密着一日目(4)
わかめクン「にょにょにょ〜! あれは、ハンマーヘッドシャークちゃんですね〜!」
河丘「ハンマーヘッドシャークだと!?」
ハンマーヘッドシャーク。日本では「シュモクザメ」とも呼ばれるサメだ。左右に突き出した頭部がハンマー(鐘を鳴らす撞木)に見えることから、その名がつけられた。体長は三、四メートルほどで、大きいものでも六メートル前後。映像に映っていたジョーデッドとは似ても似つかない。
やはり、そう簡単にジョーデッドには出会えなかった。がくりと肩を落とす隊員たち。だが、わかめクンだけは興奮している。海の生物すべてを愛している彼にとって、ハンマーヘッドシャークとの出会いも嬉しくてたまらない、かけがえのないものなのだろう。
わかめクン「皆さん、見てくださ〜い! ハンマーヘッドシャークちゃん、一匹じゃなくて何匹もいますよね〜?」
わかめクンの言うとおり、我々が撒いた餌に食いついて海面を跳ねているハンマーヘッドシャークは複数匹いる。見えるだけでも、二十匹近くいるだろうか。
わかめクン「ハンマーヘッドシャークちゃんは群れを作るんです〜! サメの中ではとっても珍しいんですね〜! ハンマーヘッドシャークちゃんの群れは『ハンマーリバー』と呼ばれて、ダイバーさんたちに人気なんです〜!」
河丘「ほう。そうなのか? シュノーケル?」
シュノーケル「ええ。百匹くらいの群れを作ることもあります。すごく綺麗で、自分も見るたびに驚かされますよ」
わかめクンが興奮していたのは、ハンマーヘッドシャークの群れを見られたからだった。
レーダー隊員が魚群探知機でクルーザーの真下の水中の様子を確認する。探知機の画面には、多くの魚影が映っていた。今まさに、我々のすぐ下に『ハンマーリバー』ができているのである。
無数のハンマーヘッドシャークが泳ぐ姿は「荘厳」の一言。プロのダイバーであるシュノーケル隊員のお墨付きだ。『ハンマーリバー』を見たいがためにダイビングを始める人もいるほど。これには河丘も強い興味を示す。
河丘「ぜひ見てみたいものだな。おいシュノーケル、お前、水中カメラを持って潜ってくれないか? 『ハンマーリバー』とやらを撮影してきてほしい」
シュノーケル「わかりました」
ジョーデッド探索の息抜き。河丘の判断で、ハンマーヘッドシャークの群れをシュノーケル隊員が撮影することになった。ジョーデッドほどではないが、貴重な映像になることだろう。
自然の中で生きる動物が作り出す美しい光景。それを人々に伝えるため記録することも、探検隊の役割の一つだ。
酸素ボンベとゴーグルを装着し、水中カメラを手にしたシュノーケル隊員が海に飛び込もうとする。そのとき、レーダー隊員が河丘に進言した。
レーダー「隊長、潜っても大丈夫でしょうか? サメがうようよしている海ですよ? 危険では?」
河丘「シュノーケルは何度も『ハンマーリバー』を見ているんだろう? だったら大丈夫なんじゃないのか?」
レーダー隊員の心配はもっともである。我々の下にいるのは、美しいながらもサメの群れに変わりはない。それに近づくなど、自分を餌として差し出す自殺行為に思える。だが、わかめクンが横から「心配ないです〜」と会話に割り込み、レーダー隊員の不安を一刀両断した。
わかめクン「ハンマーヘッドシャークちゃんは肉食性ですが、おとなしいサメで、人間を襲うことはほとんどありませ〜ん! こちらから攻撃しなければ近づいても大丈夫なんです〜!」
海洋研究家のわかめクンがそう言うのであれば、大丈夫なのだろう。過去に『ハンマーリバー』を見たことがあるシュノーケル隊員も、右手でサムズアップしている。レーダー隊員の心配は杞憂だったようだ。
