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      その二十九


 けっきょくその晩の山城さんはいわゆる〝説得〟に失敗したらしく、朝食のサンドイッチをつくっていると、


「あの野郎、ずっとしらばっくれていやがるんですよ」


 と電話で報告してきたのだった。


 わたくし倉間薫が御慈悲をかけてやっているのに、たいへんふざけた男である。


 しかしまあいいだろう――そういう戦いをあちらさんが挑んでくるのであれば、こちらも子ども用タンスの写真を持って市内全域を現在走り回っているデミグラスソースをいよいよ投入すればいいのである。最終兵器である。


 最後は根負けしてしまった山城さんも、やはりおなじことをかんがえていた。


「監督の指示だって、デミグラスソースにいっちゃっていいですよ」


 ぼくは電話を切った。


 さて、きょうはビン缶ペットボトル回収の日である。忘れないうちに出しておこう。


 指定の場所に行くと、母屋のほうから、すみれクンも台車を引いてビン缶ペットボトルを出しにきた。


「うわー、倉間さん、ひとりなのに、母屋より多い」


「うん。あっちはほら、兄貴なんかもあまり酒は飲まないしね」


 この界隈には通称「あさりちゃん」という高齢者がいる。


 出されてある家庭ごみを気まぐれにがさごそあさる老婆である。


 お袋がかつていっていたところでは、この老婆は年金なんかもけっこうもらっているみたいなので、ほんとうはごみをあさる必要などまったくない。


「最近はあさってないみたいだけど、でもわすれたころ、いきなりやりだすからね。いちおう気をつけて」


「わかりました。でもなんで、あさってるんだろ?」


 きょうは昼の部の舞台に出るというすみれクンは、あまりのんびりもしていられないらしく、すぐまた台車をひいて母屋にもどってしまった。


 うしろから、


「おはようございます」


 と声をかけてきたさおりさんは、きのうあげたモロコの煮つけとスジコのお礼をいってきた。


「降りてきた主人も、たいへんよろこんでおりました」


 これはぼくも気づいている。


 さおりさんはこちらが布団に横になったころ、となりの部屋で他界されたご主人と激しく交わっていたのである。ご主人の名前も連呼していたのである。


 さおりさんは、まだ残っているモロコの煮つけは、あさってまたご主人が降りてきたときに酒の肴にするうんぬんともいっていた。


「ここのところ、よく降りてきますね、旦那さん」


「ええ。夏は小股の切れ上がったわたしが恋しいみたいで――」


 あさってもこちらは悶々としてしまうかもしれない。


 ぼくを悶々とさせる方はたくさんいる。そのなかの一人、香子ちゃんのお母さまが午後の一時に、


「ごめんください」


 とたずねてきた。


 香子ちゃんのお母さまは、悶々を通り越してこちらの全身が火の玉になってしまうような包みをこの日は持参してきていた。


 お母さまは、


「わたし、倉間先生に頼まれたことを、母親としてきちんと務めるために、これを先生に捧げたいと思いまして」


 とご自身のパンティーが詰め込まれてある贈り物用石けんの空き箱を風呂敷から出してきたのだ。


「どうぞ、お手にとってみてください」


「はあ」


「ご遠慮なさらないで、その純白のも、さあ」


「は、はあ」


「わたしも人妻ですから、ノーパンになってる証拠をまさか先生にみせるわけにもまいりませんでしょ。ですから、これで、わたしが務めをはたしていると、信じていただきたいんです。信じていただけるかしら?」


「は、はい。ちなみに、いま現在は……」


「ええ。キャミワンピのなかはスースーしてます」


 香子ちゃんのお母さまはスースーして落ち着かないのだろう、すぐ帰っていった。


 ぼくはお母さまを見送ったあとも、ひきつづきふりふりのやつとそれから黒のすごい角度のやつをまだお手にとっていた。


 和貴子さんからメールが送信されてくる。


「キャオ!」


 ぼくの心臓はバクバクになった。お手にとっている最中だったからである。


 目の前に和貴子さんがいるわけではないけれど、急いでパンティーを箱に詰める。


「お母さまのパンティーは、たいせつにしまっておくと、誤解されるおそれもあるから、どうにか処分しなくちゃな……」


 しかし、ごみの日に出すといっても「あさりちゃん」のがさごそが心配だったし、ハサミで細かくしたとしても、逆にパッチワーク作品みたいに仕立て直して堂々と部屋に飾ってしまいそうだったので、けっきょく処分の方法は決まらなかったのであった。


 五時過ぎ、山城さんからメールが入る。


 つい先ほど、デミグラスソースが男の事務員さん宅に乗り込んだという報告であった。


 しめしめである。自分が悪いのである。


 男の事務員さんが不法投棄を認めるのも、もはや時間の問題だろう。


 それでもKの森テレビの『どこまでも生討論』が始まってもまだ山城さんから吉報は送られてこなかった。


 例のジャーナリスト氏がパネラーのひとりに、


「あなた、料理研究家なんて肩書で最近よく出てるけど、このまえ『反抗期』の紙上に載せてたカリカリ男爵コロッケ、あれは〈がぶりえる、がぶりえる!〉のお惣菜コーナーで買ってきたものじゃないか!」


 と噛みついていたころ、山城さんがやっと電話をかけてくる。


「倉間さんのほうに、デミグラスソースからの報告、来てませんか?」


「来てません」


 なにげにデミグラスソースも説得に苦戦しているようである。


 Kの森総合公園の多目的広場は森中市長の公約通りに現在は市民が自由に屋台などを出せるスペースになっている。


 普段そこでクレープ屋をやっている料理研究家は、さらにジャーナリストの鶴田氏に、


「今度の『Kの森祭り』では、あなたの屋台はいちばんいい位置に出せるそうですね。たいへん結構なことで。ところで、あなたは先日、多目的広場に立ち寄った森中市長にイチゴクレープとバニラクレープを手わたしました。わたしがあるルートから得た情報によりますと、このときあなたは代金を受け取っていません。つまりあなたはワイロとしてクレープをわたした! だから、あなたはいちばんいい位置に屋台を出せるんです! ちがいますか?」


 と厳しく追及されていた。料理研究家もピンチだが、森中市長はさらにピンチである。


 だがしかし、やはりさすがはマチコさまである。しっかり根回ししてあったのだ。じつはマコンドーナファミリーの息が掛かっている司会者が、


「はい、CM! ん? あっ、まだダメなの?」


 といったのちに視聴者がおそらくいちばんたのしみにしている夜食用の出前を、


「もしもし、俺だけど、みそコーンバターの太麺に半チャー。それから、うーん、きょうはジャンボシューマイにしとくか」


 と〈カロリー軒〉から早めに取ったのである。素晴らしい判断である。


 ジャーナリストの鶴田氏も、


「半チャーなのにジャンシューかよ……」


 と思わずそちらに関心を向けていた。スタジオもそのチョイスにざわめいている。つまりこの一手によりワイロ疑惑の話を根こそぎ吹き飛ばしたのだ。


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