白昼夢
けたたましい、ミンミンゼミの鳴き声。
美雪はびっくりして跳ね起きた。ベランダの方を見ると、網戸に蝉が留まっているのが見えた。
パジャマ姿でガラス戸の前まで行くと、ガラス戸を開けた。冷房の効いた部屋に湿って生暖かい空気が流れ込んでくる。
「……こいつ」
網戸に留まってのんきに鳴いている蝉を網戸の網越しに指で押した。驚いて飛び去っていくだろうという美雪の予想は外れ、蝉は、よいしょ、という感じで横に動いただけだった。もう一度同じことをしてみたが、蝉の反応も同じだった。
「えいっ!」
指先で弾いた。今度は流石に驚いて、蝉は鳴き声を残して飛び去って行った。
「おはよう。早いわね。何時もはお寝坊さんなのに」
階下では、母が朝食の支度をしていた。
「うん。夏限定、天然の目覚ましに起こされた」
「なあに、それ」
母はフレンチトーストをひっくり返しながら笑う。
「出かけるの?」
美雪は、響子のアパートに美雪は招かれていた。和穂と神保とともに。
「うん。響子さんのところ」
「響子さんて、美容院に来た子? だっけ」
「うん」
母にとっては、美容院に来た、変わった少女、としてインプットされているのだろう。響子の名前がでるたび、それは強く刻まれて行くのかもしれなかった。
「いってきます」
朝とは言え、夏の日差しは強い。つばの広い白い帽子をかぶって、淡いストライプの入った白のワンピースを着た美雪は、遠くの入道雲を眺めた。
なんとなく、ラフな格好だと母に何か言われそうな気がしたのと、何時もとは違う気分もあって、フォーマルというと言い過ぎだがきちんとした格好にしようと思ったのだった。
――智絵が見たら、お嬢様っぽいとかいうかな。
いつもなら歩いていく道だったが、響子の家は学校を通り過ぎた美雪の家からは町の反対側にあったので、バス停に向かっていた。
到着したバスに乗り込む。乗客は半分もいなかったので、前の方の開いた席に座った。冷房が効いていて涼しい。
バスは十分程走って駅前のロータリーに着いた。ここの近くの広場で和穂と神保と待ち合わせている。
バスを降りて、日差しを避けるように停留所の屋根の下を歩く。噴水がある円形の広場がロータリーに隣接していて、そこに向う。噴水は待ち合わせ場所としてよく利用されているので、人が結構多かった。
「みゆきー」
和穂が手を振っている。紺のシャツに生成のコットンパンツという姿。何時もと若干雰囲気は違う気がした。
和穂から少し離れたところに神保もいた。グレーのチノパンに白いTシャツの上からグリーンのシャツを羽織っている。部室では、漢字が書かれた白いTシャツにちょっとよれたデニムパンツという恰好ばかり見慣れていたので、何時もと雰囲気違う。
「ちょっとなんか、何時もと雰囲気ちがうわね」
美雪が思っていても言わなかったことを和穂が口にした。
「女の子の家にいくんだから、きちんとした格好は基本でしょ」
神保が言うのは、まあ、もっともだとは言えた。
前に勉強会で通った道を進む。和穂と美雪が並んで先に歩き、後ろに神保が続く。海が近いので潮の香りが漂うなか歩く。神保は物珍しそうに周りを見ながら歩いている。美雪は、以前来た時よりも、心なしか見通しが良くなった気がした。
響子の住むアパートは、周囲の建物が取り壊されて一棟だけポツンと残っている、という雰囲気が前よりも顕著だった。
前も人が住んでいる気配がしなかったが、今回はどの階の部屋からも物音は聞こえなかった。階段を上って三階に上がると、隅の部屋へ向かった。和穂が呼び鈴を押す。
「お待ちしていました」
ガチャリとドアがあいて、制服姿の響子が顔をだした。
「おじゃまします」
三人は部屋に上がった。質素な、殆ど物のない、古いアパート。以前と変わり映えしない部屋だった。
キッチンから続くフローリングの部屋に勉強会の時と同じように通されて、三人は席に着いた。和穂と美雪が並んで、和穂の前に神保。
響子が丸いお盆に麦茶が入ったグラスを三つもってきて三人の前に置いた。響子は部室では何時も制服姿だし、美雪は、響子の服装というと、制服に体操着と、初めて会ったときの黒ずくめの姿に、あの黒いスキンスーツのような姿だけだった。
「今日は、疑問に答えるということでしたね」
神保の隣に座った響子が表情の無い顔でいう。
