密着四日目(1)
与那国島の港に到着した探検隊一行は、うみんちゅ隊員を病院へ搬送するべく、一一九番に連絡。数分でやって来た救急車の担架に彼を乗せた。河丘も同乗し、病院まで付き添う。
だが、不幸が立て続く。与那国島にある病院は満床でうみんちゅ隊員を受け入れられないとのことだった。そもそも、腕を欠損するほどの大怪我を負った人間を治療できる医師が休んでおり、今すぐできることは河丘が行った応急手当てとほとんど変わらないとのこと。病院の数も医師の数も充分とは言えない。
河丘「なんてことだ……うみんちゅ……」
頭を悩ませる河丘。救急車で移動させ続けること自体、うみんちゅ隊員の体に負担をかけるだろう。どうするべきか、苦渋の決断を強いられる。
結局、河丘は病院の空きができるまで、自身が宿泊しているスイートルームでうみんちゅ隊員の治療をすることに決めた。
河丘「専門家ではないが、俺も医療を少しだけかじっている。何もしないよりはいいだろう」
ダブルベッドの中央にうみんちゅ隊員を寝かせる。やはり意識は戻らないままだ。河丘が枕元で椅子に座り、前かがみになりながら、うみんちゅ隊員の顔を見やる。「何もしないよりはいい」と言った河丘だが、はたして今の状況でどのような医療的措置ができるというのだろうか。いや、もう手の施しようはない。素人目にもそれは明らかだ。河丘にできることは、うみんちゅ隊員をただ見守ることだけ。
河丘「今夜は、うみんちゅと二人きりにしてほしい。明日の朝八時に、ロビーに集合だ」
そう言って、河丘は我々をスイートルームから追い出した。隊員を苦しませる状況を打開できない自分を責めているのだろう。「いっそのこと、自分がうみんちゅ隊員の代わりになれたら」。そう思っているはずだ。
あらゆる窮地を乗り越えてきた河丘は、鋼鉄のように強い精神を持っている。しかし、生死の境を彷徨ううみんちゅ隊員を見守り続けることは、自責の念を生むだろう。そしてそれは、鋼鉄の精神をも蝕むに違いない。さすがの河丘の心も折れてしまうのではないかと心配になる。もし明日、スイートルームを覗いたら二つの死体が我々を待っているかもしれない。
では、我々スタッフとレーダー隊員とわかめクンに何ができるのか。河丘の側で励まし続ければ、状況は好転するのだろうか。そんな簡単なことではない。やはりここは、河丘の指示に従うほかないのだ。たとえそれが、最悪の結果を招いたとしても。
海。そこは命を生み、育てる場所。そして奪う場所。「母なる海」という言葉があるように、海は母親のように優しい顔も、非情な顔も持っている。我々の遠い先祖も、この海で生まれたのだろう。だが、生まれ故郷を捨て、陸で暮らし始めて久しい人間に対して海が向けるのは、非情な顔ばかりだ。いつまでも陸から戻らない我々子どもたちの不義理が、彼女を凶暴化させてしまったのか。
そんな海が持つ非情さの化身ともいえるジョーデッド。人間を喰らうサメ。我々は、とんでもないモンスターに喧嘩を売ってしまったのかもしれない。退くか、また挑むか。選択のときだ。
翌朝八時。河丘から指定された集合時間になった。レーダー隊員とわかめクンが、ホテルのロビーで彼を待つ。五分が過ぎたが、河丘は現れない。我々の脳裏に、嫌な想像がよぎる。
そのときだった。
エレベーターが開き、河丘が姿を見せる。この場にいた全員が胸を撫で下ろした。河丘が自分を追い詰めるあまり自殺してしまった。そのような事態は避けられたようである。
河丘は右脇にクーラーボックスを抱えていた。その表情は穏やかで、口角が小さく上がっている。昨日の河丘の様子を曇天とたとえるならば、今は雲間から太陽の光が漏れているといった様子だ。
河丘「みんな安心しろ。うみんちゅは今朝早く、ドクターヘリを呼んで沖縄本島に移送した。あんな大怪我を負ったまま放っておくわけにはいかないのでな。だがこれで、医療設備が整った病院で医者に診てもらえるだろう」
河丘はうみんちゅ隊員に対して、今できる最大限の対処を行っていた。レーダー隊員とわかめクンの顔にも笑みが浮かぶ。全く気づかなかったが、河丘が手配したドクターヘリがこのホテルにやって来て、うみんちゅ隊員を運んでくれていたのだ。
