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その28



     二十八



「入るわよ、フラン」


 レミリアはそう声をかけると、咲夜が小さく開けた引き戸の隙間から身をよじるようにして部屋の中に入る。


 部屋の中は、闇というほどではないが、暗い。唯一の光源は天井近くにある小窓から拡がるごく淡い光だけだった。


 片隅の床の上に、壁に背をもたれさせる形で妹のフランドールが座っていた。まぶたはひらいていたが、眠っているかのように、身じろぎ一つしない。


 レミリアはゆっくりフランのそばに歩み寄り、近くに腰を下ろして足を前に投げ出す。


「このあいだ、神社に行ってきたのよ。霊夢は元気そうだったわ。いろんなことがあの子の周りでは起き始めていて、変わらないようですこしづつ変わっていく日常がいつものように続いている……ヒトは強いものよ」


「……吸血鬼は弱いということですか?」


 フランが唇を小さく動かして言う。


 その問いにレミリアはかすかに首をかしげる。


「そうねえ……ヒトの強さは吸血鬼の強さとはまた別物ね。弱さもまたしかり。吸血鬼の時間はヒトより長いから、変化をするにも、変化から戻るにも、時間がかかるということね。それを弱さと評価するかどうかはひとそれぞれね」


「…………」


「わたしはね。あなたは正しいことをしたと思っている。少なくとも、あなたはあなた自身が正しいと信じたことをした。それはとても正しいことだとわたしは思う」


「……わたしはお姉さまの心を傷つけました。それも正しいことですか?」


「心の傷はたいていの場合自分でつけるものだけどね……いずれにせよ、たまには傷つくのも悪くはないわ。鋼のような心の持ち主になってしまったら、世界は今まで以上に退屈になってしまうもの」


「わたしは……まだ退屈になれません。もう少し、ぼんやりしていたいんです」


「いいわよ、フラン。わたしはあなたのすぐ隣にはいられないけれど、声が届くぐらいのところにはいるわ。そのことは忘れないでね」


 レミリアは立ち上がると部屋を出て、咲夜をしたがえて廊下を進み、居間に戻った。


 咲夜が壁の燭台に火を灯す。


 レミリアは小さくため息をつくと長椅子に座った。


「まだしばらくは無理ね……まあ、周りからどうだこうだと言っても逆効果だから、待つしかないわ。咲夜、お茶を淹れてくれる?」


「かしこまりました」


 咲夜が、部屋を出ようとしたとき、扉がノックされた。


 扉をを開けると、妖精メイドが顔を出し、咲夜に耳打ちをした。


「お嬢様、霊夢さまがいらしているそうです。お会いしたいとのことです」


「あら、何かしら。新しい動きでもあったかな? いいわよ、ここに通しなさい」



    ☆★



「なるほどね。話の趣旨は分かったわ。わたしはかまわないわよ。それがあなたの安心につながるならね」


 レミリアは長く伸びた横髪をかき上げる。


「でも、いいの? わたしなんかが出しゃばって。もし気づかれたら、その相手の妖怪とか周りの連中とかが反発しない?」


「夜だしね。たまたま通りかかったぐらいの感じなら……別に問題は起きないと思う」


 霊夢は考えをまとめるように、ゆっくりと言う。


「それに、いざというときに、わたし自身が手を出すよりはずっといいから」


「なるほどね……いいわよ。咲夜、そういうことだから。あなたも一緒について来て」


「かしこまりました」


 咲夜はいつもと変わりのない、慇懃な返答をする。


 すると、レミリアはかすかに笑みを浮かべながら問いかける。


「参考までに訊くけど、咲夜は……あの九藤という人をどんな感じの人だと思った?」


「わたしですか? わたしは直にお話をしたわけでもないですし……」


「印象よ、印象。いちおう観察はしてたでしょ」


 咲夜は口元に指をあて、思案顔で言う。


「……そうですね。穏やかな雰囲気ですけれど、意志の強そうな人だなとは思いました。意固地とか頑迷とか、そういう言葉とは無縁の、柔軟な強さというような」


「へえ、咲夜的にはなかなか好印象なのね」


「そういう風におっしゃられると困りますけれど……」


「でもね、霊夢の心配も分かるわ。ちょっと危うい感じよね、あの人。謙虚だからといって、柔軟だからといって、危険から身を守ることができるかっていうと……これがまたそうでもないのよ。やはり経験が必要なのよね。きっとそれは本人もよく分かっているんでしょう。だからこそ、こういうことをしようとするわけよね。ある意味、堂々巡りって感じね」


