再会
夕暮れの光が、教室の床を橙色に染めていた。
窓際に座る彼の白髪が、その光を反射して淡く揺れる。
アコースティックギターを抱えたまま、片山宮――
いや、Retuは静かに最後のコードを鳴らした。
余韻が、教室に溶けていく。
それなのに、胸の鼓動だけがうるさい。
私は扉の前から動けなかった。
歌が終わったあとも、彼はこちらを見ていた。
驚いた様子はない。
まるで、ここに私が来ることを知っていたみたいに。
「……忘れ物?」
先に口を開いたのは彼だった。
昼間と同じ、軽い口調。
けれど、教室で聞いていた声とは少し違う。
柔らかいのに、どこか静かで、余計なものが削ぎ落とされている。
「あ……う、うん」
喉が上手く動かない。
さっきまで全力で走っていたせいなのか、それとも別の理由なのか、自分でも分からなかった。
彼はギターを机に立てかけると、窓際からこちらへ歩いてくる。
近づいてくるたび、思い出す。
2年前。
ライブ終わりに交わした会話。
深く帽子を被っていたこと。
白い手袋。
そして、あの歌声。
間違えるはずがない。
「そんな急いでどうしたの?」
気づけば、彼はもう目の前に立っていた。
昼間のような作った笑顔ではない。
かといって、ライブで見た時のような儚さとも違う。
自然体。
そのことが、逆に心臓を落ち着かなくさせる。
「……宮くんが、歌ってたから」
「あー、まぁそりゃ聞こえてるか」
彼は少しだけ困ったように笑う。
「恥ずかしいなぁ。クラスメイトに弾き語り聞かれちゃった」
軽い。
本当に、驚くほど軽い。
世界のトップアーティストが、まるで放課後に趣味でギターを触っていたみたいな温度で話している。
でも、さっきの歌は。
あの声は。
間違いなく、私の人生を変えた音だった。
「……やっぱり、宮くんなんだ」
思わず漏れた声に、彼が一瞬だけ目を細める。
「んー?何が?」
とぼけている。
でも、昼間みたいな演技じゃない。
少しだけ探るような視線。
私は小さく息を吸った。
「Retu…だよね……」
空気が、止まる。
窓の外から運動部の声が遠く聞こえる。
カラスの鳴き声。
吹き抜ける風。
その全部が、一瞬だけ遠ざかった気がした。
彼は何も言わない。
否定もしない。
ただ静かに、こちらを見ている。
「……なんでそう思うの?」
その声は、昼間より低かった。
私は唇を噛む。
本当は、もっと完璧に言い当てたかった。
逃げ道なんて作らせないくらいに。
でも、言葉がまとまらない。
「歌声……」
結局、それしか出てこなかった。
「あと、白髪と手袋。二年前と変わってなかったから」
「んーやっぱそこだよねー」
彼は分かってたかのように答える。
「もうちょい隠してたかったんだどなぁ」
「私結構確信もってたし」
「そんなとこ張り合わなくていいよ」
彼はそう言って笑う。
けれど、違う。
今の彼は、“合わせて”笑っていない。
「まぁでも、実際間違ってないからなー」
その瞬間。
胸の奥で、何かが強く跳ねた。
認めた。
私は思わず彼を見る。
「……否定しないんだ」
「星原さん、たぶん隠してても気づくでしょ」
彼はそう言って、机に腰を預けた。
夕日が横顔を照らしている。
ライブでは絶対に見えない距離。
それなのに、どこか現実感がない。
「というか、久しぶり」
「え……覚えてたの?」
「そりゃ覚えてるよ」
即答だった。
「初めて見たもん。ライブ会場から号泣しながら出てくる人」
「なっ……!」
熱が一気に頬に集まる。
2年前の自分を思い出して、今すぐ消えたくなった。
彼はそんな私を見て、少しだけ楽しそうに目を細める。
「しかもその後、アイドルになってるし」
「……あの時のこと、宮くんのせいだからね」
「え、俺のせいなの?」
「だって、あんな歌聞かされたら……!」
最後まで言葉にできない。
彼は少しだけ黙ったあと、窓の外へ視線を向けた。
「そっか」
その声は、驚くほど静かだった。
まるで、自分の音楽が誰かを変えたことを、今初めて知ったみたいに。
沈黙が落ちる。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
私はようやく、教室の空気に息を合わせられる。
「……宮くんって、なんで歌わないの?」
気づけば、そう聞いていた。
彼は一瞬だけ目を伏せる。
「Retuの曲、ボカロばっかりじゃん」
「あー」
彼は短く声を漏らした。
けれど、それ以上はすぐに答えない。
代わりに、机の上に置かれたギターへ視線を向ける。
「……どうしてだと思う?」
試すみたいな声。
私は少し考えてから、首を横に振った。
「分かんない」
「そっか」
また、少し笑う。
今度の笑顔は、どこか曖昧だった。
「まぁ、そのうち分かるかもね」
はぐらかされた。
でも、不思議と嫌じゃない。
むしろ。
もっと知りたい、と思ってしまった。
どうしてそんな風に笑うのか。
どうしてそんな目をするのか。
どうして、あんな音を鳴らせるのか。
知りたい。
もっと。
もっと――。
なのに。
この時の私はまだ知らなかった。
彼が抱えているものの重さも。
そして、その全てが、兄の死に繋がっていることも。




