その26
二十六
数日の間、私はあの花の妖怪、幽香さんと出会った丘陵地帯の野原でひとり訓練らしきものをしていた。ただ、一時間もやっているとかなり精神的な疲れを感じてしまう。
それにしても、私のようなただの人間が、曲がりなりにもこうした魔術のような技を行使できるというのは、おそらくはこの幻想郷という常識と非常識の境界によって隔てられた世界にいるからこそなのだろう。
そろそろあのイヅナ君に現状について話をしたほうがいい頃と思い、寺子屋が休みになった日、以前彼に言われていた通り、あの神社への分かれ道のところへ行くことにした。
『境の石』の後ろ側に回ってみると、石が地面と接しているあたりほぼ中央に、横長の楕円状の窪みがあった。そこに小石を三つを並べ、呼び出しの合図とした。
夕方、日没近くになってから再びそこを訪れると、すでに彼は待っていたようで、草むらの陰からすぐに姿を現した。
「思ったより早かったじゃねぇか。だいたい見当はついたのか? それとも、なにか相談があるか?」
前よりは気さくな感じで彼は話しかけてくる。
「うん、まあ……半々かな。いちおうはそれらしきことができるようにはなったんだが、果たして勝負が成り立つようなものかどうか、自分では分からなくて」
「ほう、そうか。じゃあ、ちょっとばかりここで披露して見せてくれよ」
「分かった」
私はコートのポケットから人形を取り出し、いつも通りに意識を部分的に憑依させた。
身体と人形にまたがった二重の意識状態にはだいぶ慣れてきたので、腕の延長で制御していると言うよりは、人形に意識を置いている感じで動かすことができるようになっていた。空中を移動するときも、自分のもうひとつの『身体』が動いているような感覚だった。分身というのは、まさにこういう感じなのかもしれない。
そんな調子で、本来の身体の周囲を人形で飛びまわってみせると、イヅナ君は感心したように言った。
「……なかなかすげえじゃないか。それなら十分飛び道具として使えそうだ。だが、その人形を相手に捕まえられたらそこまでじゃないのか?」
「じゃあ、試しに捕まえてみてくれ」
「おう。捕まえるだけなら簡単だぜ」
イヅナ君はそう言うと、ひょいと前足を上げた。と、その足がまるで鞭のように変形し、すばやい攻撃的な動きで分身の私である人形に巻き付いてきた。
と、次の瞬間。
「ぐわっ!」
イヅナ君は悲鳴を上げ、巻きつけた鞭を人形から振りほどくように離し、自分の手元に引き寄せて前足の形に戻す。
「いまのは……なんだ。なんかこう、吸い込まれるような感じがしたぞ……?」
「この人形で相手の霊的な力を吸い込むことができるようなんだ。だから下手につかまえてしまうと、今みたいなことになる」
「ははあ……こりゃまた厄介な代物だな。つまり、その人形を相手に張り付かせて力を吸い取っちまえば勝負がつくってわけだな。まさに妖怪退治向きの技だわ」
「ただ、人形を飛ばして制御できる範囲は限られているから、その間合いから外れていると、こちらからは攻撃はできない。射程の長い飛び道具を使われると防戦するだけになるな」
「ふん、それが弱点というわけか。しかしそれにしたって、よく動くしな……なにより、その人形を攻めても本体のほうには響かないってところが強みでもあるな。まあ、ある意味こっちとしても相手にしやすい」
イヅナ君はそう言うと、うなずいた。
「いいだろう。とりあえずこれで勝負は十分できそうだ。ちなみに、俺の『力』はいまもちょっと見せたがこんな感じだ」
彼は左右の前足をふたたび変形させ、鞭のように動かしてみせた。単に鞭のように動くというだけではなく、先端をさまざまな武器の形にすることもできるようだった。槍の穂先や鎌など、そのバリエーションは多彩だった。
言うなれば生き物的な鎖鎌というところだろうか。
「……人間から見たらかなり脅威だな」
「実際、その気になったら人間を殺すことができるのは確かだな。だが、俺たちは相手を殺すためにこういう力を持ってるわけじゃねえ。これが物の怪としてのありかたなのさ。それで……どうする。いちおう勝負をするからには、何かを賭けなきゃならねぇ。お前は俺に勝ったら、何を求める? これは俺だけじゃなく、ここらへん一帯の妖怪どもに対してってことでいい」
「それは……私のこの参道での作業を受け容れてくれて、無事に完成させて欲しいということだな」
「……それだけか?」
イヅナ君はすこし拍子抜けしたようだった。
「せっかくだから、もう少し欲張ったってかまわないんだぜ? 本来、妖怪との勝負を受けるってことは人間にとってはけっこうキツいことなんだからな。その見返りはそれなりにあっていいんだ。こっちも文句は言わねぇ」
「とはいっても、私も初めてのことなんで、正直なところ、相場というか、そこらへんの塩梅がよく分からないんだ」
「やれやれ……ま、仕方ねえか。じゃあ、こっちのを言おうか」
イヅナ君は私たちの背後の山を見上げて指差した。
「神社までの道のどこかにこの山の神を祀る祠を作ってくれよ。要は、この山を敬う心を形にして示して欲しい。そうすりゃ、他の連中も納得してくれるだろう」
「ああ……なるほど」
むしろ、勝負の結果とは関係なくそうしたものは作りたいとも思うが……。
