諦めろと母は言った。
軽い気持ちだった。
というのは、なんの言い訳にもならない短慮の表れだ。
瑠璃には夢があって、その夢を最短最速で叶えるための手段を目の前にぶら下げられて、思わず飛び付かずには居られなかった。
思えばそれが間違いの始まりだったのだろう。
夢は叶った。
友達も出来た。
兄と一緒に居る時間が増えた。
全てが良い方向に回ってる。そう錯覚するには十分過ぎるくらい毎日が楽しかった。
この幸せは絶対に手放したくない。
二度とあるかも分からないチャンスを棒に振るわけにはいかない。
だから何があろうとも絶対にFMKを離れるつもりなんてなかった。
■
「るーちゃん。進路はもう決まったのかしら?」
瑠璃の誕生日から数日経った頃の話だ。
久しぶりに帰ってきた母が自分の将来の話を切り出してきた時、瑠璃は心底警戒した。
場合によっては潰されると思ったからだ。自分の夢が……ではなく、FMKという居場所そのものが。
「決まっ……てる、けど」
「ふぅん、そうなの? 決まってるんだ? あ、ちなみにだけど、パパはるーちゃんを留学させたがってるわよ」
「……」
「ついでに言っておくと、るーちゃんが最近コソコソとやってる、配信ごっこもパパは止めさせたがってるわ」
「…………やっぱバレてたんだ」
「るーくんのことも含めて筒抜けよね。パパは物凄い怒ってたわ。ママの言ってる意味、分かるわよね。るーちゃん賢いもの」
母と父にFMKのことが知られていた。
それが何を意味するのか分からない瑠璃ではない。
後にして思えば、両親がFMKを本気で潰す気であれば、こんな警告じみた真似をしないでさっさと潰していたはず。この時の瑠璃は知る由もないが、ビリオンズ・プロジェクトを探るために両親はFMKに手出し出来ない状況だったのだ。だから潰すのではなく、FMKを人質に脅しをかけてきたのだろう。
「私がママたちの言いなりになってれば、お兄ちゃんたちには手を出さない?」
「やーん、それじゃあママがるーちゃんを脅してるみたいじゃない。ママとパパは、ただ純粋に親として子の幸せを願っているだけなの。分かる?」
「ママとパパの思い描く未来の中に、私の幸せはない。どこにも」
「そう? じゃあ、るーちゃんは薙切ナキとしてなら幸せになれると思ってるんだ? ふーん」
「何が言いたいの」
何が言いたいかは分かっていたが、聞き返さずにはいられなかった。
そして母は言った。薙切ナキという存在の致命的な欠点を。
「だってさ、るーちゃん。才能ないじゃない」
「――っ!」
何を分かったようなことを。
そう言い返してやりたかった。
でも言葉が出てこなかった。
それは少なからず瑠璃にもその自覚があったからかもしれない。
自身に配信者としての才能が欠けていることを。
「るーちゃんの同期の子たち。あの子らは凄いわね。個々の経歴もさることながら、それぞれが一種のスター性のようなものを持ち合わせている。人を惹き付ける魅力ってやつかしら。あの鈍なるーくんでさえ、彼女たちのポテンシャルに気付かざるを得なかった」
それに引き替え、と母は続ける。
「るーちゃんはてんでダメ。あの3人と比べたら可哀想なくらい才能がない。あんまり言いたくないけれど、るーちゃんがあの3人と同期で居られるのって、コネ採用のお陰だよね? 違う?」
「ち、ちが」
「違わない違わない。まともにオーディション受けてたら、絶対に落ちてるもの。それは、るーちゃんが一番良く分かってるものね? だから、るーくんにお願いして無理やり事務所に入れてもらったんでしょ? 本当に自信があったら、正々堂々オーディションを受けてVTuberになればいいだけだもの。るーちゃんの性格なら勝算があったら絶対にそうしてた。でもそうしなかったのは、自分に才能がないことを自覚してたから」
だから、
「これが最初で最後のチャンスかもと思って、お兄ちゃんに泣きついた。そうなのよね?」
その通り過ぎて一切の反論が出てこない。
俯いて唇を噛む瑠璃に、母が無慈悲な追撃をしてくる。
「数字って残酷なまでに正直よね。チャンネル登録者数も薙切ナキは現状一番下。他のお友達のおこぼれで数字を底上げしてもらってるのが現実。なんて不憫なるーちゃんなのかしら。頑張れば頑張るほど、お友達との圧倒的な実力差が浮き彫りになってきちゃう」
ねえ、るーちゃん。と母が問う。
「このままだと、るーちゃんは本当に不幸になるわよ? そりゃあ、るーくんがトップに立ってる限りはるーちゃんが契約解除されることはないと思うわ。でもね、時が経てば経つほど惨めになってくるわよ。お情けで生かされてる自分の現状に、ね?」
あの兄は決して瑠璃を見限ったりはしない。
どれだけVTuberとして才能がなかろうと。
どれだけ薙切ナキが事務所のお荷物になっていようとも。
その過保護なまでのシスコンっぷりが、どれだけ瑠璃を傷付けることになったとしても。絶対に見捨てはしないだろう。そんな未来が果たして本当に幸せなのか?
「ママはね、るーちゃんがそんな風に苦しむのは見たくないの。だからね? 聞き分けの無いことは言わずに、素直に従順にママとパパに従っててくれればいいの。そうすれば幸せになれるんだから。誰もが羨むくらいの華やかな人生を送れるのよ? そこになんの不満があるって言うのかしら?」
諦めろと母は言った。
身の丈にあった幸せを享受せよと娘を諭してくる。
分かる。
母はとてつもなく正しいことを言っている。
親として、子供に最適な道を示してくれようとしている。
だけど瑠璃は、まだ折れなかった。
この時は、まだ。
「じゃあ、私が才能を示したらママは納得してくれる?」
「うん?」
「VTuberとして、ちゃんとした結果を出したら、一緒にパパを説得してくれる?」
「えー……なるほど、そう来たかって感じね」
母は有名なブロンズ像みたいなポーズで少しだけ考える振りをしてから、怪しさ満点、胡散臭さMAXの笑顔で頷いてみせた。
「良いわよ。それじゃあ3年以内に結果を出しなさい」
「3年!?」
「あら、足りないの? でも才能があるなら3年もあれば余裕でしょう?」
「いや、足りないっていうか……」
むしろそんなに待ってくれるのか。という感じだった。
しかし余計なことを言うと藪蛇になりかねないので、瑠璃はそれ以上はそこについて触れなかった。
「無駄だと思うけど精々頑張りなさい。期限までは手出ししないって約束してあげるから。パパのこともママが止めておいてあげる。他に要望はある?」
「……ない」
「じゃあ他に言う事は?」
「……ありがと、ママ」
瑠璃のお礼に、母はまた怪しげに笑うだけだった。
そうして3年もの期限を得た瑠璃は、成果を挙げようと必死になっていく。
両親という脅威から勝利を得るために。
だがしかし、この時既に真の脅威は瑠璃のすぐ背後まで迫ってきていたのだ。
或いはもっと前から、虎視眈々と。




