密着一日目(3)
石垣島を出発してからおよそ三時間。我々が乗るクルーザーは、ジョーデッドが撮影された与那国島近くの海域に入った。波は穏やかで、船の揺れは小さい。もし今ジョーデッドが現れたとしても、しっかり腰を据えて対処できるだろう。
だが人生は、そして海は、それほど都合良くできてはいない。ここで指を咥えて待っていても時間が過ぎていくだけで、ジョーデッドは現れないだろう。ターゲットが食いつく「餌」で、おびき寄せなければなるまい。
もちろん河丘に抜かりはない。撒き餌として使うイワシやアジのアラを大量に用意していた。十個のバケツの中に、血に塗れた魚の頭や背骨、内臓などがたんまりと入っている。
サメは血の臭いに対して過敏に反応する。一説には、二十五メートルプールいっぱいの水に一滴だけ垂らした血の臭いでさえ、サメは嗅ぎ分けられるそうだ。広い海でも、臭いが強いアラを撒けばサメは感知し、接近してくるだろう。ジョーデッドもサメなら、同じ習性を持っているはずである。
河丘「ひとまず、ここで海にアラを撒いてみよう。もし運良くジョーデッドが姿を見せたら、うみんちゅ、お前の銛で串刺しにしろ」
サメと戦闘するプロ・うみんちゅ隊員の右手には、鋭く尖った銛が握られている。うみんちゅ隊員愛用の銛で、これを使い今までに百五十匹以上のサメを仕留めたそうだ。
うみんちゅ「俺が仕留めたサメの中で一番大きいのは、五・七メートルのイタチザメです。かなりの大物でしたが、物足りません。もっとデカいサメの血が吸いたい……と、銛が言っています」
うみんちゅ隊員は、銛の先端を舌でべろりと舐めた。ジョーデッドと戦う準備は万端のようである。うみんちゅ隊員だけではない。シュノーケル隊員も、レーダー隊員も、そして河丘も、ジョーデッドが潜むこの海を見つめ、戦いのときがやって来るのを今か今かと待っている。
戦意が高まる探検隊だが、一人だけ様子が違った。わかめクンが狼狽え始めたのである。
わかめクン「にょにょにょ!? 河丘隊長! ジョーデッドちゃんを殺すつもりですか!? 生け捕りにするのでは!?」
海の生物を愛してやまないわかめクンにとって、河丘の「ジョーデッドを串刺しにしろ」という言葉は、あまりに過激だったのだろう。さらにジョーデッドの捕獲について、河丘たちとわかめクンとの間で食い違いがあったようだ。
わかめクン「ジョーデッドちゃんは、悪いことをしたわけではありません! わかっている範囲でですけど、人間を襲ったりなんかはしてないはずです〜! そんなジョーデッドちゃんを問答無用で殺すなら、僕は協力できませ〜ん! にょにょにょ〜!」
ジョーデッドを生け捕りにせず殺すのならば、協力しないというわかめクン。隊員たちの冷ややかな視線が、一斉に彼へ注がれた。
わかめクンの言葉には一理ある。何の罪もない生物を人間の都合で殺してしまうなど、傲慢極まりない行為だ。できるならジョーデッドを生きたまま捕らえ、詳しい生態を調べたら海に返すか、水族館などの施設で保護すべきである。研究者を自称するわかめクンなら、自然とそういう考えに至るだろう。
一方、ジョーデッドが人間を襲わない安全なサメだという確証はない。推定体長は、我々が乗るこのクルーザーの大きさを超えている。水中から体当たりでもされれば、転覆してしまう可能性もあるだろう。そしてもし海に投げ出されれば、我々になす術はない。最も近い陸地でも十数キロは離れている。泳いでいる間にジョーデッドの餌になるか、溺死することは確実。ジョーデッドが危険な生物である可能性を踏まえれば、仕留めてしまったほうが我々に及ぶリスクは下がる。
何より河丘は、前回のプテラノドン捕獲ミッション時、麻酔弾を使っての生け捕りを計画していた。しかし、多くの犠牲者を出した挙げ句、失敗。「生け捕りなどという生温い覚悟ではなく仕留める気概でいなければ、未知の生物と接触することさえ難しい」。そのような極端な思考に陥っていても不思議ではない要因が、彼の過去の中に存在している。そしてわかめクンを除く隊員たちは、そんな河丘に賛同して今回のミッション参加を選んだ。
