろと言ってきたの」
「ふうん……」
「昔から、物事にあまりとらわれない感じではあったわね。だから敵もけっこういたけど。そこらへんで嫌気がさしたのかどうかは分からないけれど、自分の田舎で学校の先生になっちゃって……それがちょっと惜しかったもんで、ときどき会いに行ったりしてたわけ」
「こういう言い方をするのはなんだけどさ……」
霊夢は少しためらってから訊く。
「妖怪って、人を好きになることもあるの?」
「……質問の意図は分かるけど、そういうことではないの。だって、考えてみて。わたしは『女』ではないのよ。外面がそう見えるからと言って性別に意味は無い。それはあなたも知ってるでしょう? まあ、あの紅魔館のお嬢さんあたりは事情が違うけどね。彼女は元人間だから」
「…………」
「ところで、九藤くんがここらの妖怪と何か楽しいことをするって話はわたしの耳にも入ってるけど……あの人、なにをどうして戦うかっていう話はしたの?」
「あんまり詳しくは分からなかったけど……霊的な武器を操ることができるようになったって言ってたわ。紐のないヨーヨーみたいなもんだとか。妙に歯切れの悪い言い方だったわ」
「ヨーヨーなんて喩えが出てくるとはね。でもまあ、確かに近いかな?」
「紫」
霊夢はじろりと見る。
「あんた、それが何か知ってるの?」
「まあね。経緯はちょっと伏せさせてもらうけど、ときどき見張りをつけてることがあってね。あの人、人形を作ったのよ。それに自分自身を憑依させて操ることができるようになったみたいね」
「……まさか、チビと同じような人形?」
「そうじゃないわ。あんな精巧な人形はこの幻想郷じゃ作れないもの。手のひらぐらいの大きさの木彫りの人形よ。それこそ、荒削りの仏像みたいな感じの。たぶん自分で彫って作ったんでしょう。ただ、依代の核には例の宝石を使ってるし……呪物として考えた場合、彼自身の手で彫ったものの方がむしろ強力かもしれない」
「自分の魂を人形に憑依させるなんて……そんなに簡単にできることかしら」
「むしろ、それは自然なことじゃない? すくなくとも、チビさんは憑依していたわけだから……」
「でも、チビと先生は……九藤さんは、似ていても同じではないでしょう。だって、同じ魂が同時にふたつ、なんてことはあり得ないんでしょう?」
「そうよ。ただね、ひとつ言っておくと、あなたもわたしも、彼らを同時に見たこと、感じたことはないはずよ。外界に行ったとき、九藤くんの家に近づいていったら、チビさんは『いなくなった』んでしょう? そういう意味では、彼らは実は同じ一つの存在だと言えなくはないのよ」
「でも、チビがいたときも、あの人は外界で生きていたでしょう?」
「そうね。でも、それを同時に確かめるすべはないのよ。なぜなら、彼らは常識と非常識の境界で隔てられていたんだから。さすがのわたしでも、結界をまたいでふたつのことを同時に視ることはできないもの」
「……?」
「別の言い方をするとね、仮にチビさんと九藤くんが魂のレベルで同じ存在だったとしたら、結界の内側にいるわたしたちにとって、外界に住んでいる九藤雅樹はありえない存在よ。でも、それは結界の向こう側のことである以上、不思議でもなんでもないの。同じように、九藤くんにとって、結界のこちら側のチビさんはありえない存在。でも、結界をまたいでいるから、それも不思議じゃない。お互いに常識外のことが起きていてもおかしくはない」
「……なんだか、屁理屈の上にさらに屁理屈を重ねたような話ね」
「屋上屋を架す、というやつね。まあ、自分でも多少そう思うわ」
紫はため息をつく。
「なんにしても……あの人がその人形に魂を移した場合、かなりの威力をもつと思う。早い話、それはチビさんと同等の存在なのよ。言い方は良くないかもしれないけれど、九藤雅樹という存在が操るチビさんなのよ。だとしたら、あなたにはすこし別の心配をして欲しいところなのよ」
「……ずいぶん、あんたにしちゃ面倒見がいいじゃないの?」
「博麗神社は大切な場所。そのお膝元ですから、多少はね」
その28につづく




