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      その十八


 京子の旦那の聡さんは小さいころから近所の〈小川軒〉という理髪店で散髪していた。


 しかし、そこのオヤジさんは軽度の脳梗塞を理由に昨年いっぱいで店を閉めてしまったのである。聡さんは〈小川軒〉に匹敵する理髪店を探した。


 今月の聡さんは〈理髪店いさり火〉に入った。このところ毎月ちがう理髪店に行っているのである。どこも気に入らないようなのだ。


〈理髪店いさり火〉は流行っていた。待合室に客が大勢すわっていたのである。


 聡さんも腰掛ける。


「週刊誌とか漫画本とかも混じってたから、パパもすぐにはわからなかったみたいなんだけど、とにかくスマイリイの対談集が十二巻もきれいにならんでたんだって」


 待合室の三段カラーボックスである。


 聡さんは〈理髪店いさり火〉で〈バーバー山口〉のそれよりも、さらに強固な角刈りにされてしまったので、おそらくもう、その店にも二度と行かないのだろうが、スマイリイの対談集をゆずってもらえるのであれば、ぼくは角刈りにも激熱の蒸しタオルにも耐え忍ぶ所存である。


「たぶん、すぐには売ってくれないだろうから、とりあえず、今晩は油小路の家に泊めさせてもらうよ」


「わかった。お義父さんにいっておくね」


 T県の油小路家まではのんびり行ってもクルマで二時間くらいなので、ぼくは昼食をとってから出発することにした。


 京子は電話の最後に、


「相場はいくらくらいなの?」


 ときいてきたので、ぼくはてきとうにこたえておいたのだが、油小路家に到着すると、


「お兄ちゃん、五千円で十二冊売ってくれるって」


 と妹はすぐ助手席に乗り込んできた。京子はもう理髪店サイドと交渉していたのである。


「一冊五千円じゃなくてか?」


「うん。十二冊ぜんぶ」


 とにかく〈理髪店いさり火〉に向かう。


 理髪店の奥さんは、


「これ、じつは、娘が通ってた幼稚園のバザーで、十二冊六百円で買ったんです」


 と逆に恐縮していた。しかしそんなことは問題ではないのである。本はたしかにスマイリイのものだった。ぼくは一万円札を奥さんに渡す。


「おつりはいいですよ」


 ちなみにこのきっぷのよさは交渉相手が小柄な女性だった場合のみ発動するのである。


 油小路の屋敷にもどる。


 聡さんも聡さんの親父さんも仕事から帰ってきていた。


 息子は下戸なのでいつもひとりで飲んでいる親父さんはぼくをみるとすぐ、


「もう薫さんの好きな地酒、用意してあるからな」


 といってきた。ここの親父は酒好きなのである。風呂に入ったのちにさっそく晩酌をはじめる。


 晩酌の席で親父さんはやはり例の伝統行事の話を、


「今年失敗すると三年連続だから、まちがいなく、クルミニンニクが不作になってしまうよ……」


 ともち出していた。


 なんでも昨年の「太巻き祭り」でも聡さんと京子が油小路家代表として出場して、やはりそのまえの年のように双方からむしゃむしゃ食べていく「シーチキン巻き合戦」にふたりは失敗したらしい。


「薫さんは熱いのが好きなんだろ? おい、ばあさん、もうちょっと、こっちの熱くつけろよ」


「あっ、梅子お母さん、これでいいですよ」


「なあ薫さんよ、なんかいい方法ないかい?」


「シーチキンは大好物のひとつなんですよ――でも夫婦じゃなくちゃ、ダメなんでしょ?」


「そうなんだよ。長老会もかんぴょう巻きをシーチキン巻きに変えるのは承諾したんだけど、この夫婦限定っていう伝統は譲らなかったんだ」


「デミグラスソースも独身だしな……」


 二ヶ月ほどまえに、ぼくが住んでいる部屋のちょうど真上の「二〇一」に引っ越してきた本橋夫妻は、たしかふたりとも四十四だかそれくらいのはずなのに、まるで二十歳前後のカップルのように日夜ベタベタしている。


