その16
十六
「よく続くな。感心したよ」
寺子屋のいつもの昼食の席で、妹紅が言った。
「例の石を道に敷くようになってからどれぐらいだ? ひと月は経つのか?」
「うん、それぐらいにはなるのかな」
私は返事をしつつ雑炊をすする。
「あまり根を詰めないようにしているからな。天気の良くない日は行かないし、体の調子も考えてやっている。もともと一年や二年じゃ終わらないと思っているからな」
「その……道の周りの様子はどうですか」
慧音さんが心配そうに訊く。
「ああ、妖怪ですか? いまのところはたいしたことはないですよ。たまに妖精にはでくわしますけどね」
「正直、ちょっとお前さんを誤解していたよ」
と妹紅。
「ん、どういうことだ」
「いや、なんというのか……こうと決めたことには一気に突っ走るという感じなのかという風に思っていたが、そうでもないんだな」
「過去の経験から、自分がこうあって欲しいと思っていることの三分の一から四分の一ぐらいしか物事は進まないということを知ってるのさ。まあ、これは私の場合で、人によって差はあるだろうがね」
「ということは、いまのところはそれぐらいの進捗だということか」
「ああ。もっと早く進んで欲しいとは思っているがね。能力の向上も図らなければいけない」
「でも、初めてお会いした頃と比べて身体の感じが少し変わってきたような気がします」
と慧音さん。
すると妹紅がからかうように言う。
「なんだ? 先生に『男』を感じるか、慧音」
「そ、そういう意味では……」
「冗談だ、冗談。そんな顔をするなよ」
山道をいったり来たりして作業しているので、身体は前よりは引き締まっているのかもしれない。
妹紅はそれはそれとして、と真面目な顔に戻る。
「何にしても、慣れたからといって油断はするなよ。この季節になると、そろそろ連中の動きも活発になってくる。心構えは常にもっておいたほうがいい」
「ああ、分かっている。気をつけるよ」
私は神妙にうなずいた。
☆★
神社のふもとで猫車に採石を積み、運ぶ。これまで石を敷いた部分は、ある程度凹凸をならしてあるので、上り坂ではあるが、どうにか押し上げていくことができる。
ようやく、石が敷いてある区間の終点に達する。ここが今日の作業地点だ。
鍬を使って土を削り、道を平らにならし、均等になるように石を撒く。
いつもの作業をしながら、頭の裏側に流れる思考を辿る。
まだ冷たさを残している風と、草と木と土の匂いに囲まれて……私はいま、この幻想郷そのものと向かい合っている。そして、人を襲うといわれる妖怪たちは、この世界を構成する一部なのだ。
恐怖は確かにある。ないわけがない。だが、どうなのだろう。妖怪というものは、そんなにむやみやたらに人に害をなすものなのだろうか? 人の心を映し出したものならば、彼らの振る舞いも案外こちら次第ではないのか。
道に石を撒きながら、心が自分の躰だけでなく、その外側に向かって拡がっているのを感じる。それは、『外の世界』では感じられなかったものだ。
これはつまり、心の境界を……
「!」
突然、後ろから鋭い気配が襲う。
身体がとっさに反応し、姿勢を下げる。
「…………」
後ろを見る。が、何もいない。
これまでも、気配は感じていた
だが、こういう攻撃的なものは初めてだった。まるで槍のような……いや、それ以上に鋭い『線』のようなものが突き出てきたような気配だった。あるいは『弾』だろうか?
私は立ち上がり、周りを見回した。
ふと、胸のあたりが熱いような気がした。
服の上から触ってみると、その熱さはどうやら首から下げているサファイアから感じられる。私は首元から引き出して確かめてみた。金の環に触れるとやはり熱が感じられる。
なんだろう、これは。何が起きているのだろう……そんなことを思いながら、私はほとんど無意識に左腕を上げ、前方に向かって水平に伸ばしていた。なぜそういう動きをしたのか、自分でもよく分からなかった。
すると……まるで戦車の砲塔のような動きで、何かに引き寄せられるように腕が動いた。まるで自分以外の『意思』がその腕に宿っているかのような感覚だった。
腕が示すその方向に眼を向けた時、直感的に理解した。
そこに、何かがいる……!
