その15
十五
授業を終え、いつものように昼食をいただいてから寺子屋を辞した私は、その足で森の入口近くにある香霖堂へと出かけた。以前行った時から目をつけていたものがあったからだ。
里から川沿いに歩いてだいたい三十分ぐらいのところに香霖堂はある。すでにその背後は魔法の森への入り口が見えている。ある意味では人と妖怪の境界にあるような場所だ。
店の外観は東洋風とも西洋風とも言いがたい、異国というよりは異世界風の雰囲気を醸し出している。
扉を開けると、取り付けられている鐘が軽やかな音をたてる。
「こんにちは」
「やあ、九藤さん。いらっしゃい」
主人の森近霖之助さんは落ち着いた笑顔で挨拶を返してくる。と、店の奥からも声が聞こえてきた。
「おや、あんたか。ここで会うのはちょっと久し振りか?」
「ああ、そうだね」
出てきたのは、魔法使いの少女、霧雨魔理沙だった。手には分厚い本を持っている。どうやらまた『立ち読み』に来ていたらしい。
「そういえば、聞いたぜ。昨日だか、一昨日だったか……神社の麓のところに石の山ができたんだって? 原因は九藤さんのからみだって話じゃないか。参道を作ってるからって、妖怪が石をくれたんだとか」
「うーん、どうなんだろうね。霊夢さんが言うには、鬼がもってきたものだということらしいが」
「萃香か。まあ、あいつの力ならそれぐらいは簡単だろうけどな。しかし、鬼がからんでくるっていうのもなあ……ちょっと意外な感じもするぜ」
「九藤さん、お茶を淹れましたから、どうぞこちらに」
霖之助さんがカウンターの脇に置いてある椅子をすすめてくれる。
「なんだ香霖、わたしとは扱いがずいぶん違うんじゃないか?」
「九藤さんは、ここでは数少ない『まともな』お客さんなんだ。まともどころか客ですらないきみとは違って当然だ。きみは単に自分の家が寒いから、ここに来てるだけだろう」
「最近はそうでもないぜ。前に較べるとだいぶ過ごしやすい感じだからな」
考えてみれば、この子も森の中で一人暮らしをしているわけだ。いくら魔法が使えるといっても、燃料や食材などの調達には苦労しているに違いない。
「ところで今日は何を買いに来たんだ? また寺子屋で使う本とかか?」
霖之助さんよりも先に訊かれてしまう。半ば店員のような感覚なのだろうか?
「ああ、いや実はね……さっき話に出た石の山の件との関係でね。運搬用の道具が必要になってきたんだ。それで、前に見かけた猫車を譲ってもらえないかと思ってね」
「ネコグルマ? 香霖、ネコの妖怪なんて仕入れてたのか?」
「そんなもの仕入れてないよ。九藤さんが言ってるのは、作業用の手押し車のことだ。たしかに外の差し掛けの所に置いてあったと思いますけど……もしかしてあれで石を運ぶんですか?」
「ええ。少なくとも、担いでいくよりはマシだろうと」
「しかし、上り道であれを使うというのはけっこう大変じゃないのかな……まあ、見てみますか?」
私たちは店の外に出て、差し掛けの屋根のある物置場に行った。
「これですかね。ちょっと出してみましょうか」
霖之助さんがひっぱり出してくれた猫車は、運搬用の皿の部分はだいぶサビが浮いていたものの、タイヤはしっかりしていて、なんとか使えそうだった。ただ、だいぶ空気が抜けているようだ。
「タイヤに空気を入れる道具というのは……ないですかね」
「うーん、そういうのはちょっと……」
霖之助さんが首をひねると、魔理沙がしゃがみこんで、指先でタイヤのバルブに触れながら言う。
「あれだろ? この口金から中に空気を入れればいいってことだろう?」
「ああ、そういうことだが」
「なら簡単だぜ」
そう言うと、ぶつぶつと何かを呟いていたかと思うと、しゅーっという音がして、見る間にぶよぶよだったタイヤが固く張りを取り戻した。
私は驚きを隠せなかった。
「……すごいな。魔法なのか、それも?」
「魔法というほどのもんじゃない。空気の流れを制御する術だ。冬の間はあんまり派手な魔法の実験とかはできないんでな、こういうちまちました感じの術の研究をしてたんだ」
「しかし、門外漢からするとたいしたものだ……ありがとう、助かったよ」
「次回からはちゃんとお代をいただくぜ」
魔理沙はにやりとする。
「そうだ……それでどうでしょうかね、霖之助さん。この猫車の代金はいかほどでしょうか?」
多少の蓄えができてはいるが、場合によっては分割払いをお願いすることになるかもしれない……そう思っていると。
「今回は、そういう話はやめておきましょう」
「え?」
