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VTuber事務所《FMK》 ~宝くじで10億当たったからVTuber事務所作ったらやべえ奴らが集まってきた~  作者: へいん
Chapter 4 "The World is Not Enough"

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銃口を向け合って

「それは……無理。出来ない……」


 反射的に、口から言葉が零れた。

 考えるより先に出た拒絶だった。それほどに、その要求は瑠璃の中で在り得ざる選択肢として位置付けられていた。


『はぁ?』


 電話の向こうで、女が不機嫌そうに息を吐いた。


『出来ない? 瑠璃ちゃん、自分の立場分かってるの?』


「……分かってる」


『分かってなーい。今さっき、何を見せられたか忘れた? もっかい送ろうか? あの画像、もっと解像度の高いやつもあるけど』


 言葉の一つ一つが、首筋を撫でる刃のようだった。

 でも、瑠璃は首を縦に振ることが出来ない。振れない。


 薙切ナキは――VTuberは、瑠璃にとって、ただの趣味でも、遊びでも、通過点でもない。ずっと夢見てきた、自分の全てを懸けて掴んだ、たった一つの居場所だ。


 そして同時に。

 FMKのみんなもまた、瑠璃にとって等しく大切なものだった。

 一鶴も幽名もトレちゃんも、奥入瀬さんもbdも、七椿や蘭月やフランクリン。全部全部、瑠璃の日常の一部として馴染んでしまっている。失いたくない。誰一人、欠けて欲しくない。


 薙切ナキを失うか。

 友達を失うか。


 瑠璃の前には、その二択だけが突き付けられている。

 どちらを選んでも、瑠璃は片方を失う。

 そんな選択が、出来るわけが――。


「……っ、交渉、させて」


 瑠璃は、震える声で切り出した。


「卒業以外のことなら、なんでもする」


『はあ』


「ナキについて気に入らないことがあったなら、謝る。直す。配信の方針だって、キャラだって、喋り方だって、アンタの気に入るように変える。猫被るの辞めろって言うなら辞める。あのアンチ共に、もっと燃料投下しろって言うなら、それもする。だから――」


 口の中が渇く。

 自分の声が、どんどん情けなく擦り切れていくのを自覚していた。それでも言葉を繰り出すのを止められない。止めてしまったら、もうそれきりになってしまう気がして。


「卒業だけは、勘弁して。お願い」


 返事は、なかなか返って来なかった。

 沈黙が、数秒。

 そしてようやく、女はくすくすと笑った。


『必死すぎでしょ』


「……」


『そんなにVTuberを辞めたくないの? お友達がどうなってもいいんだ? 自分さえ良ければ、それで』


「……それは――違う」


『違わないよ』


 女の声が、急に一段低くなった。


『今、瑠璃ちゃんは自分が続けることを優先して、お友達を危険に晒そうとしてる。そうやって私に交渉を持ちかけてる時点で、もうお友達を天秤に乗せてるんだよ。自覚ある?』


 ぐ、と喉の奥が詰まった。


『交渉の余地なんてないの。私の要求はただひとつ。瑠璃ちゃんが消えることだから』


「……」


『薙切ナキが、FMKから、自分の意志で、去ること。それ以外の選択肢は、最初から用意してない』


 ただ瑠璃を排除したい。

 ナキを、潰したい。

 一貫して、そこだけがブレない。


 明確に、目的が薙切ナキの消滅にあるのだ。

 一体どれほどの恨みが蓄積すれば、ここまで邪悪に人を憎めるのか。これほどまでに嫌われるようなことをしてしまった自覚が瑠璃にはない。


「……なんで、そこまで私にこだわるの」


 瑠璃は、縋るように尋ねた。


「会ったこともない。話したこともない。恨まれる理由にだって、心当たりがない。なのに、なんで」


『ふふ』


 答えない。

 女はただ、心底楽しそうに笑うだけだった。


『それを聞く権利は、今の瑠璃ちゃんにはないよ』


「でもそれを教えてくれないと」


『ねえ、瑠璃ちゃん』


 女が、会話の流れを引き戻す。


『あんまりウダウダ言ってると、さっきの画像、ほんとに拡散しちゃうよ?』


「――」


 瑠璃の呼吸が、一瞬止まった。

 けれど次の瞬間、止まっていたはずの思考が、ゆっくりと輪郭を取り戻した。


 いい加減ムカつく。

 友達を傷付けられたことへの怒り。理不尽に難癖付けられて粘着されることへの怒り。しかもよりによって兄と幽名がなんか良い感じの空気になってる画像で脅されたことに対する怒り。