今の我々が抱える最も重い問題は解消した。だがもう一つ、重大な決断をしなければならない。ジョーデッド捕獲ミッションを継続するかどうかだ。探検隊は河丘を含めて三人。相手は巨大な人喰いザメ。ミッションを続けるなら、今までとは比べ物にならないほど高いリスクを背負うことになる。
河丘は、どう決断を下すのだろうか。
河丘「俺たち三人で、ジョーデッドを捕獲する。昨日、俺たちが相対したのは間違いなくジョーデッドだ。あと少しで奴に手が届く。ここで引き下がるわけにはいかない」
ミッション継続。河丘は海の化身に挑むことを決めた。彼の決断の背後にあるのは、ジョーデッドという未知の生物を捕まえ正体を暴きたいという好奇心や虚栄心だけではない。死んだシュノーケル隊員、片腕を失ったうみんちゅ隊員、身を挺してまで探検隊に貢献した彼らの気持ちを尊重したいという思いも存在している。隊員のことを第一に考える河丘だからこそ、その犠牲を何があっても無駄にしたくはないのだ。
河丘の精神は素晴らしい。だが、強い心だけではどうにもならないこともある。
わかめクン「ですが隊長、昨日で餌をすべて使い切ってしまいました。海中のジョーデッドを見つけても、おびき出せません」
わかめクンの言うとおりだ。ジョーデッドが食いつくような餌が、我々の手元には残っていない。たとえレーダー隊員の魚群探知機で海中にいるジョーデッドの位置を特定できたとしても、我々の射程範囲まで近寄ってこない可能性が高い。残酷な現実がのしかかる。
しかし河丘は、何の策もなくミッション続行を選んだわけではなかった。脇に抱えたクーラーボックスの蓋を二回叩く。
河丘「うみんちゅをドクターヘリに運んだ後、地元の漁師さんに会ってな。交渉したら、餌を分けてくれた。量は限られてるから少しずつ使う必要があるが、これでジョーデッドを引っ張り出せるだろう」
河丘は餌を仕入れていたのである。わかめクンが口にした懸念点も解消された。これで今日以降もジョーデッド捕獲ミッションを続けられるだろう。
クーラーボックスの蓋を開ける河丘。中から肉が腐敗したような、大便のような臭いが放たれ、我々の鼻の奥を刺激した。顔を背けたくなるほど強い臭いである。
わかめクン「か、河丘隊長……それ、なんですか? 魚の臭いじゃないですよね……?」
真っ先に臭いの異様さに気づいたわかめクン。海洋研究家で海にも頻繁に足を運んでいる彼は、河丘が抱えるクーラーボックスに入っているのが魚のアラではないことを察したようである。
河丘「そう。魚ではない。臭いはきついが、ジョーデッドはお構いなしに喰らうはずだ。もしかしたら、魚より食いつきがいいかもな。奴はうみんちゅの腕を喰って、魚以外の生物の味を知った。海にいたのではまずありつけないその味を、また求めるだろうよ」
強烈な臭いで顔をしかめる我々と違って、河丘は平然としている。小腸と思しき細長い管状の内臓を手に取って見せびらかすくらいには、何も感じていないようだ。サバイバルのプロである河丘は、過去に捕らえたばかりの動物を解体したこともあるはず。そのため、動物の内臓の臭いなど慣れっ子なのかもしれない。
わかめクン「なん……何の動物の内臓ですか?」
わかめクンの問いかけに対して河丘は、「まあ、何というか、いろんな動物の臓物だよ」と、もごもごと答えを濁した。即断即決がモットーの彼らしくない反応である。
わかめクンの疑問はもっともだ。常人では鼻がもげそうなほど臭い、得体の知れない何かを扱うのは不安だろう。それが何なのかだけでも知っておきたいところだ。
河丘「レーダーとわかめクンには、この餌を使うのは無理だ。経験が不足している。動物の内臓は、手にするだけで臭いが数日は取れないからな。俺でなければ耐えられないだろう。だから、これには俺しか触れてはならないこととする。いいな?」
河丘はそう口にし、中身を隠すようにクーラーボックスの蓋を閉めた。臭いの源が密閉されても、腐臭が鼻に染みついて離れない。
とにかく、我々が余計な気を回す必要はないのだろう。
この日以降、河丘は自身のスイートルームに我々取材スタッフを含めて誰も入れようとしなくなった。