「無期限で貸し出しします。作業が終わったらお返し頂くということで」
「いや、さすがにそういうわけには……」
「だって、あなたのその作業には報酬もなにもないわけでしょう? そんなことをやってくれている人から代金を頂くわけにはいきませんよ」
「傍から見れば、奇特を通り越して奇怪だぜ」
魔理沙はくすくすと笑う。
「まあ、あんたに言わせれば自分のやりたいことをやってるってことなんだろうけどな……でも、わたしたちにはできないことだっての確かだよ。だから、香霖のささやかな好意を受け取ってやってくれ」
「きみがささやかって言うなよ」
と霖之助さん。
「わたしもとりあえずささやかに支援させてもらったぜ?」
魔理沙が返す。
「ありがとう……それじゃ、ありがたく使わせてもらいます」
私は一輪車を押して道に出た。
「……もしかしてもうこれから行くのか?」
魔理沙が驚いたように言う。
「せっかくだからね。まだ日が暮れるまでは時間があるし、ちょっとどんな感じか試してみたい」
多少呆れ気味のふたりに見送られ、私は香霖堂をあとにして神社のある東の山を目指した。
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穏やかな薄青色の空の下を、博麗神社に向かって移動してゆく妖怪と人間がいた。メイド服を着けた人間のほうは、彼女より一回り小さな妖怪の後方から、日傘を差掛けている。
「しばらく間があいたから……正直、緊張するわね」
「でも、花見の前に一度は行っておいたほうがいいと思う、とおっしゃったのはお嬢様ですよ」
「そうなんだけどね……」
レミリアは息を吐く。
「フランのことはまだけじめをつけたわけでもないしね。そこらへん、霊夢はどう思ってるのか」
「でもこちらの気分というものは、相手にも伝わるものですから、あまり気にされると……あら?」
「ん、どうしたの?」
「あんなところに人がいます」
咲夜が指さした方向を見ると、確かに人間の姿が木々の隙間から見えた。なにか作業をやっているようにも見える。
「もしかして、あれが噂の外来人かしら……」
「そのようですね。服装からして」
里の者と違って、明らかに現代風の身なりをしている。
「ちょっと声をかけてみるわ」
「あ、お嬢様……」
レミリアは空中から降下して、その人間のそばに近づき、背の翼を上下に羽ばたかせるとゆっくりと降り立った。
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「……!」
いきなり目の前に白いドレスの女の子が現れた。白い帽子の下からはゆるやかにウェーブのかかった銀色の髪がこぼれ出て、両肩にかかっている。だが、何よりも眼を引くのは背中の翼だった。鋭い爪のついたその翼の形から連想されるのは蝙蝠。つまり……この子は。
「お初にお目にかかるわね。わたしは紅魔館の主、レミリア・スカーレット。あなたの名を教えてくれる?」
私は気を鎮めるために息をゆっくり吸ってから答えた。
「九藤雅樹……です。もう三ヶ月ぐらいになるのかな……それぐらい前に外界からやってきた者です」
「……!」
女の子の眼が大きく開かれ、その小さな身体が揺れる。こちらがたじろいでしまいそうなその反応は、前にも見たような気がした。
少し間があいてから、レミリア嬢は言った。
「そう、あなたが九藤さんね。ところで、こんな山の中で何をしていたの?」
「道を整えている……という感じでしょうかね。ここの道は大人でも通りにくい感じなので……もうすこし手を入れたほうがいいと思ったので」
とりえあず今日は、手に入れた猫車で試しに石を運んでみて、どんな感じに道に敷けばいいかを考えているだけなのだが。
「道をねえ……でも、この道の先には博麗神社しかないわ。神社に行く人間なんてほとんどいないわよ」
「たぶん道がまともじゃないから、誰も行かないんです。里の近辺ほどではなくとも、普通に行き来できる道になれば状況は変わるんじゃないかと」
「うーん……必ずしもそういうことだけじゃないと思うんだけどねえ」
「と言うと?」
「たとえば、わたしみたいなのがその辺をうろついてると思うと、近づきたくなくなるんじゃないかしら」
「そういうものですか」
まあ紅魔館の主が吸血鬼だということは話には聞いている。吸血鬼は妖怪の中でも最強の部類なのだから、近づきたくないというのは当然の感覚かもしれない。
ただ、どういうことか、私には彼女が妖怪なのだという実感があまり湧かなかった。そもそも吸血鬼は昼間に活動できるものなのだろうか?