 諸々の怒りのパワーが、脅されている絶望を僅かに上回り、瑠璃に若干の冷静さを取り戻させた。


 なんとかしてこのムカつく女に一矢報いてやりたい。そのためにはどうすればいいか。

 頭の中で、ここまでの会話が巻き戻され、ひとつの筋として繋がっていく。


 最初に女が言ったこと。

 もし私の身に何かあったら、その時はFMKのスキャンダルが全世界にばら撒かれることになる。


 それは、自分を守るための仕掛けだと女は言った。

 母が『何もしないことにした』と判断したのも、その仕掛けがあったから。


 つまり、あの画像は。

 あの画像は、女自身の命綱だ。


「――アンタは、そんなことしない」


 瑠璃は、自分の中で答えを確かめるように、ゆっくりと口を開いた。


「っていうか、出来ない」


『はい〜〜?』


 わざとらしく女の声が跳ね上がる。


『まさかハッタリだと思ってる? 私はやるよ? 現にトレインとbdは事務所を去っちゃったでしょ? あれが出来るんだから、画像のひとつやふたつ流すなんて、朝飯前』


「違う」


 瑠璃は、声を落ち着かせた。


「アンタはさっき自分で言ってた。私の身に何かあったら、その時はあの画像が拡散されることになるって」


『……』


「つまりあの画像は、抑止力。私が――私のママが、アンタを消そうとしないための、切り札」


 瑠璃の頭の中で、将棋盤のように関係が組み上がっていく。


 瑠璃の側には、母の力がある。その気になれば、今この瞬間にもあの女の身柄を抑え、社会的に、あるいは物理的に排除することすら可能だ。それは女も理解している。だから保険を用意した。『自分に何かあれば画像が拡散される』という仕掛けを。


