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その三十六
アパート付近まで民吾氏に送ってもらう。
「お二人さん、じゃあね」
ぼくは後部座席のドアを閉めた。
郵便受けにはスポーツ用品店からのダイレクトメールとリョウマくんからの手紙とオカリナ教室のチラシとお玉さんからの伝言が入っていた。
お玉さんのそのメモ用紙には、
「店に来てください。玉子」
と書いてあった。とりあえずぼくは薄手の上着を羽織ったのちに古書店まで歩いて行く。
店のまえに出してある縁台にすわって、気難しそうな青年としゃべっていたお玉さんはぼくをみると、
「ああ、やっと来たわ」
と縁台から立ちあがった。気難しそうな青年はお玉さんとぼくに軽く会釈すると、どこかへ去って行く。
「なにか急用ですか?」
「ええ。さっきあの子が、またみえたんですけど……」
お玉さんは『おはようキッカーズ』の九巻を探している例の男の子にたいして相当気の毒がっていた。
「探してくれたのかしら?」
「いえ……」
ぼくはこの九巻のことをすっかりわすれていた。お玉さんは涙声だった。
「これ以上後回しにはできないな……」
とりあえず漫画に重点を置いている知り合いの古書店に問い合わせてみる。
「たしか、あったよ」
といって、いったん電話を切った正木くんという古書店経営者は十分後くらいに、
「あるある」
と折り返しの電話をよこしてくれた。
「たすかった。いまから行くね」
ぼくは軽バンでその古書店に向かい、九巻を確保した。礼をいってもどる。
あまりにも思いつめているので、男の子におにぎりをつくってあげたこともあるお玉さんは、その男の子がどこに住んでいるのかもとうに知っていた。
ぼくは男の子の家に電話をかける。
「――ああ、そんなに似てるんですかぁ。いえいえ、もう暗くなってきてるんで、届けますよ。なにしろ、かなり長いこと、ウチに通ってくれてたみたいですからね」
とお母さんと話したのちに徒歩でそちらに向かう。一杯やるかもしれないからである。ジェーン・アッシャーにそっくりだと自負するお母さんに興味をもったからである。
九巻を探していた男の子の家は、八〇年代の半ばくらいにおこなった区画整理のあおりを受けたようにみせかけて逆に密集した感じを強めた、ちょっと古代ローマみたいな雰囲気の飲み屋街にある。
じつをいうと、いままでぼくはこの飲み屋街にはなるべく行かないようにしていた。
それは怖かった少年野球の監督が、ここで揚げ物屋をやっているからである。
ちなみに揚げ物屋はつぶれたという説も一時あったが、こちらはガセ情報だった。まあこの飲み屋街にまつわるうわさは、いったいに誤情報が多いのである。
このあいだつぐみさんも、
「あそこの飲み屋街のどこかは「沼口探険隊」のアジトになってるみたいよ」
といっていたが、その話などは一連の偽情報の典型ということもできるだろう。
Kの森テレビが開局した当初は大人気だった『沼口探険隊がゆく』という番組は、まことしやかにささやかれていたいわゆるやらせの有無を一隊員の内縁の妻が告発して以来スポンサーがつかなくなり、やがて消えていった。つまりこんにちでは、アジトもへったくれもないのである。