クルーザーから海中へ飛び込むシュノーケル隊員。彼を見送った河丘は、『ハンマーリバー』を見るのが楽しみなようで、大きな笑顔を浮かべている。
河丘「せっかくだから、ハンマーヘッドシャークをたくさん集めよう。『最も頭数が多いハンマーリバーの映像』としてギネス記録に申請できるくらい集めようじゃないか。うみんちゅ、レーダー、もっと餌を撒け」
河丘の指示を受け、うみんちゅ隊員とレーダー隊員は追加でバケツ二つ分の餌を海に撒き散らす。思惑どおり、さらに多くのハンマーヘッドシャークが寄って来たようだ。魚の血の赤が混ざった海面で跳ねる水飛沫、その範囲が一回りほど広がる。
河丘「こんなものでいいだろう。きっと素晴らしい映像になるはずだ」
撮影を終えたシュノーケル隊員が浮上してくるのを待つ。五分、十分と経ったが、まだ上がってこない。大量のハンマーヘッドシャークが集まり、ベテランダイバーであるシュノーケル隊員でも見たことがないほど巨大な『ハンマーリバー』ができているのかもしれない。その分だけ撮影に手こずっているのか、あるいは彼のダイバーとしての血が騒ぎ見惚れているのか。
十五分ほど経って、海面にシュノーケル隊員の頭が上がってきた。河丘が、クルーザーの上に戻れるようロープはしごを海に垂らす。
河丘「おーい、シュノーケル! いい映像が撮れたか?」
手を振って声をかける河丘。柄にもなく明るい声音で、『ハンマーリバー』を見るのが待ち遠しい気持ちを抑えられていない様子だ。
しかし、シュノーケル隊員からの応答はなく、はしごのほうに近寄ろうともしない。他の隊員たちも「早く上がって来い」と大声で呼びかけるが、やはり無反応だ。
すぐに我々は、シュノーケル隊員がなぜ反応を示さないのか察することになる。
彼の首から下がない。浮上してきたのは、「シュノーケル隊員の頭だけ」だったのだ。撒き餌を食べることに夢中になっていたハンマーヘッドシャークは、餌とシュノーケル隊員の区別がつかなくなっていたのだろう。餌と共にシュノーケル隊員の体も喰い荒らした。おそらく、シュノーケル隊員も『ハンマーリバー』に魅了され、なるべく近くで撮影しようと試みたはずだ。それが仇となり、ハンマーヘッドシャークたちの食事の一部になってしまった。そう予想がつく。
唯一残されたシュノーケル隊員の頭も、ハンマーヘッドシャークに噛みつかれ、海中へと引きずり込まれていった。
戦慄する隊員たち。人を襲わないと聞かされていたサメに、仲間が喰われたことに動揺を隠せない。その感情は瞬時に怒りへ変わり、ハンマーヘッドシャークに関する講釈を垂れたわかめクンへ向かう。うみんちゅ隊員が、わかめクンの胸ぐらを掴んだ。
うみんちゅ「どういうことだ!? あのサメは人間を襲わないんじゃなかったのか!?」
わかめクン「は、はい〜! 人間を襲うケースはほとんどありませ〜ん!」
うみんちゅ「『ほとんど』!? ってことは絶対に安全なわけじゃないってことだろ? 人間を襲う可能性が少しでもあるのにシュノーケル隊員を潜らせたのか!?」
わかめクン「い、いいえ〜、潜らせたのは僕ではなく河丘隊長で──」
うみんちゅ「言い訳しやがって! この頭でっかちが!」
激怒するうみんちゅ隊員。さらにレーダー隊員も一緒になってわかめクンを責める。
レーダー「シュノーケル隊員とわかめクンは揉めてましたよね? わかめクン、あなたはシュノーケル隊員を恨んでいた。だから獰猛なサメの群れに突っ込むことを止めなかった。死なせるために。違いますか?」
わかめクン「ち、違います〜! 言いがかりですよ〜!」