「あなた、こんなことをやっていて、妖怪に襲われたりすることはなかったの?」
「いまのところは、まだ。誰かに見られているような気がすることは何度かありましたが。ああ、それから新聞記者だという女の子と話をしたことがありましたよ。烏天狗だということでしたけど、普通の女子学生みたいな感じでしたが」
「そう……」
レミリア嬢は肩をすくめる。
「でもまあ、気をつけたほうがいいのは確かよ。縄張りに近づいたものは襲う、っていう単純な考えの妖怪もいるから。妖怪は人間の敵だってことを忘れないように」
「里の飲み屋とかでは、妖怪と人間が一緒にお酒を飲んでたりもしてますが……」
「商売してる連中とか、場合によってはいろいろあるでしょうけど、基本はそういう関係だということよ。人間に舐められては妖怪としては沽券にかかわるわ」
「なるほど……覚えておきます」
おそらく、こんな受け答えをしていること自体、妖怪からすると舐めた態度なのかもしれないが……。
「ところで霊夢はなんて言ってるの、これについては」
「……怒られました。というか、彼女とはいま非常に冷たい関係です」
「なにそれ」
私が砕石が『奉納』されたときのやりとりを話すと、レミリア嬢は首を傾げた。
「なんだか霊夢らしくないわねえ」
「そうですか」
「でも、相手がそんな態度をとってるのに、あなたもへこたれないのね。何の得にもならないでしょうに」
「私は私自身のために道を整えているだけなので」
「やっぱり生身の身体を持っていると、それに応じた自我の強さというものをもつわけね」
「?」
どういう意味だろう。
「なんにしても、そういう冷たい関係が続くのは良くないように思うけどね」
分かってはいるが、なかなかこういうことは思うようにはいかないのだ。
「まあ、あなたに代わってちょっと霊夢の様子を見てきてあげるわよ。このわたしがね。名誉に思っておきなさい」
そう言うと、レミリア嬢は空中へと飛び立った。付き添っていたメイドさんは、ごめんなさいね、というような仕草をして吸血鬼の少女の後へと続いていった。
しかし、幻想郷ではメイドさんも飛べたりするんだな……。私には見えない翼でも持っているのだろうか?
**********
「あら……」
咲夜とともに拝殿の前に降り立ったレミリアはいぶかしげに境内を見回す。
「なんとなくあれね……全体的に煤けた感じね。掃除をサボってるのかしら?」
母屋を訪ねると、縁側に霊夢がぼんやりとした表情で座っていた。
ふたりに気づくと少し驚いたように立ち上がる。
「いらっしゃい」
「……ひさしぶりね」
霊夢は一瞬、言葉に詰まったような顔つきになるが、すぐに表情を緩める。
「そうね……髪、伸ばしたんだね」
「吸血鬼っていうのは髪が伸びるのが速いのよ。のんびりしてると余計にね」
「その白い服との組み合わせだと、遠い国のお金持ちのお嬢さんみたいに見える」
「それはどうも」
レミリアは苦笑する。
「お茶、淹れてくるから」
霊夢がお勝手に引っ込むと、咲夜がぽつりと言う。
「いちおう、『みたい』じゃなくて、貴族のお嬢様なんですけどねえ……」
「まあ褒めてくれたんだからいいじゃない。髪型だの服装だのを褒めるなんて、霊夢にしては珍しいことよ」
レミリアは縁側に腰を下ろす。
やがて戻ってきた霊夢は、急須からお茶を注ぎながらレミリアにたずねる。
「ところでさ……来る途中で、変な人に会わなかった?」
「そういえば、穏やかだけど意志の強そうな青年には出会ったわよ」
レミリアは笑みを浮かべて言う。
「元気そうだったわよ。特に怪我とかしてなかったし」
「いや、まあ……そうでしょうけど」
そう言いつつも、霊夢はすこしほっとしたような顔をする。
「あの青年、あなたが外界で会ったという人なんでしょ。で、その後、紫となんやかやあってこっちに来た。そこらへんはいろんな方面から聞いたわ。天狗の新聞とかにも載ってたしね。かなり尾ひれがついてた感じだけど」
