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その20



     二十



「今まで、病気になったりしなかったのか? そこらへんもけっこう心配だったんだけどな」


「いや、ここに来てからはむしろ健康になったように思うよ。体調はいいし、怪我をしてもすぐ治ってしまうしね。自分でも驚くくらいだ」


「そうか。まあ外界と較べると、ずいぶんと不便な生活だろうと思ったんだが」


「何事も慣れだよ」


 私はぐい呑みに半分ほど残っていた酒を飲み干す。


 魔理沙は一升徳利を手にして、空になったぐい呑みに酒を注いだ。


「それにしても、九藤さんは、飲んでもあんまり乱れないっていうか、顔色以外何も変わらないな」


 私は思わずため息をつく。


「……常識で考えて、若い女の子の前で酒を飲んで乱れる男ってどうなんだ?」


「いや、うーん……そうか。というか、もう少しその口がほぐれるというかさ」


「おしゃべりになってもいいはずだと? きみももしかすると、私がなぜこの幻想郷に居座ると決めたのか、その理由が知りたいのか?」


「おっ?」


 魔理沙は笑みを浮かべる。


「いきなり核心に触れてきたな。どうしてそう思う?」


「前に、他の人にも似たようなことを聞かれたからさ。それが誰かを言うのはやめておくがね。その人も私とそんな話をしたことを他の人に知られるのは嫌だろうからな」


「やれやれだな……」


 魔理沙は肩をすくめる。彼女のその仕草は日本人離れした感じで、その見事な金髪とも相まって妙にしっくりする感じだった。


「でもまあ、それならわたしたちにも話してくれるか? その理由ってやつを」


「そのときには、『彼』、つまり例のチビ霊夢さんだね、その彼が何者なのか知りたいからだと答えたんだ。彼の器を作った者としては非常に気になるから、と。ただ、いまはすこし違うかな」


「ほう。それは?」


「本当は……彼とは別の人について知りたいからなんだ。というか、そうなのだということに最近気づいたのさ」


「その『別の人』っていうのは?」


「それは言えない。というのは、それを明かしてしまうと、いろいろと邪魔が入る気がするからね」


「あんたのその探求活動を邪魔するやつが出てくるということか」


「ああ……ただ、私ごときを『敵』扱いして一方的に攻撃するような人物はこの幻想郷にはいないんじゃないかとも思うがね。自分の器の小ささを知らせるようなものだ」


「分からないぜ? 敵扱いはしなくても、あんたがそれ相応の力を持ったら、あるいは力があると認められちまったら、それだけでも状況は変わる。このあいだ鬼が石の山をもってきたとき、霊夢が怒ったのはそのせいさ」


 彼女がすこし眉根を寄せる。


「魔理沙……変なこと言わないで」


「萃香に対して怒ったんだろ? 分かってるさ。でも萃香に当たりようがないから、九藤さんにお鉢が回っちゃったんだよな。ごく自然な流れだぜ」


 ああ……なるほど、そういう解釈もあるのか。しかし、あれはやっぱり私に対して怒っていたように思うがな。


「分からないのは、なんで会ってもいない萃香に見込まれたのかっていうことだな。というか、もしかして九藤さん、あいつに会ったことあるのか?」


「伊吹というひとがどういう姿をしてるのか知らないが、少なくともそう名乗る人とは行き会ったことはないね」


「人というか鬼なんだけどな。こう頭からツノが生えてるんだ……」


 と頭の左右に手をあてて指をたててツノの形を示してみせる。


「そういえば」


 私は思い出す。


「このあいだ吸血鬼の女の子には会ったがね」


 すると彼女が反応する。


「もしかして……白い服着てました?」


「え? ああ、そういえばそうだね。白のワンピースを着ていたかな」


「何か言われたんですか?」


 言われました。すごくきついことを。ここでそのまま言葉にするのはさすがに憚られるぐらい。


「もっと精神を鍛えろみたいなことを言われたかな。精神を鍛えれば幻想郷では恐れるものなどないんだそうだ。本当かな?」


「そんな話をしたってことは」


 魔理沙が口を挟む。


「レミリアはけっこう九藤さんに興味があるのかもな。あいつ、相手が気に入らなければ無視するから」


「へえ、そうなのか」


 関心があればこそということか。


「精神だけで妖怪と勝負できるもんかどうかは、わたしは疑わしいと思うぜ。度胸はもちろん前提だけどな」


「聞いた話では由緒のある武器でもなければ妖怪とは戦えないということだった」


「由緒のある武器ね……まあ、里の連中の中にはそういうのを持ってるやつもいるのかもしれないが。でも、レミリアあたりにはそんなもの効かないだろう。九藤さんも妖怪と戦いたいのか?」