ガサガサ、と音がした。そして、草が揺れるような動きが見えたあと、そこにいた者の気配は遠ざかっていった。
なんだろう、これは。
「…………」
今日は引き揚げた方がいい。そう感じた私は、用具を片付けて麓へと戻ることにした。
**********
「それで、訊きたいことというのは?」
「そうね……いろいろあるんだけど、いちばん疑問に思っていることを言うわ。あのサファイア……チビさんが左腕につけていた……あれをなぜああいう段取りを踏んで霊夢に返したの? まあ、わたしたちにとって一種の儀式が必要だったというあなたの理屈は分からないではないけれど……だったらべつにあのサファイアじゃなくたってべつに良かったんじゃない?」
膨大な蔵書を収めた棚に囲まれた空間で、二人の魔法使いが三日月型のテーブルをはさんで対峙していた。テーブルの左右の端には燭台がひとつづつ灯され、薄いオレンジ色の炎から放たれる光が彼女たちの顔を照らし出している。
「その話をするには、ひとつ約束してもらわなければならない」
「どんな約束?」
「例の九藤雅樹にできるだけ関わらないようにして欲しい。すべてが終わるまでは」
「九藤さん……あの、外界で霊夢たちが会ったという人ね。どうやら、いまはこちらに来て暮らしているみたいだけど。魔理沙から聞いたわ。でも、どうして」
「わたしも九藤雅樹には関わらないつもり。わたしたちふたりは、彼から距離をおいたほうがいい」
「すべてが終わるまで、というのはどういう意味?」
「霊夢とチビの問題に決着がつくまで。つまり、チビがどこから来た何者かということ……そして、彼はいまどこにどういう形でいるのか、あるいはいないのか。それがはっきりするまで」
「……わたし個人としてはその九藤さんという人と接触を持たなければならないという動機づけはないし、向こうから接触してきたら理由をつけて断ることはできるけれど」
「そうして欲しい。ただ、これはあくまでもわたしの予感のようなもの。この判断が正しいのかどうかは、なんとも言えない」
アリスはすこし考えたあと、小さく頷いた。金色の前髪がかすかに揺れる。
「分かったわ。約束する。九藤さんとは関わらない」
パチュリーは小さな唇を開いて息を吐いた。
「ありがとう」
「べつにありがとうだなんて……それで、サファイアの件は?」
「わたしたちは、チビのために霊力を蓄積し、制御するための術式をあの石に組み込んだ。あなたはチビの魂と石をつなぐ部分を、わたしは力を制御するための部分を担当した」
「ええ、そうね」
「ただ、あの石の制御に関する術式は、厳密な意味ではわたしがすべて作ったわけではない。もともと石に組み込まれていた部分があった」
アリスの青い瞳が一瞬見開かれる。
「どういうこと?」
「あの石は、ただの宝石ではない。おそらく、高度な能力をもつ者が専用の道具の核として使うことを意図して加工をほどこしたもの。そして、あなたは知らなかったと思うが、あの石はもともと人形の中に入っていた」
「レミリアの持ち物じゃなかったの?」
「……レミィが八意永琳からあの人形を託されたとき、わたしはその宝石が人形の腹の部分に入っていることに気づいて、取り出して管理しておくことにした。とても大きな力をもっていて、人形に入れたままにしておくと危険だと感じたから」
「じゃあ、もしかして、あの宝石こそが本来の魂の依代だったということ?」
「その可能性は高い。神が自然物のくぼみに宿るという考え方は太古の昔からある。あの人形に設けられていた空洞は、いわば神の生まれる場所。そこに依代としての宝石が入っているというのが本来の姿だろう。わたしには宝石が宿している術式の内部までは解き明かすことができなかった。ただ、外側から間接的に制御するならいくつか手がかりがあったから……それをもとに、わたしの術式をかぶせた。だから、わりと短い時間で完成させることができた」
「そうだったの……でも、どうなの? そんな力をもつ宝石を霊夢が持っているっていうのは、ある意味危険じゃないの?」
「それは問題ない。あの宝石の力は、それに対応する能力を持つ者に制御されてはじめて本来の力を発揮する。汎用性のある道具ではない」
「ちょっと待って……」
アリスは片手を上げ、額を押さえる。
「それってつまり、チビさんの魂がまさにその『対応する能力』を持っていたということよね?」
「そう。それは術式を設計する最初の段階で確かめた」
「それで、九藤さんって、これまでの話だとどうやらチビさんと同じ魂をもっているらしい……同じ人物かどうかはともかく、瓜二つの存在らしいのよね? しかもそれでいてどうやら排他的な存在でもあるらしい。外界に行った時、九藤さんに近づいたら、チビさんの存在が一時的に消えたという話も聞いた。魔理沙は喋り方がそっくりだと言っていたし、霊夢にいたっては、『同じ声』だったって……ということは、よ?」
アリスは震える声で言う。
「もし九藤さんが、その宝石を使ったら……チビさんと同じことができるっていうことじゃないの?」
「だから、わたしはわたしの作った術式をあの宝石から解除した。あのままだと、九藤雅樹の魂が宝石とつながると、あなたの言うとおり彼がチビと同じ能力をもつ可能性がある。それは……危険過ぎる」
「……だから、いったん預かる形にして、術式の解除をしたわけね」
「そう。あなたの術は人形が破壊された段階で無効になっていたけれど、宝石側のわたしの術は解除する必要があった」
「だけど、だけどもよ? もしじゃあ、九藤さんがあの宝石の本来の使い方を知っていたら、どういうことになるの? むしろ、本来の使い方のほうが、発動される力はもっと強いんじゃないの?」
「それは……正直分からない。といって、わたしがあの石を預かり続けるというわけにもいかなかった。あの石はおそらく、この件が決着するための鍵だと思う。だから、霊夢に預けるしかないと判断した。もしその結果、あの石が本来の持ち主であろう九藤雅樹の手元に戻ったとしても、わたしたちが介入できることではない」
アリスは唸り声を出す。
「……これは確かに、事情を知るものとしては距離を置かざるをえないわね。下手にこのことを九藤さんに話してしまったら、やぶ蛇になるかもしれない。わたしたちとは違う常識の支配する世界で生きてきた彼は、あの宝石の正体なんてまるで知らない可能性もあるものね」
アリスはため息をついた。
「待つしかないの? 何かが起こるのを」
「おそらく、今は」
パチュリーはうなずく。
「見守るしかない」
その17につづく




