10
その十
ダイアンさんはキャンディーズの振付をほとんど知っていた。小さいころにお父さんに仕込まれたのだという。
「ぼく、キャンディー関連が充実してる古書店やってるんですよ」
「そうなんですか」
ぼくはこの会話にかこつけて教室がおわったあと喫茶店に誘う。
とりあえず目についた〈マツザカケイコ〉に入る。
〈マツザカケイコ〉という、ちょっとドラッグストアみたいな名の喫茶店は、この十年K市のあらゆる地区に店を出している。
つぐみさんがいうには、なんでも当時の経営者は、バニーガールの格好でチラシを配って市内全域にたいへんなセンセーションを巻き起こしたとのことだ。
「マツケイって、落ち着くねぇ」
ぼくは「マツケイ抹茶」を飲みながら、てきとうなことをいう。
しかしダイアンさんにとっては、どうもここは単純にくつろげるところではないみたいだった。
彼女はこの店にまつわる話をぽつぽつ語りだす。
いまから四年ほどまえ、二十四歳だったダイアンさんは、あこがれもあったし、同級生の美保ちゃんも前年出産していたし、交際相手もいたので、お父さんに、
「結婚しようかと思ってるんだけど――」
と相談した。
「わかった……」
数日後婚約者を猫なで声で呼びつけたお父さんは、自身のライフワークだったいわゆる〝極め食い〟の勝負を、
「べつに勝ち負けじゃないが――まあ、きみの人となりを、親として、みてみたいのでね」
といきなり申し込む。
当時〈マツケイ〉は食べ放題のキャンペーンをやっていた。
お父さんは「マツケイ・ボロネーゼ」を要所要所で雄叫びをあげつつ二十八杯もたいらげた。
カズくんは『とりあえずきょうは、十杯食べて、お父さんに誠意をみせるよ!』と意気込んでいたが、四杯ちょっとで鬱血みたいになってしまった。
カズくんは、その後電話もよこさなくなり、お父さんがちがう食べ物で再試合をもちかけると、すみやかに夜逃げしてしまった。
娘に責められたお父さんは懺悔の意味も込めてこれ以降、医者にいわれても無視しつづけていた「極め食い」を自粛していた。
健康問題で冷や冷やし通しだったお母さんもだからこの夜逃げ破談を逆に喜んでいたくらいだった。しかし先月、大好きだったスーちゃんが夭折したことにより、お父さんはまたぞろ「極め食い」という悪行を復活させてしまったのだ。
そんなわけで皆見家は現在、娘さんがあんなチャーハンをつくってしまうほど途方に暮れているのであった。
スケベ本能を成就させたくて、これまでの奉仕活動の実績を盛りに盛って話していたぼくも途方にくれていた。
ダイアンさんに頼まれたので、ついお父さんの極め食いをやめさせる任務を引き受けてしまったのである。秋田の後家さんよりもしみこんできていたからである。
ダイアンさんのお父さんはきっと加津さんが先日いっていた新キャン連の人だろう。たしか名字もおなじである。
「お父さん、どうしたら極め食いを引退してくれるかな……」
「お父さんにきいてみますね」
ダイアンさんはお父さんにメールを送る。お父さんはすぐ返事を返してきた。
「なんだって?」
「極め食い勝負に負けたら、引退するって」




