その18
十八
私は神社の参道へ出かけるのはいったん中断し、何日かの間、寺子屋から戻った後は妖怪との勝負の意味について家で考えていた。
勝負は勝ち負けを決めるだけのものではない……というのは、おそらくは儀礼的な意味があるということだろう、と思った。いわば神事である。神事における勝負事というのは吉凶を占うという意味もあるはずだった。それは同時に神意を伺うという意味でもある。
美しさを競うスペルカード戦というのも、ある意味儀礼的ではある。その場合、勝負の結果よりは双方の『力』を示すという意味合いが強くなる。その場合、勝負に対する第三者の視線というものが意識されている……?
結局のところ、それは勝負というよりは演劇的なもの……芝居の興行のようなものに近いということだろうか?
そういえば、あのイヅナ君は勝負しろとは言ったが、その勝負の結果によって何をどうするということは何も言っていなかったな……。
「ごめんください」
外からの声に、私は起き上がった。腕時計を見ると、午後二時を少し過ぎたところだった。
「どうぞ」
声をかけると、引き戸が開いて、中年の男性が現れた。髪は白髪交じりで、印象としては古風な感じではあったが、いちおうは近代的な洋服姿だった。大正時代あたりにいそうな紳士という感じだ。
「寺子屋の……九藤先生でいらっしゃいますか?」
「はい、私が九藤ですが」
「初めてお目にかかります。稗田家の使用人で斎野と申します。前触れもなくおたずねして申し訳ありません」
男性は丁寧に頭を下げる。
「稗田家……」
慧音さんから名前は聞いていた。この人里では名士として扱われている家だ。御阿礼の子と呼ばれる特殊な能力者を生む家系で、現在は九代目の稗田阿求という女の子が、幻想郷の記録の編纂をしているという。
「どういったご用件でしょうか」
「はい。わたくしは御阿礼の子、阿求に仕える者なのですが、阿求は前々から九藤先生に一度お会いしてお話を伺いたいと申しておりまして……もし先生のご都合がよろしければ、当家にご案内させていただきたいのですが、いかがでしょうか?」
「ははあ……」
私はすこしとまどってしまった。
「私が外から来た人間ということでご興味を持たれたということでしょうか。あまりたいしたことを知っているわけでもないのですが」
「いえ、そういうことではございません」
紳士は穏やかにかぶりを振る。
「上白沢慧音様とはお仕事のこともあって親しくしていただいておりまして、その慧音様から先生のことを伺ったもので……ぜひお近づきになりたいというお話なのです。場合によっては、役立てることもにあるのではないかと阿求は申しております」
そうか……慧音さんの本来の専門は歴史学だから、そういう面での交流があるということか。
しかし、何かそれなりの意図があると思っておくのがいいだろう。とはいえ、私自身も幻想郷の記録をとり続ける人物に興味がないわけでもない。
「では、お言葉に甘えて伺わせていただきましょう。そちらのご予定は?」
「もし先生のご都合がよろしければ、これからでも」
まあ、考え事ばかりをしていても仕方がない。こういう気分転換もありだろう。
「かまいませんよ。すこしだけお待ちください」
私は出かける支度を始めた。
☆★
天才少女、のようなイメージをもっていたせいか、実際に会ってみると稗田阿求さんは案外と素朴な感じの少女に思われた。女子高の制服を着せて、眼鏡でもかけさせれば、小柄でおとなしめの委員長とか。だが、どこか老成した雰囲気もあり、奥深い知性を備えていることは言葉の端々にうかがわれた。
「ときどき、なにもしないでぼんやりと庭を見てることがあります。休んでいるというよりも、憶えたことが自分の心の中に溶けていくのを待っているような、そんな具合です」
「憶えたことが、心に溶ける?」
「ええ。見聞きしたことをそのまま憶えているというのは、実はそんなに快いことじゃないんです。固いものを頭の中に詰め込まれているような気分。だから、それを溶かすための時間が要るんです……」
「なるほど。そういうものかもしれませんね」
私たちが向き合っているのは、洋風の客間だったが、以前世話になっていた酒井の隠れ家にも似て、和洋折衷のデザインではあっても、巧まざる洗練を感じさせる。明治大正期というのは、ある意味西洋風の階層社会だったということを実感させられる。
テーブルの上に置かれている紅茶のカップひとつとってみても、部屋の雰囲気と見事な調和を保っている。この方面には疎い私でも、かなり上質のものだということは分かる。
「なんだか、わたしのことばかり話をしてしまって……九藤様の話もすこし伺いたいですね」
「私の話なんて、たいしたことはありませんよ。まだ経験も浅いし、学ぶべきことがたくさんあります」
「では、いま関心をお持ちのことではどうですか? そう、たとえば博麗神社のこととか」