前に彼はなぜこの勝負をするのかという理由が分からなければ意味がない、と言っていた。それはいまのこの報酬の内容に現れていると言えないだろうか? つまり、彼らは参道を作ることを拒否しているわけではないのだ。相応の礼を尽くして欲しいということ、そして、それ以上に……何らかの形で人間と妖怪が関係をもつ、そのこと自体が必要不可欠だと言いたいのでないのか。
そのためには勝負そのものが注目されることもやはり大切かもしれない。一種の祭事のようなものとして、共有されなければならないのだ。
「分かった。私が責任をもって作ることにするよ。しっかりと、大切に祀ることにする」
「……まあ、俺は人間相手に負けるとは思っちゃいねぇけどよ。いちおうそっちも本気で勝つ気で来てもらわないと困るぞ? 俺としてはいい勝負がしたい。弾幕戦みたいな美しい勝負なんてものは望んじゃいねぇが、あっさりと一方的に終わったんじゃ、周りの連中も面白くねぇだろうからな」
まあ、彼の言うとおり、妖怪相手に初心者もいいところの私が勝つというのは無理がある。逆に言えば、状況に応じて彼のほうで『演出』を考えてくれるのかもしれない。周りの連中、という言い方自体、見物する者たちの存在を示唆しているから、『段取りが肝腎』とはつまりそういうことなのだろう。
「できるだけ努力するつもりだが……降参の合図は決めさせてもらったほうがいいかもな」
「それは大丈夫だ。弱った奴に追い打ちをかけるような真似はしねえ。人間同士で戦うときだって、途中で武器を落としたら、それをちゃんと拾わせてから続けるっていうじゃないか。妖怪だって、作法はそれなりに心得てる」
「それは失礼した。で……場所とかはどうする?」
「いちおういくつか見当はつけておいたが、さっきのを見た感じだとそんなに広いとこでやらなくてもいいだろう。なら……一本桜の原がいいか」
「一本桜の原?」
初めて聞く名前だ。
「ああ。人間の里からもそんなには離れてないところなんだが、山からの川が分かれてるとこがあって、その近くに桜が一本だけぽつっと生えてるところがあんだ。そこの前のとこが開けた感じの原っぱになってるからよ。周りは林に囲まれてるし、そんなに目につくような場所じゃねえ。里の連中に一本桜って言えば、場所は分かると思うぜ。あと刻限は……戌の正刻でどうだ。たぶんそのあたりだと、もう里の連中は外には出かけない。出るとしても、せいぜい里の中だ」
戌の正刻は晩の八時ぐらいだ。たしかにその頃はもう完全に夜だから、里の近辺から出てくる人はいるまい。
「分かった。それでかまわない」
「日取りについては近いうちに知らせる。人間の里には俺たちは近づけねぇから、また前みたいに神社の巫女のところに文でも入れとく」
私はすこし驚いた。
「いや……しかし、いいのか?」
「ん? なにがだ」
「それだと彼女に伝わってしまうが……なんというか、そっちに不都合なことはないのかい」
「巫女がこの件に文句を言ってくるかもってか? その心配はねえな。巫女は悪さをした妖怪には厳しいが、きちんと筋を通したことをやってる限りは何もしてこねぇ。えこひいきはできねぇ立場だからな。まあ、でかい騒ぎにならないように見張りに来たりはするかもしれねぇが、それならこっちもその方がいいんだ。強い妖怪が出しゃばってくるよりはな」
「そうか……」
「この件の経緯は巫女には話してないんだろ? でも、だいたいは察してると思うぜ……ただの小娘に見えるかもしれんが、けっこういろんなことを分かってる。さて、それじゃ、俺はいろいろとやらなきゃならないんで、引き上げるぜ」
「ああ、それじゃまた」
彼と別れて川沿いの道を里に向かって戻りながら私は思った。いろんなことを分かっていると、かえって辛いことも多いんじゃないのだろうか、と。
あるいは……私自身も彼女に辛い思いをさせているということなのだろうか?
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「あら永琳、遅くまでご苦労様」
「輝夜……」
永遠亭の廊下の一隅で主従が出会う。窓の外は宵闇が覆い、周囲は静まり返っている。
輝夜は永琳の表情に漂う微妙な雰囲気を読み取って問いかける。
「なにか面倒なことでも起きたの? ここのところ、ずっと診療所のほうにこもっているみたいじゃないの」
「ちょっとした研究の一環でね。掘り下げているうちに、興が乗ってしまって」
永琳は微笑する。
が、輝夜は穏やかな口調で食い下がる。
「何か気がかりなことでもあるんじゃない? そういえば……あの男はあれっきりまだ来ないのね」
「え?」
永琳にしては珍しい、やや動揺したような顔になる。
「……誰のこと?」
「たしか九藤といったかしら。里の人間にしては大柄なひとよ。前に来た時に、わたし玄関でちょっと話をしたの」
「そう……」
「彼を見た時に、ちょっと感じたことがあったのよ。これは、あくまでも蓬莱人としての勘のようなものなんだけどね」
輝夜の薄赤い唇の端がわずかに動いて笑みを形作る。
「もしかすると、この男……不死なんじゃないかって」
その27につづく
ここでまた一週間お休みをいただきます。連載再開は2012/2/7(木)です。申し訳ありませんが、ご了承下さい。 ※日付を2/6→2/7に修正しました