 その仕掛けがある限り、瑠璃の側は手出しが出来ない。画像が出れば、FMKが――幽名が、兄が、事務所の全員が終わる。

 だが、仕掛けは両刃の剣だ。


「それなのに――私が言うことを聞かなかったからって、その切り札を使っちゃったら」


 瑠璃は、一語ずつ区切るように言った。


「アンタは、身を守るすべを失うことになる。画像を切った瞬間、アンタにはもう、私達を抑える手段が残らない」


『…………』


「私はそうなったら、容赦しない。ママに頭を下げて、今度こそ確実に、アンタの息の根を止めてもらう」


 互いに相手を殺せる銃を、額に突きつけ合っている。

 けれど、どちらが先に引き金を引いても、結局は両方とも死ぬ。そういう構図だ。


 相互抑止。

 冷戦時代の、核兵器の論理とまったく同じ。瑠璃はそれを、今、自分の人生の上に敷かれていることに気付いた。


 数秒の、沈黙。

 電話の向こうで、女が――微かに、舌打ちに近い息を漏らした気がした。


『……へぇ』


 やがて、女は言った。


『満更、バカってわけでもないわけだ』


「……」


『大正解、おめでとう』


 拍手の音こそしなかったが、そのトーンには、明らかに苛立ち混じりの称賛が含まれていた。


『このカードはあくまで私の身を守るためのものだもの。そう易々とは切れないよ。ほんとに拡散しちゃったら、私もおしまい。だからまあ、うん、瑠璃ちゃんの推理は正しい』


「……だったら」


『で、だからなに?』


 女の声音が、ぐっと低くなった。

 これまでの飄々とした態度の下から、苛立ちが剥き出しになって顔を覗かせている。


『小賢しい猫女が、その程度の推察で対等な立場にでもなったつもり?』


「――」


『お前を追い詰める方法なんて、いくらでもあるんだから』


 女の声から、敬語めいた軽さが完全に消えた。

 呼び方も『瑠璃ちゃん』ではなく『お前』に変わっている。

 猫被りを剥がれた、素の声。本物の悪意の温度。


『ここで大人しく従っておかなかったことを、後悔しないでよね』


「……ちょっと。何をする気なの」


『おしえなーい』


 突き放すように、女は一息でそう言った。


『じゃあまた連絡するから。その時に改めて返事を聞かせてね、瑠璃ちゃん』


 通話が、切れた。

 ツー、ツーという電子音だけが、耳元にしばらく残る。


 瑠璃は、スマホを持つ手の力を抜くことが出来なかった。

 指の関節が白くなっている。握り締めていたのだと、そこで初めて気付いた。


 ■


『るーちゃん? 聞こえてる? もしもーし?』


 もう片方のスマホ――固定電話側の、母の声が戻ってきた。


 こちらの通話はずっと繋がったままだった。つまり母は、今の女との会話を全部聞いていた。最初から、最後まで。


『こっちは聞こえてたわよー、全部』


 母の声は少しも深刻そうではなかった。

 どころか、楽しんでいる響きさえあった。


『それで? どうしたい?』


 ひと呼吸おいて、母は続けた。


『相打ち覚悟でやっちゃう? 抹殺』


「――やめて、ママ」


 瑠璃は、絞り出すように言った。


「それは、やめて」


『あらそう?』


 拍子抜けするほど軽い返事だった。


『ママは別にどっちでも良かったんだけどね、やるならやるでも。それなりに面白いショーになったと思うし?』


「……冗談でもやめて」


『冗談じゃないわよぉ? るーくんがスキャンダルすっぱ抜かれて、アワアワオロオロしてる姿なんて絶対に面白いじゃない』


 くすくす、と母は笑った。

 その笑い方を、瑠璃はあの女のそれと重ねずにはいられなかった。


 似ている、と思う。

 母とあの女。年も、多分立場も大きく違うはずなのに。人を嬲るときの笑い方の根っこの部分が、奇妙なほどに通じ合っている。


「……ママ」


 瑠璃は声のトーンを変えて切り出した。


「抹殺はとりあえず保留でいい。それより」


『うん?』


「何者なの、あの女」


 少しの沈黙。

 それから、母は心底可笑しそうに声を立てた。


『さあ、誰なのかしらねぇー』


「ママ」


『知らなーい』


「特定出来たって言ったじゃない!」


『特定はしたわよ? でもねぇ、るーちゃん。それをるーちゃんに教えてあげる義理がママにはあるのかしら?』


「義理とかどうでもいいから」


『まあまあ、考えてごらんなさいな。ママがあの子の正体をるーちゃんに教えて、それでるーちゃんが知ったからって、何か状況が変わるわけでもないでしょ? お互い手出し出来ないって、たった今るーちゃん自身が言ってたじゃない。なら、知っても意味なくない?』


「それは――」


『それとも何? 知った上で、直接会いに行って、じっくり話し合ってみる? くすくす、それも面白そうではあるけど』


「……」


『どうせならもっと追い詰められてから聞きにきてちょうだい。今のるーちゃんに話すには、まだ早い気がするの』


 分かっている。

 この母親は、本当に言う気がない時は、こういう口調をする。

 何を言ってもダメだ。どれだけ問い詰めても、のらりくらりと躱されるだけ。母の中で『教えない』と決まった情報は、地球が裏返っても出てこない。


 瑠璃は、諦めて息を吐いた。


「……もういい」


『あら、そう?』


「切るから」


『はーい、おやすみなさーい。るーちゃん、あんまり根詰めないようにね? ママ心配しちゃうから』


 誰のせいで、と言いたくなるのを堪えて、瑠璃は通話を切った。結局この母は敵なのか味方なのか、その境目が曖昧なままだ。そういう態度ばっかり取ってるから、実の息子に心底嫌われているのに。