 お隣のさおりさんは大型ショッピングモール〈がぶりえる、がぶりえる!〉で本橋夫妻が試食販売されていたビーフジャーキーだかポテロングだかを両サイドからふたりでもぐもぐ食べていたのを目撃したらしく、


「――最後まで食べおわると、試食おじさんが至近距離でじろじろ観ているにもかかわらず、ふたりは粘着質な接吻もおこなっているのです。主人も生前、ウイスキーのおつまみに、よくポッキーを食べていて、お煙草のようにそれをくわえたまま『サオリーナ、食べろ』って、求めてきましたけど、そんなときも主人はチョコのついてないほうをいつもご自分でくわえていらして、食べる割合も七対三でわたしに多く食べさせてくれました」


 と自分がご主人に溺愛されていたことを小出しにしながらこの話もしていたけれど、ビーフジャーキーこそ食べていなかったが、姪の智美にせがまれて近所の釣りぼり屋に行ったときも、たしかにこの夫妻はお互いの腰だかお尻だかを激しくさすり合いながら一本の竿を協力してかまえていて、お魚が食い付くのを待っているあいだは、双方は双方の唇に猛烈に食らい付いていた。


 本橋夫妻の電話番号は携帯に登録していなかったので、この夜はとりあえず、さおりさんに言伝てをおねがいしておく。


 翌朝、


「もしもし、あっ、おはようございます」


 とさおりさんは電話をかけてきてくれた。


「本橋さんのご夫妻、あしたなら、ちょうどお休みで、だいじょうぶだそうです。シーチキン巻きを食べおえたら、そのまま粘着質な接吻に移行してもいいんですかって心配してましたけど、長老会はそのあたり、許可してくれるのでしょうか?」


 話の様子だと、すでに本橋夫妻から了解をとってくれているみたいであった。


 さおりさんにたいする感謝の意味も込めて、小股の切れ上がり具合を大げさにほめる。


「いやぁ、しかし、切れ上がってるな切れ上がってるなぁ」


 今年三歳になる妹夫婦の一人息子は、きのうあげたクロスフィーバーズのおもちゃに早くも飽きていた。


「かっこいいだろ、エイ! バーディー!」


 伯父のぼくはほんらい備わっていない〝バーディー〟の機能もねつ造して無理に遊ばせようとする。


「かっこよく、ない」


 甥っ子はおもちゃを向こうの八畳に放り投げていた。


 K市では大人気のこの戦隊ヒーローもこちらではまったく放送されていないのだから、甥の反応もまあ当然といえば当然である。


 そういえば吉野さんも、姉は野田市に住んでいるので姪にクロスイエローの人形を手わたしてもただ呆然としていたうんぬんとこのあいだいっていた。


 太巻き祭り当日、油小路家ならびにそのほかの見物人が呆然となっていたのは、本橋夫妻が大会記録を大きく上回るタイムでおそろしく長いシーチキン巻きを食べていたからである。


「前日から断食してたのが、よかったんですかね?」


 と聡さんがきく。


「それもあるかもしれませんが、わたくしたちは、ただひたすらお互いの唇を欲していたのです。ね、お真亜《まあ》姫」


「やーん、パピパピ」


 本橋夫妻は案の定より激しく互いの臀部をさすり合っていた。


 最後の最後まで不作問題を案じていた親父さんは、


「もうすぐ合戦がはじまるというのに、あんなにネチネチ抱き合ってて、なんというバカ奴らなんだ! 薫さんよ、ホントにだいじょうぶなのかい、あれで」


 といっていたくせに、


「いやぁ、ありがと! おれは、おふたりが乳繰り合ってるのを見てて、あっ、これならば、ぜったい勝つと思ってた! クルミニンニク、たくさんそっちに送ってやっからな!」


 とけっきょくいちばんはしゃいでいることになっていた。


 ぼくよりも早いペースで酒を飲んでいた親父さんは、


「ばあさん、ほら」


 とパピパピ氏のように古女房のお尻を撫でて、みんなを大いにわらわせていた。


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