「変わり者よ。悪い人じゃないけど……」
「正直、驚いたわ。『声』が同じなんだもの」
「!」
霊夢は眼を見開く。
「たぶん人によってそこらへんは感じ方が違うんでしょうけどね。わたしには同じ声に聞こえた。そして感じた。この青年は、チビとまったく同じ魂を持ってるって」
「……でも、あの人にはここにいた記憶はないはずよ。チビがいた同じ時期には外界で暮らしてたんだもの」
「そのようね。ただね、わたしはあの声を聞いた瞬間に視えたものがあったの」
レミリアはいったん間をおき、それから言葉を継いだ。
「あの青年と、チビの関係。関係というのは正しくないのかもしれないけれど……ある種のビジョンのようなものが視えたわ。あの青年はチビに護られている」
「護られている……?」
「ええ。あの青年が今後危機に陥ったとしても、チビの存在が……いや……そういうのはおかしいのか」
レミリアはすこしもどかしげに言う。
「とにかく、あの青年を導いてくれているような位置にいる。そう感じた」
「それって……チビの魂がどこかにいるってことなの?」
「分からない。いちばん強く感じたのは彼が何かに護られているということ……そのあとからついてきたのが、それはチビだろう、という印象。ビジョンって、なかなか言葉じゃ言い表しにくくってねえ……運命というより、物事の関わりあいが視えるのよ。それが未来にも及ぶということになれば、運命を予測することにもつながるの」
「そう……」
「妙な話をしてしまったわね。ただ、あの青年のことを心配してるだろうからと思って」
「心配なんか、別に……」
「あの青年のしてることって、とても象徴的よね。自分が住んでいる里とあなたがいる神社の間をつなぐ道を作ろうとしているわけでしょ。分かりやすい話だと思うわ」
「…………」
「以前のわたしだったら、なんとなくムカついたかもしれないけど……今はそうでもないわ。だいたい、人間同士のことに妖怪がくちばしをはさむというのもおかしな話だものね。そういう意味じゃ、酔っぱらいの鬼がやってることなんて、わたしは的はずれだと思うわよ」
レミリアは茶碗を手にして、中身を見つめる。
「まあ、周りの都合とか、あんまり気にしないことよ。あなたはあなたの思うように、好きなようにやればいいのじゃない? 今まで通りに」
「……妙に優しいことを言うのね」
「五百年生きてる者にだって、まだ多少の成長の余地はあるのよ」
レミリアはそう言うと柔らかく微笑んだ。
**********
そろそろ山を降りようかと考え始めた頃、あの吸血鬼の令嬢がまたふわふわとした感じで私の目の前に降り立った。
「霊夢の様子、見てきたわよ」
レミリア嬢は小さな白い牙を唇の隙間から見せる。
「なかなか良い感じだとわたしは思ったわね」
「良い感じ?」
「そう。あなたは今のまま進めばいいと思うわ。ただ、ひとつだけ忠告させてもらえるかしら」
「なんでしょう」
「死んだ恋敵には勝てやしないわよ」
「…………」
「でも、勝つ必要はないのよ。歴代二位であったとしても、生きてこの世にいる中では一位になればいいんだ、ぐらいに思わないと。あなたはとても懐が深そうな人物だとは思うけれど、それでもなお一段の心の余裕をもつべきね。この幻想郷で何より大切なのは精神の力なの。それを鍛え上げれば、人間だろうと妖怪だろうと、なんでも相手にできる」
「貴女のような高貴な吸血鬼でも?」
「わたしは人間なんて相手にしないわ。あまりにも存在が儚すぎるから。霊夢は例外中の例外」
逆に言えば、あの巫女さんは人間離れした精神の持ち主だということなのだろうか? とても、そうは思えないのだが。
「ま、ときどき声援ぐらいは送ってあげる。それじゃ」
銀色の髪を揺らして、レミリア嬢はふたたび空中へと飛びたってゆく。おつきのメイドさんも優雅に会釈をすると、木々の間を抜けて姿を消した。
それにしても、容赦のないお嬢さんだ。
その16につづく