隊員たちの間で意見が反発する。そのとき、一番血の気が多いシュノーケル隊員がわかめクンに詰め寄った。
シュノーケル「てめえ、隊長に逆らう気か? ちょっと海に詳しいからって生意気なこと言いやがって。波に乗っても調子には乗るんじゃねえぞこのプランクトン野郎!」
わかめクンの顔面を殴ろうと拳を振り上げるシュノーケル隊員。まさに一触即発。拳がわかめクンの顔面に向かう寸前、背後から河丘がシュノーケル隊員の手首を掴んだ。あらゆる難局を潜り抜けてきた河丘の剛腕は、シュノーケル隊員の拳をぴたりと止める。
河丘「落ち着け、シュノーケル。俺の説明が悪かった。わかめクン、すまない。だが安心してくれ。『串刺しにする』というのは比喩だ。『それくらいの意気込みで捕獲する』という意味だよ。相手は正体不明のサメだ。殺すくらいの覚悟がなければ、生け捕りにもできない。そうじゃないか?」
河丘は、頭に血がのぼったシュノーケル隊員と、協力の意思を示さないわかめクンの両方をなだめる。その口調は、まるで一定のリズムで繰り返される波打ち際の水音のように淡々としていた。
シュノーケル隊員の剣幕に怯えていたのであろうわかめクンは、目を大きく開いたまま数秒硬直するも、唇を震わせながら言葉を紡ぎ出す。
わかめクン「た、確かに隊長の言うとおり……だと思います〜。生きたまま捕獲するのなら、僕は、も、文句はありません〜」
納得したわかめクン。協力してくれるようだ。わかめクンの言葉を聞き、シュノーケル隊員も怒りの熱が少しおさまったのだろう。振り上げていた拳を下ろす。しかし、
シュノーケル「隊長に感謝するんだな。隊長が止めてなけりゃ、俺がタコ殴りにして、貴様は海の藻屑と消えていたところだぜ」
怒りが完全に消え失せたわけではないようだ。シュノーケル隊員は、わかめクンを罵倒する。彼が河丘を強く信頼している証とも見受けられるが、どのような感情であれ加熱し過ぎは禁物だ。問題が発生したとき、事態を悪化させる原因になり得る。
河丘「シュノーケル、いい加減にしろ。言うべきことが違うだろ。こういうときは、なんて言うんだ? 学校で習わなかったか?」
シュノーケル「……すみませんでした」
河丘「それでいい。わかめクンも許してやってくれ。海のように寛大な心でな」
わかめクン「は、はい〜! 僕も、混乱させるようなことを言って申し訳ありませんでした〜!」
河丘「真面目に謝罪しろ! そんな口調で誠意が伝わると思っているのか!? 社会人らしく振る舞え!」
わかめクン「……はい……すみません……でした」
シュノーケル隊員とわかめクンに握手するよう促す河丘。仲間割れの危機をどうにか避けることができた。河丘がいなければ、わかめクンは殴り殺され、ミッションどころではなかっただろう。争いごとはすべてその場で水に流す。それが河丘の座右の銘だ。
シュノーケル隊員とレーダー隊員がそれぞれ一つずつバケツを持ち、魚のアラを海面にばら撒いた。海から漂う潮の香りが、強い血の臭いで上書きされる。まずは様子見だ。これでジョーデッド、ひいてはサメが食いついてくれるのかを確認する。
撒き餌をしておよそ三十秒。ばしゃばしゃと海面で白い水飛沫が踊り始めた。撒き餌の臭いを察知した何らかの海洋生物が食いついたようだ。その生物の体表が、一瞬だけ海面に露出する。すべすべとした体。大きな魚のようである。色は若干茶色が混ざったグレーだ。我々がイメージするサメの体色に近い。撒き餌作戦の効力が実証されたと見ていいだろう。問題は、集まってきたサメらしき生物がジョーデッドかどうかだ。
河丘「あれは……ジョーデッドか? どうだ? わかめクン?」
河丘と共に、クルーザーのへりから上半身を乗り出すようにして、海面を跳ねる生物を観察するわかめクン。こんなにも早くジョーデッドに遭遇できたというのだろうか。