「博麗神社ですか?」
すこしどきりとする。なぜ私がそこに関心をもつと考えるのだろう。
すると、私の表情を読み取ったのか、阿求さんは微笑んで言う。
「わたしもけっこうあちこちで出歩いているので、その手の情報は耳に入ってきてしまいます。まして、こういう性質ですから」
彼女は自分の額を指先で軽くつつく。記憶能力のことを言っているのだろう。
「あなたが神社の参道を作ろうとしていることは、里のほとんどの人は知っているようですよ」
「はは、それはどうも……」
まあ、それでなくてもいろんな意味で『狭い』幻想郷のことだ。毎日のようにあそこに行っていれば、それぐらいのことは分かってしまうのは当然かもしれない。
そこで、こちらから質問をしてみることにした。
「どうなんでしょう、里の人達は博麗神社の役割というものを知っているのでしょうか?」
「んー……どうですかね。いちおうの理解をしている人はそこそこいると思いますが。でも、大部分の人は、あってあたりまえの場所ではあるけれど、その重要さまでは認識していないかもしれませんね」
「たとえば、神社というと普通は氏子の集まりのようなものがあって、そういう人たちがいろいろと神社の支援をするというものだと思いますが」
「そうですね。ただ、なんていうのか……里の人たちにとって、あそこは正体不明な感じがするんだと思います。まず第一に、何の神様が祀られているかも分からないですから」
「境界を守る神様ではないか、と守矢神社の巫女さんが言っていましたが」
「普通に考えればそういうことになるとは思うのですが……そこらへんはどうも曖昧で。わたしは前に霊夢さんに直に訊いたこともありますけれど、よく分からない、とか言われてしまって。ごまかしているのか、単に彼女が勉強不足なのか、はっきりしないんです」
阿求さんはそのときのことを思い出したのか、ちょっと不満そうな顔をする。
「ただ、あの博麗神社が相当に昔からある神社で……いわゆる仏教伝来以前の古神道とかに相当する時代からのものらしいんです。ですから、神秘的な感じを抱いている人も多くて、軽々しく赴いてはいけない場所という印象さえあるんじゃないかと思います」
それでは参拝者も少ないはずだ。
「……阿求さんは、博麗大結界と博麗の巫女の関係についてはどう思われますか?」
「といいますと?」
「つまり結界の管理者としての巫女がなぜあんな形で置かれているのかということです。そもそも管理者は巫女でなければいけないという決まりがあるんでしょうか? 私みたいな者からすると、若い女の子がたった一人で山の奥に暮らしているということ自体、ひどく不自然に思われるんですが。結界が重要なものなのであれば、なおさらもっとしっかりした体制があってもいいんじゃないかと」
「それは、確かにおっしゃるとおりだと思います」
阿求さんは深くうなずいた。
「わたし自身も疑問に思っていたことなんです……ちょっとお待ちくださいね。資料をお持ちします」
そう言うと、阿求さんは席を立って部屋から出て行き、しばらくして一冊の冊子を手に戻ってきた。
「お待たせしました。これは、実は博麗神社に関することの歴代の記録なんです」
そんなものまであるとは。さすがは幻想郷の記録を編纂している人物だけのことはある。
阿求さんは冊子のページをめくりながら言う。
「御阿礼の子もかなり間を置いて生まれていますから、多くの場合、稗田の家の者がその都度とっていた記録や、里の人々への聞き取りの記録などがほとんどで、ひとつひとつの内容が果たして事実なのかどうか怪しいものもありますが……たとえばこれなんかは」
ページの一部を指さす。筆で書かれている昔の文章なので、私にはとても読めない。
「博麗の巫女が北の山中に出現した妖怪を里の人たちの協力を得て退治したとあります。ここではすでに博麗の巫女という記述が出ています。つまり、はっきりとはしないんですが、かなり前から博麗神社の代表は巫女で、それもどうやら神職としてその役割を司る者は必ず一人だったようです。いまでいうところの戦国時代ぐらいの頃にはそうした体制になっていたようですね」
「神職者としては一人だけでも、家族や弟子にあたる者がいるという場合もあったんでしょうか?」
「家族がいる場合もあったようですよ。たとえばここには……神社で子供が生まれたので、お祝いをしに行ったと書かれています。ただ、たとえば女の子供が生まれてもその子が後を継ぐというわけではないようです。正直なところ、どのようなしくみで世代交代が行われているのかは記録からは分かりません。知らないうちに代わっていたこともあったそうですし、神社に誰もいなかった時期もときどきあったようです」
「ということは……結界の維持には必ずしも巫女は不可欠というわけではない?」