 メイドが無言でスマホを引き取っていく。


 ■


 その夜、瑠璃はほとんど眠れなかった。

 ベッドの上で、天井を見上げて。

 何度も何度も、さっきまでの会話を頭の中で繰り返した。


 女の声。母の声。あの画像。兄と、幽名の、触れ合いそうなほど近い距離。

 そして、女が最後に残した言葉。


 ――ここで大人しく従っておかなかったことを、後悔しないでよね。


 ――お前を追い詰める方法なんて、いくらでもあるんだから。


 何をされるのか、見当もつかなかった。

 あの女は、つまり、抑止力を切らずに瑠璃を追い詰めてくるつもりだ。画像を使わず、別のやり方で。


 ナキ自身を潰すのでは遅すぎると気付いた女は、既に『周りを先に辞めさせる』という方針に切り替えていた。トレちゃんとbdがFMKを去ったのも、その一環だ。なら次は?


 ……次は、誰だ。

 一鶴か。

 幽名か。

 奥入瀬さんか。


 誰が狙われても、おかしくない。

 瑠璃に出来るのは、従うことだけ。

 薙切ナキを、自分の意志で、降ろすこと。それだけが、この負の連鎖を止められる唯一の手段なのだと、頭の芯では理解している。


 ……理解している、のに。


 布団の中で、瑠璃はぎゅっと目を閉じた。

 閉じた瞼の裏に、リスナーの顔が浮かぶ。名前は知らない、顔も知らない。それでも、毎配信、欠かさずコメントを残してくれる常連たちの姿が、なぜだか鮮明に浮かぶ。にゃんにゃんにゃーん、と無邪気に打ち込んでくれる、あの人たちの姿が。


 あの人たちに、何も告げずに消える。

 それが、出来るだろうか。


 ある日突然推しがいなくなる。

 その苦しみを知らない瑠璃ではない。

 この界隈に身を置く者として、それだけはやってはならない。でも、だけど。


 眠れないまま、朝が来た。


 ■


 そして、数日後。

 事態は、瑠璃が最も恐れていた方向へ、確実に転がり始めた。


 夕方だった。

 西向きの窓から差し込む陽が、部屋の床を橙色に染めていた頃。瑠璃のスマホが、静かに震えた。

 名前を見て、瑠璃は一瞬、動作を止めた。


 幽名姫衣。


 事務所に入ってからこっち、何度も何度も画面に表示されてきた、見慣れた名前。

 けれど今、この名前が表示されていることに、瑠璃は妙な胸騒ぎを覚えた。


 あの女のことがあってから、瑠璃は事務所の人間からの着信にびくついてしまう癖がついていた。どうか何事もなく、ただの雑談の電話でありますようにと、祈るように画面をタップする。


「もしもし、姫衣?」


『瑠璃』


「……なに?」


 耳に当てた瞬間、瑠璃は幽名の声音の違いに気付いてしまった。

 いつもの、流れるように優雅な調子ではない。どこか、言葉を選びながら、慎重に口を開いているような。それでいて、落ち着いた、覚悟めいたものが混じった声。


『あの、ですね。大事なお話が、ありまして』


「……」


『少し、お耳を貸して頂いても構いませんでしょうか』


「うん」


 瑠璃は、短く答えた。

 それ以上、余計な相槌が出てこなかった。胸の奥で、何か冷たいものがゆっくりと広がっていく。


『わたくし、近々事務所からの公式発表があるのですけれど……でも、その前に。先に瑠璃だけには、お話ししておきたくて』


「――」


『順番が、違ってしまったら嫌でしたので』


 順番が、違ってしまったら嫌。

 その言葉の優しさが、かえって瑠璃の胸を締め付けた。

 嫌な予感が、形を持ち始める。輪郭を帯びてくる。聞きたくない。このまま、この電話を切って、何も聞かなかったことにしてしまえたら。でも、そんなことが出来るはずもなかった。瑠璃は、ただ黙って、次の言葉を待つことしか出来ない。


『トレちゃん様とbd様が不在のタイミングで言うのは心苦しいのですが、わたくし――』


 一呼吸、幽名は間を置いた。


『少しの間、活動を休止させていただこうと考えてまして』


 瑠璃の視界が、ぐらりと揺れた。

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