「そうなのよ……」


 霊夢は困ったように言う。


「とてもじゃないけど、わたしとかじゃ説得できないのよ」


「だからこそ、影から護らなければならない……というわけですね」


 咲夜の言葉に、レミリアはうなずく。


「そういうこと。いいじゃない、たまには悪魔がそういうことをやるのも。閻魔様あたりに褒められるかもしれないわ」



     **********



 当日の夜、私は慧音さんの寺子屋を訪ね、これまでの経緯と今夜のことについてすべて説明した。


 折悪しく一緒にいた妹紅は血相を変えて怒鳴った。


「卑怯だぞ! こんなぎりぎりになって言いに来るなんて……これじゃ、もうどうしようもないじゃないか」


「どうしようもないというか、いまさらやめるつもりはないんだ。あのイヅナくんとの約束だからな。契約といってもいい」


「……お前はすこし自分勝手過ぎる」


「人間の脆さというのは外の世界でも実はあまり変わらない。明日生きているかどうかという保証もない。幻想郷にはない形の災厄に囲まれ、向き合って人々は日々を生きている。幻想郷で妖怪と向き合って生きるのは、それと同じだと思う」


「…………」


「たぶん、不死人のきみは、不死人だからこそ普通の人間が傷つくことに痛みを強く感じるんだろう。その気持ちは少しは想像できる。でも、これは私にとって必要なことなんだ。譲るわけにはいかない。そして、もうひとつ頼みたいのは、この勝負には関わらないで欲しいということだ。知らなかったというのがいちばんいい」


 そこで私はふと思いついて言った。


「しかし考えてみると、食事ってのは偉大だな」


「なんだと? なにを言ってるんだ?」


「私たちは、いつも一緒に昼食をここで摂っているだろう。それだけで、ずいぶんと私たちの距離は近くなった。同じ釜の飯を食った仲、という言葉があるぐらいだからな。だからこそ、今回の私の振る舞いが他人行儀に感じられるんだろう。そう感じてくれる人がいるということは、ありがたいことだ」


「そう思っているなら、どうして……」


「なあ妹紅。きみだっていろいろなことを経験してその蓄積の結果、いまのきみがあるんだろう。だが、わたしはこの幻想郷では空っぽも同然なんだ。もちろん、助言は貴重だし、受けとめる。けれど、私自身が考えて経験した上で得るものがどうしても必要なんだ」


「……分かりました」


 慧音さんが静かな声で言う。


「慧音!」


「わたしには九藤先生を止めることはできません。先生の言っていることは正しいと思います。わたしたちはただ、自分が安心したいための、わがままを言っているに過ぎません」


 妹紅が焦ったような顔つきになる。


「だが、山の妖怪の中には侮れない力をもっている者がいるぞ? しかも、狡猾なやつも多い。そんなのを相手に……」


「もしかすると、それは相手がわたしたちだから、かもしれませんよ、妹紅様」


「……どういう意味だ」


「わたしたちは人外としての力が、そうした連中とは差があり過ぎるのです。だからこそ、彼らも自分たちが有利になるよう画策する。けれども、九藤先生はそのようには見られていないのです」


 慧音さんは、すこし考えてそれから言葉を継ぐ。


「ある意味では、その妖怪は九藤先生の力をさほど恐れていないのでしょう。とはいえ、人間を一方的に叩きのめしても彼らに利はないことも知っているはずです」


 妹紅は眉を寄せつつ低く唸ったが、多少落ち着きを取り戻したようだった。


 慧音さんはその様子を見てかすかに苦笑を洩らしてから私を見る。


「この一件、霊夢さんは知っているのですか?」


「ええ。日取りを彼女の住まいを経由して連絡してきたぐらいなので……おそらくは知っていてもらったほうがいいと向こうも考えたのでしょう」


「そうですか。それならば、そこそこの分別をもつ妖怪なのでしょう」


 妹紅は顔を横向きにしていて、それでもまだ何か言いたそうではあったが、どうやら諦めてくれたようだった。


「それでは、もう少ししたら、出かけます」


 すると、妹紅がぼそりと言った。


「……途中まで送らせろ。それぐらいは文句はないだろ」


 まあ、この期に及んで勝負を阻止しようとまでは考えるまい。私はその申し出をありがたく受け入れることにした。


 約束の戌の正刻までは、あと一時間ほどだった。



その29につづく

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