第二部 七月 16
第二部 七月
その十六
ラジカセで『ジーパンのテーマ』を毎日聴かせていたからなのかはわからないけれど、六月の最初の土曜日に、
「おとうさん、かつぶし、削っといてよ。おとうさん、おとうさん!」
とお袋はいきなり目をさました。
お袋は一年ちかくもずっと昏睡状態だったのにキャンディーズのスーちゃんが他界したことや水戸光子ちゃんが地元の大型ショッピングモールの特設会場でセカンドシングルを発表したことなんかをくわしく知っていた。
よく聴覚というのは最後まで機能していて、危篤状態になった人も、
「おまえ、オレのこと、呼び捨てにしてただろ!」
とあとでからんでくるなどという話もある。だから、お袋の場合もきっとこんな感じであんがい耳だけは昏睡中も元気だったのかもしれない。ちなみに昏睡自体が演技だったという説もある。
退院後のお袋はけっきょく実のお姉さんと暮らすことになった。
春子伯母さんは自立型の〈ウルスラ・タウン〉という老人ホームに入っているのである。
ふたりが契約している部屋には僧庵みたいなはなれもある。このBタイプの入居者はけやきの葉が落ちるころになると、
「高い金払ってるんだから、いいのいいの」
とみんな〝けむ〟の匂いがしみついて落ちないほど焚き火を満喫している。焚き火というのは思いのほか楽しいらしいのだ。
焚き火といえば、先日山城さんと英光ご老公をたずねると、ご老公は不法投棄されてあった例の畑とはまたちがう畑で、
「これ、ちくちくしてて、癪にさわるんだよ!」
と夏掛けの布団やらシーツやらを派手に燃やしていた。
この尋常でない燃し方には消防隊のみなさまもさすがにご出動されてきていた。
しかし、ご老公は自主的な消火をお願いしている隊員の人たちにも、
「梅雨の時期は、燃えにくいだろ? だから、油ぶっかけて、いま燃したんだよ!」
と逆に得意になっていて、耕運機の陰から見守っているかぎりだと、隊員の方々のほうが最終的にはあやまっている感じだった。
このように、たしょう暴君な面もあるご老公とひんぱんに会うのはなにかと気苦労なので、われわれは唯一の手がかりであるその投棄されてあった子ども用タンスをひとまずお預かりすることにした。
「実家の物置にでも、置いておきますよ」
「すいませんね、倉間さん」
タンスの引き出しを――依頼を受けてから二ヶ月目にして――いよいよ開けてみると、なかからは、ブリキのお菓子箱に満杯に入っているちびちびの鉛筆だとか給食袋にきちんと陣営を分けてあるガン消しだとかというものばかりが入っていた。
「これは衣類の収納というよりは、たいせつなものをしまっておく一種の宝箱として、使われていたのかもしれませんね」
「そうですね。あつめている最中は、こんな消しカスでも、砂金みたいに神々しく見えますからね」
だとしても、そんな長年愛蔵していたこれらのものを、タンスごとまとめてなぜ捨てたのだろう……謎である。
われわれは腕を組んで考え込んでしまった。
腕組みといえば、先月の末、あのリョウマくんは、
「しかし百恵ちゃん藩の連中は腕組みしてウンウン唸っちょってばかりで、なかなか聖子ちゃん藩と話し合わんじゃきですなぁ。倉間先生、これは加津先生がおっしゃってたんじゃきですが、今後二つの藩が手を結べば、天地小巻ちゃんの復活も夢じゃないらしいじゃきですよ。ワシは先生に羽織袴ももらっとるじゃき、いつかこの二つの藩をかならず連合させるじゃきですきじゃき」
とふらりとたずねてきたときにいっていて、話のようすだと、どうもリョウマくんはあれから加津さんのところの正式な門弟(?)になったみたいだったが、聖子ちゃん藩だけでなく、シンシアちゃん藩や賀川雪絵ちゃん藩にも協力を要請しているらしいリョウマくんはぼくへの手みやげを風呂敷から出すと、すぐまた、
「こうしちゃおれん。先生、ワシはそろそろ失礼するじゃきに」
とおもてに飛び出すことになっていて、
「リョウさん、どこ行くんだい」
と手みやげもいただいていたので、その背中にいちおう引き留める感じできいてみると、なんでも今度は加津さんといっしょに小巻ちゃんの歌の師匠だった森田先生宅へ直談判しにいくじゃきとのことなのであった。
リョウマくんについ贈与してしまった羽織袴のことは、その後お玉さんに三、四回ほどたずねられ、さらに和貴子さんにも、
「きょうも、あのお召し物じゃありませんのね」
とお弁当を買いに行くたびにきかれていた。
だから、
「じつはあの袴――」
とワオキツネ尾長猿のこともふくめて、和貴子さんにはお話ししたのだけれど、いつもは呉服店ではたらいているらしい和貴子さんは、それならば、羽織袴を一揃いあつらえてくださらない、と語尾にハートが付いている感じの声色でいってきて、
「いいですよ」
とあいなったその羽織袴は、そんなわけで、いよいよきょう、できあがってくるのである。
ちなみに和貴子さんが勤めている呉服店の定休日はいつも和貴子さんが実家のカウンターに立っている曜日とおなじだったので、ときどき首をかわいくかしげていた、
「なぜ、週に一度だけなのだろう?」
という素朴な疑問もこのたびわかったのである。
できあがった羽織袴は和貴子さんがじきじきにこのアパートに持ってきてくれることになっている。美恋愛子さんがいうには、どうもそれは、
「きっとその女の人、倉間さんに気があるのよ」
ということらしい。
「ききき、気があるって、じゃ、あ、あ、あ、あれですかね、あの……その最初の日は、けっきょく、なにすればなにすれば、いいんですかね、ぼくはぼくは」