シュノーケル隊員の死は、探検隊に深い亀裂を入れた。わかめクンへの追及を止めない、うみんちゅ隊員とレーダー隊員。言い逃れしようとするわかめクン。水掛け論が続く。
この言い争いに終止符を打ったのは、やはり隊長の河丘だった。
河丘「もうやめないか。誰のせいかと言い合っても、シュノーケルが蘇るわけじゃない。これはアクシデントだ。サメが人間を襲うか襲わないかなんて、俺たちにわかるわけがない。サメの気分次第だ。誰にもコントロールできない状況だった」
わかめクン「いや、河丘隊長が撮影しようなんて言わなければ──」
河丘「過ぎたことをぐちぐち言うな! 現実を見ろ! 前を向け!」
水平線まで響きそうな河丘の怒号。先ほどまでの笑顔はすっかり消えている。隊員たちのことを何よりも大切に考えているからこその厳しさ、そして怒り。これ以上、仲間割れを続ければ状況は悪化する一方だ。誰かが嫌われ役を買ってでも、争いを止めなければならない。河丘は隊長として、その嫌われ役を買って出た。まだ言い訳を並べようとしていたわかめクンも、河丘の意思を理解して口ごもる。
河丘が怒りを露わにしたのは、ただ隊員たちの争いを止めるためだけではなかった。シュノーケル隊員を失うというアクシデントを未然に防げなかった自分を戒めようともしていたのである。この海は、これまでに河丘が踏破してきた危険地帯と何も変わらない。命を落とすリスクがあらゆるところに潜んでいる。集中力を欠けば、さらなる犠牲者を出してしまうだろう。改めて自分に喝を入れるためにも、河丘は声を荒げたのだ。
クルーザーの上を、重たい空気が包む。隊員たちの脳裏にシュノーケル隊員の最期が焼き付き、まだ誰も切り替えることができていないのだ。このような精神状態で探検を続ければ、新たな問題を生むことは明白。河丘は探検を一時中断し、クルーザーを与那国島へと向かわせた。予約していたホテルにチェックインし、全員が落ち着くまで休息するつもりである。
わかめクンが語ったとおり、一般的にハンマーヘッドシャークは安全な生物と認識されている。だが、「安全な生物」とは何なのだろうか。そんな生物がこの世にいるのだろうか。「危険生物」という言葉は使うのに、なぜ「安全生物」という言葉は使わないのだろうか。考えさせられる。
ハンマーヘッドシャークが人間を襲わないというのは、人間が勝手にそう解釈しているだけに過ぎないのだろう。彼らは充分に、人間を殺すだけの力を持っている。彼らがその力を絶対に行使しないとは言い切れない。彼らはルール無用の大自然の中を生きているのだ。我々人類が観測した範囲、そこから作り出した一つの物差しだけで、彼らの本性をすべて計り知ることなど到底できまい。
たとえば、人間はサメと異なり鋭い牙を持たない。一つの生物として見れば、大した脅威ではないだろう。では、「人間が安全な生物か」と問われれば、多くの人間が互いに「ノー」を突きつける。現に、地球上で最も人間を殺している生物は、蚊に次いで同じ人間だ。それでも我々が国や社会という人間の共同体の中で暮らせているのは、それぞれが「法律」という見えない檻の中に閉じ込められているからである。その檻がなければ、あるいは檻が壊れてしまえば、鋭い牙も爪も猛毒も持たない人間でさえ危険生物と化すのだ。自前の牙を持って生まれ、法律という檻のない世界で暮らすハンマーヘッドシャークが、人間を襲わないなんて保証があるだろうか。いや、ない。
「安全な生物」という人間の身勝手な認識。それが油断を生み、命を落とす危機を招く。固定観念こそ、今回の探検で最も警戒すべきことなのかもしれない。