「相手と交渉するためには、場合によってはそういう力が必要かもしれないとは思うが……というか、ここに暮らしている人たちはほんとうの意味での自由を確保できているのかな? 妖怪のおかげでいろいろと生活に制限があるんじゃないだろうか」


「夜に出歩けないとか、それぐらいじゃないか? あとは妖怪の山の方面はあんまり行かないほうがいいとかな。まあ妖怪がいそうなところには行けないってことだ」


「しかし、きみたちはそんなことはないわけだろう」


「ないな。でも、普通の人間がそういう身分になるためには冗談抜きで大変だぜ。生まれつきなにか特別の力でも持っているならともかくな」


「だろうね。ただ、由緒あるものといえば、持っていないことはないんだ。この間、霊夢さんに返してもらったこれだ」


 私は首から下げていた金環つきのサファイアを胸の中から出してみせた。


「この宝石は、かなり前から私の家に伝わっていたものらしいんだ。千年前からなんて話もあるが、それはさすがに眉唾としても……二、三百年ぐらいの歴史はあるかもしれない」


「ああ……それな」


 魔理沙は少しぎこちない顔つきになる。


「わたしたちは……レミリアに騙されたんだよな。あいつ、自分の持ち物を霊夢に提供した、というフリをしてたからな」


「これがどういう風に使われていたかは前に霊夢さんに聞いたよ。『彼』が霊夢さんの霊的な力を分けてもらって動いていたのを、自前で力を補給できるようにするために使ったとか」


「そんなところだな」


「……私の家の祖先はいちおうは藤原氏だと言われてる」


 私は青紫色の宝石を見つめる。


「藤原氏の祖は中臣鎌足だ。中臣氏は皇室の神祇官……まあ、だからというわけでもないんだろうが、祖父は神棚や鳥居を作る職人だった。そういえば、子供の頃に私に中臣の祓詞というのを暗記させてくれたよ」


「中臣の祓詞を?」


 彼女は驚いたように私を見る。


「ああ、きみは巫女だから、知っているだろうね。まあその世界では有名なんだろうな。しかし子供の頃は、こんなもの何の役に立つのかと思ったけど、意外に大人になって役に立ったよ」


「へえ、もしかして悪魔祓いでもやったのか?」


「いや、そういうんじゃないんだが……まあなんというのかな。こういうのは祈りの言葉としての効き目もあるんだなと思ったよ。心を鎮めるための言葉と言ってもいいがね……」


 昔のことを思い出し、私はすこしだけ感傷的な気分になる。


「でもあれだな、そういう家柄なら、もしかして何かその手の力を受け継いでるのかもしれないな?」


 魔理沙はすこし冗談めかして言う。


 力か。あのイヅナ君は私に「力」があると言っていた。だが、その力は本物なのだろうか?


 そこでふと、祖父が言っていたことをふと思い出す。


「そういえば……この宝石には指先で直に触れてはいけない、と祖父に言われていたな。生きる力を吸い取られてしまうから、と」


「!」「!」


 ふたりの顔色が変わったので、私は手を左右にふる。


「ああ、いや……べつに単に汚れた手とかで触るなっていう意味でそう脅かしたんだと思うが」


 何か心当たりがあるのだろうか?