「そう、ね。まず、響子さん、貴方の、正体というか、只の高校生ってわけではないのよね?」
和穂が美雪には聞き辛いことをズバッと声にだした。
「はい。私は、銀河連盟、と、この国の言葉に訳せばそう言われている組織のエージェントになります」
あっさりと答えた響子。これまでの成り行きを知らない人が聞いたら、誇大妄想か、ちょっと精神状態を疑いかねない言葉ではあった。
「銀河連盟って、どういう組織なの?」
和穂が続けて訊ねる。
「地球が公転している太陽系が属する、銀河系を、政治・軍事・経済的に掌握している、複数の、この国の言葉で言えば、文明から構成されている組織です」
「じゃあ、あなたは、平たく言うと、宇宙人、ということ?」
「この星以外で誕生した生命体、という意味でしたら、そうなります」
――なんだろう、この感じ。
身近な人物の間で交わされている、非現実的な会話。なにか、お芝居で、セリフを与えられて喋っているんじゃないか、というような違和感が募った。
斜め前の神保をふと見ると、興味津々という顔で響子の横顔を見ている。
「じゃあ、あの学校の地下にあった宇宙船? は、鷹山さんのエージェントとしての任務に関わることだったってことだよね?」
神保が今度は口を開いた。
「そうです。遠い昔、銀河連盟と敵対する組織の宇宙船がこの地に逃れて地下に籠りました。その後にここには人が住みつくようになり、後から宇宙船のことを知った銀河連盟は、宇宙船が動きださないように、結界を張ったのです」
「この町で、要石って言われている物が結界を張っているの? 東西南北四つあるんだよね」
「そうです」
神保は自分の予想があたって満足げだった。
「響子さんがエージェントとしてこの町にきたのは、その宇宙船が動き出そうとしたからなの? 結界が張ってあったのに?」
「結界が張られたのは、この地に人が住み始めた頃なので、八千年ほど前になります。それから長い年月が過ぎて、結界も綻びが生じ始めていました。再度結界を張り直すには、この地には構造物と住む人の数は増えすぎていて、問題が多いことから、宇宙船の活動停止が決定しました」
「縄文時代のことだよね。そんな昔から動き続けている宇宙船て」
空想の産物ではなく、実在したことに神保が呆れて口にしたが、それだけでなく、そんな昔から宇宙を舞台に争っていた文明というものが存在していたことに、美雪は驚愕していた。
「じゃあ、昨日で、あの宇宙船はもう動くことは無くなったってこと?」
美雪が響子の顔を見つめて言う。
「ええ。もうこの町で、あの宇宙船が原因の地震など起こりません。それ以上の災厄もありません」
そう言われても、安心というよりは、原因自体がまだ上手く呑み込めていないだけに、何とも言えない気持ちだった。
「質問ばかりで、申し訳ないんだけど」
和穂が妙に丁寧な、高校生にしては大人びた口調で言う。
「倉田さんは、この件に関わっているの?」
あ、っと、美雪は一瞬、和穂の顔を見た。百年近く前に似たような顔の人がいて、それに関することを響子も話していた事があった。
「倉田江理栖は、銀河連盟のエージェントで私の前任者になります」
田舎町の高校生にしては、浮世離れとでもいうような雰囲気の女生徒だけに、響子よりは違和感も無いような気が、聞いていた美雪はしなくも無かった。
「前任者ってことは、今はもう、その役目からは外れているってこと?」
「そうです。彼女は、任務の遂行に支障をきたしたので任務を解かれました。学校に復学することも無いでしょう」
響子は具体的な理由も、江理栖の顛末も語らなかった。
「じゃあ、もう、倉田さんは学校に来ないのね」
独り言のように美雪が言った。
「ええ。退学、または転校として扱われることになるでしょう」
江理栖の家を尋ねて、少し、身近に感じることが出来たような気がしていたが、もう会うことも叶わない。
「それじゃあ、もう、この町には、何事も起きないし、鷹山さんの任務も完了、てことになるのかな」
神保の言葉には、少し残念そうな響きがあった。
「まだ少し、残っている作業がありますので、まだしばらくはここに滞在することになるでしょう」
「いつまで?」
美雪が思わず訊ねた。
「この国での高等学校という教育機関に所属することにしたため、その区切りの良いところで去ることになるでしょう」
「高校卒業までってこと?」