「そうなりますね。というか、たぶん結界の維持ということに関しては、八雲紫が面倒をみてるんだと思いますよ。なにしろ、境界の妖怪なので」
「……会ったことがあるんですか」
やけにあっさりとした口調でその名前が出てきたので、私はすこし焦ったが、阿求さんはとくになんとも思わなかったようで、「ええ」と軽くうなずいた。
「いちおう、妖怪に会って話を聞くのもわたしの仕事なので。ただ、彼女はいろいろ話をしてはくれるんですけど、話の内容が本当かどうかは分からないんです。裏付けをとることができませんから。他の妖怪とかに話を聞いても、八雲紫のことは誰も口を濁すんです。格の差がありすぎて、口にするのも遠慮しているという感じです」
その彼女と私の外の世界での関わりが知られたら、いったいどういうことになるのだろう? 考えるとちょっと恐い。
「たぶん、博麗の巫女という存在は、もっと象徴的な意味があるんじゃないかとわたしは思っています」
阿求さんは話を続ける。
「それは人と妖怪の関わり合いのあり方とも深く、結びついているのでしょう。彼女がいることで、人と妖怪が同じ位置に立つ場所が提供される。その意味では、彼女の代でできた命名決闘法も、まさにそうした役割が具体的に果たされた例でしょう」
「命名決闘法?」
「スペルカードルールという言い方のほうがいまは定着していますね。ご存知ですか?」
「ええ、いちおうは聞いています」
「まあ本質は勝負の内容に一定の歯止めをかけるということですが、結果としてそれは勝負そのものを一種の娯楽に転じています。ただ、その仕組みを政治的な意味でうまく使えるかどうかは本人の器量にかかっていますね。中世ヨーロッパの騎士による試合のようなもので、要は名誉とか存在感が重要なんです。ときには勝ち負けにこだわらない姿勢をとることで、相手に対する包容力を示すなんてやり方もありですしね」
「なるほど……」
私は感心した。中世の騎士試合なんてものがさらりと例に挙げられるという、彼女の知識の幅広さもさることながら、現状における人と妖怪の係わり、そして戦いのあり方についてもその本質を把握しているとは。
「あなたは深い洞察力をお持ちですね。驚きました」
「そんな……」
阿求さんの頬が薄桃色に染まる。
「わたし、また調子に乗ってしまって、偉そうなことを……実際に妖怪と戦った経験もないのに、生意気ですよね」
「いやいや、そんなことはありませんよ」
相手の動揺につられて、こっちも少しうろたえてしまったので、ごまかすために話題をすこし転じる。
「しかし、実際に人が妖怪と戦うときには武器でもないと大変だと聞きましたが、実際にそんな武器を手にとって戦うことなどできるものでしょうか?」
「そうですね、なにか特別な能力がない限りは……弱い妖怪とか妖精ならともかく、力がある相手だとなかなか難しいでしょうね。ただ、相手もそれなりに手加減すると思いますし。武器としては、なるべく由緒のある武具とか神具とか、そういうものがあるといいですね。ああ、あと古くて珍しい宝石とかも」
「宝石ですか」
思わず、自分の胸元に手をやりそうになる。服の下には彼女から返却されたサファイアがある。
「はい。宝石は、魂の依代となることもありますし、霊力・魔力を蓄える力があるといいます。そのために特別な加工を施されたものもあるそうです。蓄えた力の制御をすることができれば、戦う手段として活用することも可能でしょう。そういえば……」
阿求さんはすこし躊躇してから言う。
「以前、霊夢さんと彼女の知り合いがいらしたことがあったんですが……そのかたは、まさにその『宝石に蓄えた力を貯めて使っている』という話でした」
「……!」
私はそれは『彼』のことだと直感的に分かった。しかし、こういう話が出るということは、阿求さんは私と『彼』の関係についてはまだ情報を得ていないのかもしれない。
「そのときは、年月の経った古い紙があったら分けて欲しいというお話だったんですけどね。御札を作るために使うということで」
「御札を? 彼女が……霊夢さんが使うんですか」
「いえ、その知り合いの方が。まあここだけの話、人ではないんですけれども。御札に霊力を載せて飛び道具として使うという話で。霊夢さんが言うには、そういうもののほうがいろいろと利点があるんだそうです」
「すると……その知り合いは、戦うための道具として御札を使っていたわけですね」
「そういうことになりますね。ただ……それは力を制御できればという前提がありますから、簡単ではないとは思います」
「……いずれにしても人の側としては、手段が限られるということですね」
『彼』にそういう能力があったというのは初めて聞いた話だった。誰からも聞いたことがなかった。いや、そういえば何かこれにからんだことを聞いたような気もするが……。
とにかく、この話は今回の訪問の最大の収穫だった。
その19につづく