 念のため訊いてみる。


「いままで誰か触れたことがあるのかい?」


「いや、ない……ていうか、たしか自動魔法でガードしてたはずだ」


「魔法? それはつまり、この石の力を引き出すために魔法をかけていたとか?」


「あ……いやいや、えーとだな」


 失敗したな、というような表情で魔理沙は自分の眉を撫でる。


「チビの魂とこの石をつなぐ魔法と、石を制御する魔法を作って、術式を埋め込んだんだよ」


「きみがかい?」


「いや、違うんだ……それはまた別の魔法使いに協力を依頼したんだ……もちろんチビ自身がだぜ?。まあ、パチュリーにはレミリアが仲介してくれたんだけどな」


 ずいぶん交友関係が広かったんだな、『彼』は。


「まあ、その魔法使いの話はおいておこう。いまもその魔法ってかかっているのか?」


 すると、彼女が答える。


「たぶん……いまはないと思います。元の状態に戻してあるんじゃないかしら」


 私は宝石を嵌めこんである金の輪に慎重に触れる。


「もし仮に……霊力を吸い取るという性質がこの石に元々備えられていたものだとしたら、ある種の護符として機能することにならないか?」


「あり得ることですね。でも、それはうかつに試さない方がいいと思います」


「どうして?」


「力を吸い込み過ぎると、制御が難しくなるからです。実際、力を吸い込み過ぎて消化しきれなくて、それをつけていたチビが永遠亭にかつぎこまれたこともあったし……」


「ああ、あったっけな、そういうことも」


 魔理沙がうなずく。


「永遠亭というのは……竹林の中にあるという病院のことかい」


「うん。人も妖怪もまとめて面倒をみる医者がいてな。八意永琳というんだ」


「……そして、魂の宿った人形の面倒までみることができるわけか」


「まあ正直、どういう理屈で面倒を見たのか分からないが……永琳は頭はめちゃくちゃにいいらしいからな。おまけに勉強家だって話だ」


「先生」


 と彼女が静かな声で言う。


 そう言えば、彼女もいつのまにか私のことを先生と呼ぶようになっていたんだな。


「幻想郷では、力を得るとそれ相応に責任をとらされます。この魔理沙だって、妖精からたいした理由もなく攻撃を受けることもあるんです。それは、魔理沙が力を持つ存在だからです」


「……それは妖精が、自分の力を示すために相手を利用するということか?」


「力というか、自分がいるってことを周りに認めさせるという感じでしょうか……それは彼らにとってとても大切なことで、それ自体は責められないことなんです」


「なるほど」


 あのイヅナ君が言っていたことに通じるものがある。


「まあ、力を得るに至った理由が魔理沙にはあるんでしょうから……それについてわたしがどうこう言うことはありません。でも、先生にはそういう理由はありますか? さっき言っていた、『あるひとについて知ること』のために必要ですか?」


「…………」


「その『あるひと』は、そういう危険を先生が犯すことを喜ぶとはわたしにはとても思えないんですが」


 こちらの意図をある程度分かった上で言ってる感じだな、これは。


 私は慎重に言った。


「……まあ、力を得ようとする試みはどんな世界でも、どんな立場でも、危険はつきまとうものではある。たとえば、自分で商売をしようとする者は、その人に雇われて働く者に較べると、危ない橋を渡っていることになる。それは、他人に力を預けるのではなく、自分で力を行使しようとするからだ」


 博打を打てる者にしかほんとうの意味での「力」の行使はできない。


「別の言い方をすると、里で暮らす人たちは、ある決まりに沿って暮らすことによって妖怪からの脅威から守られているが、それは檻の中に住んでいるようなものだと言えないこともない。実際には、きみのような存在がいなければ、その檻はもっと息苦しいものになっていたのかもしれない……」


「あんまり息苦しくさせて人間を弱らせちまうと、妖怪としては困るのさ。生かさず殺さず、ほどほどが都合がいい」


 と魔理沙。


「しかし、本当にその『ほどほど』を妖怪たちは望んでいるのかな。私はそこも疑問だよ。そのあたりを知るためには、家の中に引っ込んでばかりもいられない……そう思うんだがな」


「…………」


「スペルカード戦は確かに人と妖怪が同じ土俵に立つ方法としては洗練されたやり方だろう。でも、それはあくまでも選ばれた立場の者にしか当てはめられない枠組みのようだ。ならば、人それぞれ、妖怪それぞれのやり方で、お互いの立つ場所を確かめ合うということもあっていいのじゃないかと思うわけだよ」


