知っているはずのないこと
違和感というのは。
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小さいうちは、無視できる。
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というか。
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無視してしまう。
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面倒だからだ。
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考えるのが。
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理解するのが。
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そして何より、
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「分かってしまうこと」が怖いからだ。
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だから人は、
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見て見ぬふりをする。
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俺もそうだった。
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昨日までは。
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「ここ、覚えてる?」
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少女が言う。
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歩きながら。
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何気ない調子で。
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「いや、来たことないけど」
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正直に答える。
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事実だ。
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この道を通るのは初めてだし、
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この景色にも見覚えはない。
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だが。
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少女は、少しだけ不思議そうな顔をした。
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「そっか」
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それだけ言って、
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前を向く。
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納得したのか、していないのか。
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分からない。
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ただ一つ言えるのは、
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今の反応は、“予想外”だったということだ。
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つまり。
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少女の中では、
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俺はここを“覚えているはず”だった。
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そういうことになる。
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おかしい。
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普通に考えて、おかしい。
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だが。
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ここで「おかしい」と思っている時点で、
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もう遅いのかもしれない。
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最初から、全部おかしかったのだから。
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「ねえ」
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少女が言う。
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少しだけ振り返って。
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「今日はどこ行きたい?」
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質問。
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だが。
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どこか違和感がある。
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なぜか。
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この質問をされるのが、
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初めてじゃない気がした。
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そんなはずはないのに。
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記憶にないのに。
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「……どこでもいいけど」
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曖昧に答える。
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すると少女は、
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少しだけ困ったように笑った。
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「それ、前も言ってた」
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——。
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止まる。
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思考が。
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「前?」
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聞き返す。
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確認のために。
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重要なプロセスだ。
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「うん、前」
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軽く頷く。
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当たり前みたいに。
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だが。
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当たり前じゃない。
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少なくとも俺にとっては。
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「いや、初めてだろ」
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「そうだね」
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即答。
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矛盾している。
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完全に。
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だが少女は、
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それ以上説明しようとしない。
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いつも通り。
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それが余計に、
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不気味だった。
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「……なあ」
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俺は言う。
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少しだけ真剣に。
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「俺たちって、前に会ったことある?」
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核心。
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逃げない。
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もう無視できるレベルじゃない。
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これは。
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ちゃんと聞くべきだ。
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そう思った。
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少女は、足を止める。
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ゆっくりと。
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振り返る。
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そして。
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少しだけ。
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本当に少しだけ。
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困った顔をした。
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「……あるよ」
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小さく言う。
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はっきりと。
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「でも、悠斗は覚えてない」
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続ける。
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静かに。
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優しく。
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まるで、
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それが当然みたいに。
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……いや。
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待て。
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待て待て待て。
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おかしい。
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完全におかしい。
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「なんで覚えてないんだよ」
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思わず聞く。
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当たり前の疑問だ。
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すると少女は、
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一瞬だけ、視線を逸らして。
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それから。
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「……忘れたから」
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答えた。
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短く。
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それだけ。
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それだけなのに。
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やけに重かった。
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その言葉が。
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空気が。
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全部。
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その時。
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ふと気づく。
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周りの景色。
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色。
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音。
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全部が。
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少しだけ、
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薄くなっている。
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昨日よりも。
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確実に。
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「……なあ」
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声が、少しだけ震える。
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自分でも分かるくらいに。
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「これ、なんなんだ?」
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聞く。
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もう一度。
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逃げない。
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逃げられない。
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少女は、少しだけ黙って。
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それから。
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ゆっくりと、口を開いた。
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「……もうすぐ分かるよ」
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またそれだ。
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“あとで分かる”。
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信用できない言葉。
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でも今回は。
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なぜか。
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本当にそうなる気がした。
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そして。
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それはきっと。
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いいことじゃない。
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そんな気もした。
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少女が、こちらを見る。
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まっすぐに。
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逃げずに。
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そして。
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ほんの少しだけ、
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笑った。
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でもその笑顔は、
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最初に見たものとは違っていた。
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明るくて。
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優しくて。
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でもどこか、
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終わりを知っている顔だった。
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その瞬間。
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俺は初めて。
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はっきりと理解した。
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これはただの出会いじゃない。
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ただの偶然でもない。
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そして。
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たぶん。
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このままじゃ、終わる。
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理由も分からないまま。
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何もできないまま。
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そんな予感がした。
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そして俺は。
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まだ知らない。
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この“終わり”が、
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自分の選択で決まることになるということを。