「いえ。一年次終了か、今年の終了と二学期の終了が同じですので、その頃に」
響子の当初の任務は完了したが、江理栖の残したものの後片づけとでも言うような雑事に、ε星系人関連の後始末も残っていた。響子は、東海林のことは美雪たちに話すことは考えていなかった。
少し、会話が途切れる。
響子はあと数か月はこの町で高校生として過ごすと言う。美雪は直ぐに居なくなってしまうわけでは無いことに少し安心しつつ、宇宙人のエージェントなどという存在となった響子とこれまで通りに付き合っていけるのか、不安も覚えていた。
「さて、質問は以上でしょうか。私が今日この時間帯に皆さんをお招きしたのは、見てもらいたいものがあったからです」
響子はそう言うと、席を立った。
「見てもらいたいもの?」
立ち上がった響子を和穂が見上げる。
「ええ。外にでますので、私の後についてきてください」
三人も立ち上がった。美雪と和穂が響子の後についていく後、神保はふと露の付いた麦茶の入ったグラスを見て、それを掴むと半分ほど飲んだあと、ふうぅっとため息をついて、部屋をでた。
響子は、部屋から出ると、部屋の横の非常階段へ向かった。錆びた鉄の手すりがついた階段を上がると、屋上へ続く扉を開ける。
夏の日差しが照り付ける屋上は眩しかったが、学校の校舎の屋上のような熱気は感じなかった。
美雪は、胸の辺りにくる鉄の柵の向こうに青い海を見た。その上には、白い入道雲。絵にかいたような夏の風景。BGMは微かな波の音と、蝉の鳴き声。
「見てもらいたいものって?」
この景色、ってことなの? という感じに和穂が訊ねた。
「もうすぐ、見えてくると思います」
響子は、少し西の空を見上げている。見てもらいたいもの、というのは空から来るのか? 三人もなんとなく空を見上げていると、遠くの方に、白い、飛行機のようなものが微か動いて見えた。
それは、次第に大きくなってくる。紡錘形をしたものが、周りに赤い炎を纏わせて、白い尾を引いている。紡錘形という形が認識できているので近くを飛んでいるかのようにも見えるが、青い大気の向こう側にも見え、遠く高い場所を飛行していることは確かだった。その証拠に、轟音を発していてもよさそうだったが、まったく音が聞こえてこない。
その様子は、何か、威圧するような雰囲気もあった。
それは、やがて、美雪たちが見上げる中、入道雲の上を横切って、東の空へと向かい、見えなくなった。
「あれって……」
たしか、地球に接近して、地球と月の間を通過する、と見られていた太陽系外から飛来した小惑星だった。ほんの数日前に、それまでの軌道よりも地球寄りになったということを美雪はネットのニュースで見てはいたのだが。
「あれは、銀河連盟の破壊兵器で、ミサイルとでも言ったものでしょうか。あれが接近したことによって、この町に埋まっていた宇宙船の活動が活発になったのです」
「え、それじゃあ、あれがこの町に落ちてきたかもしれないってこと?」
察しの良い和穂が響子の顔を見る。
「その心配はもうありません」
「そういう情報は、この、地球の人々には知らされないのね」
和穂の声には少し皮肉な調子が混じっていた。
「ええ。まだ、銀河連盟と直接的な交渉を行うには、この星の状況では時期尚早とみられています」
海からの風が美雪の髪を頬に揺らした。それを手でかき上げながら、帽子を部屋に置いてきたことに気付いた。
「ここまで、いろんなことを話してもらって、ありがたいとは思うけど」
腕組みしたした和穂が響子を見つめる。
「直接的な交渉が出来ない星の住人にこれだけ情報を与えていいの?」
「なにも知らずに済ませた方が良かったでしょうか」
「いいえ。そんなことは無いけど……」
和穂が言い淀む。
「これまで話したことを、私としてはこの三人以外で共有することは望みません。そのことを強制もしませんが」
淡々と話す響子。
響子が宇宙人で、倉田江理栖もまた同じく宇宙人のエージェントだった。町の地下には宇宙船が埋まっていて、それを処理することが響子の任務だった。
こういうことを、クラスメートに話したりしたら、どういう反応になるだろうか。
「まあ、言わずもがな、てことね」
和穂と響子の会話を横で見ていて、自分が当事者であるという感覚が無かった。今、こうして四人で夏の日差しの下で会話していること自体、白昼夢の様な気がしていた。