 それから少し考えて、別の言い方をしてみる。


「いまの外の世界の人間はね……身近にある恐怖から案外と眼をそむけているんだよ。妖怪や神を視るということは、そういう恐怖と向き合うことに等しい。私自身、そういう姿勢を取り戻したいということでもあるね」


 ふぅっと、魔理沙はため息をつく。眼がすこし眠そうになっている。


「……理屈じゃあ、頭のいい大人には勝てないな。九藤さんは幻想郷じゃあ新入りだが、生きてる時間はわたしらより長い。想像の付かない経験を積んでるのかもしれない」


「それはそれなりに評価してもらっている言葉と解釈していいのかな」


「評価なんて……そこまで思い上がってるつもりはないぜ、九藤さん。わたしたちだって、正直あんたが何者かよく知らないんだからな。チビは最初から自分のことを知らなかったから、その点気楽に付き合えたが……九藤さんは大人の男なんだ。多少は遠慮するぜ」


 そうか……案外そういうところにヒントがあるのかもしれないな。


「あまり私の過去のこととかは考えなくていいよ。いまの私は、私にしてみれば確かに過去の時間の積み重ねだけれども……きみたちにとっての私をかたち作るのは、きみたちが視た私なんだから。『彼』と……チビ霊夢さんと立場は同じのはずさ」


「でも、それって下手をすると『わたしは何者か?』っていう問いの意味がなくなりませんか?」


 今度は彼女が反論する。かなり真剣な口調だ。


「その問いはさほど重要じゃないかもしれないよ。だって、これまで生きてきた記憶を失っていない私だって、『わたしは何者か?』っていう問いには答えられないからね」


「どういう……意味ですか?」


「私が私としてこの世界に生まれ出たほんとうの理由は分からないからだよ。もっと極端なことをいえば、どうしてこの宇宙があって、その中の地球という星に自分が生まれたか……そういう次元の問いなんだよ。逆に、分かっていることについては、いまさら問いを立てる意味もない。たとえば、今私がここにこうやって幻想郷で暮らしている理由は、いろいろな出会いと、私自身の決断の結果だ。つまり、『わたしは何者か?』という問いの対象は、分かりようがないことか、分かってしまっていることのどちらかなんだ」


「でも、あの人……チビにとっては、大切なことだったんです……」


「まあ彼の場合は立場が特殊だったし、何より、その問いを発し続けていないと、自分の存在の意味が分からなくなるからだろう。でも、きみと一緒に暮らしているうちに、彼は自分の役割を自覚するようになってきたんじゃないか? 彼は、きみと一緒にいることで『何者か』になりつつあったんじゃないかと思うが」


「…………」


「さっきの宝石によって力を得たという話も、単に霊的な自立という意味だけではなくて、きみの側にきちんと立つ者でありたいという気持ちの現われだったんじゃないか、と私は思うよ」


「……だったら、なんで」


「そのことをきみに伝えなかったかって? きみはあのとき私に言ったあの言葉を彼に伝えたかい? 『わたしに生きる人としての形を与えてくれている』という」


「!」


「伝えていないのなら……たぶん同じだよ、その理由と」


 言いながら、あの吸血鬼のお嬢様の言葉が脳裏に蘇る。まったく、大きなお世話だ。


「……先生」


「えっ?」


「ありがとうございました。いまの話……他の誰がそう言っても、信じられなかったと思いますけど……先生の言葉なら信じられる気がします」


 彼女はすこし涙ぐんでいた。やっぱりまだ想いは残っているんだろうな。


 要するに、『彼』の器を作った、同じ魂をもつ私の言葉だからこそ、ということか。


「そうか……それなら良かった」


 なんだか、死んだ旦那のお墓に花を供えるようなことをしてしまったのかもしれない。でも、やっぱり『彼』は他人とは思えないし……代弁できたのだとしたら、それはそれで良かった。


 私は彼女の隣で舟をこぎはじめている魔理沙を見ながら言った。


「……さて、それじゃそろそろお開きにしようか」



その21につづく

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