結婚式の朝
第1章で壁にライフルを掛けたなら、その銃は遅かれ早かれ発砲されなければならない。撃たぬのなら、そもそも掛けるべきではない。
――アントン・チェーホフ
◆◇◆
どんな国にも平等に朝は訪れる。否応なく、抵抗虚しく、誰の許しも必要とせず。少なくとも地球が回っている限りは。
「瑠璃お嬢様、お支度を」
ムカつくくらい寝心地の良いベッドの上。頭から布団を被っていた瑠璃は、足元の方から聞こえた声に無反応を示す。
目ならとっくに覚めている。というかほとんど一睡もしちゃいない。
何も考えたくなどなかったのに、何も考えないようにすればするほど、次から次へと余計な雑念が湧いてくる。
なんで自分はこんなところに居るのかとか、どうして結婚なんてしなくちゃならないのかとか、何故昨日……自分を迎えに来てくれた兄と、一緒に帰る選択を取らなかったのかとか。
考えるのは大体そんな感じの堂々巡りだ。
「瑠璃様」
「うるさい、分かってる」
心底億劫そうに上体を起こし、瑠璃はメイドたちを睨みつける。彼女達に八つ当たりしても意味などない。何の解決にもならないし、気分は晴れないし、誰にでも当たってしまう自分の器の小ささに、ただただ自己嫌悪が募るばかり。
「早速ですがまずはシャワールームへ」
「朝は風呂もシャワーも浴びない派だから」
「それが終わりましたら朝食を。その後でドレスに着替え、ヘアメイクをさせて頂きます」
「無視されるのムカつくんだけど。不動ならちょっとは応えてくれるのに」
「不動メイド長はシェルターで任務継続中ですので、本日は僭越ながらわたくし共がお世話致します。予めご了承くださいませ」
「……あっそ」
それも分かっている。
不動は昨日からシェルターで兄を足止めし続けている。だから不動は来れないし、勿論兄もここには来れない。
それでいいのだ。
自らが割を食う。
それこそが瑠璃が望んだ結末なのだから。
というよりも、割を食うという表現は間違っている。現実的に考えれば、大企業の御曹司との結婚は勝ち組のイベントだ。
将来はとりあえず安泰。両親の期待にも応えられる。不満に思う方がおかしい。
ただ結果として、瑠璃の夢が潰えるだけ。
それだけの話。
■
「とてもじゃないけど、結婚式を2時間後に控えた花嫁の顔じゃないわね」
瑠璃が控え室となっているホテルの一室で、されるがままにウェディングドレスを着せられていると、見たくなかった顔が部屋に入ってきた。キャロルだ。
「……あんた誰?」
「自分を殺して生きるのってつまらなくないかしら? 私だったらそんなの、とてもじゃないけど耐えられないわ」
瑠璃を無視してキャロルは好き勝手に喋り始める。その態度は腹立たしいが、何よりムカつくのは話の内容だ。
この後に及んでお説教。
しつこい上に、耳障り。
「何度来ても、何を言われようと、戻るつもりはないから」
「うん? あ、そう。別に説得しにきたワケじゃないわよ? 今のはただの感想。なに? もしかしてぬか喜びさせちゃったかしら? 連れ戻しにきてくれたー! って」
「っ……! してない!」
「説得とかそういうのは、もっと適当適任適役な人がやってくれるもの。もう私はただ待ってるだけの人よ。こう見えて私弁えてるの。今舞台の真ん中に立つべきは私じゃないって」
そんな口振りとは裏腹に、キャロルは主役顔負けの煌びやかなドレスで優雅にターンを決める。昨日聞いた通り、合衆国大統領の代理としてしっかりと結婚式にも出席するつもりらしい。
「じゃあさっさと帰ってよ。端役の出番はもうないから」
「カーテンコールが終わったら帰るわ。ヒロインさん」
「ふんっ。お姫様が結婚して幸せになるハッピーエンドでよければ、どうぞ」
「そっちのルートがハッピーエンドなら、私が期待するのは差し詰めトゥルーエンドってとこかしら」
「……おにいは来ない」
「来るわよ」
「来れたとしても意味ないんだってば! 私が私の意思でこうしてる限り、おにいが来たってまた昨日みたいに平行線になるだけなの!」
「そうかもね」
熱くなる瑠璃とは対照的に、キャロルの対応はクールで俯瞰的だ。その態度が瑠璃の心を無駄にささくれさせる。
「結局何しにきたの。煽りにきただけなら、もう十分でしょ。出てってよ」
「一応挨拶のつもりだったのだけれどね。余計なことを言ったのは謝るわよ」
「挨拶……?」
「パパに頼まれたの。世界最大の兵器開発会社であるイリオモテ・インダストリーズの娘で、しかも北欧最大のエネルギー財閥であるヴァールグレン・ホールディングスの次期社長であるエリック・ヴァールグレンの妻となる貴女と仲良くしておきなさいって」
「……」
エリック・ヴァールグレン。
どうやらそれが自分の結婚相手の名前らしいことを、瑠璃は今更知った。
「……知ってるの? そのエリックって人のこと」
「何回か会ったことがある程度かしら? でも普通に良い人だと思うわよ。金も地位も持っていて、オマケに顔も良い。だからといって傲慢にならずに、どんな相手にも分け隔てなく優しい」
「なにそのイケすかない設定」
「ひねくれ者の貴女と違って、真っ直ぐで誠実な男よ。まあ、そんな性格だから、親同士が無理矢理決めたこの結婚にも最初は反対だったみたいね」
「最初は?」
「写真を見て貴女に惚れちゃったみたいよ、彼。だから、たとえ間違った手段だと分かっていても、どうしても貴女を自分のものにしたいんだって」
「……なんでアンタがそんなこと知ってるの」
「ここに来る前に、先に彼に挨拶してきたから」
「あっそ……」
どうやらエリックとやらも近くに控えているらしい。もうすぐ結婚式本番なので当たり前だが。
だがそれならそれで、まず自分と会うべきなのではないか?
恐らく、結婚式が始まる前にエリックと自分の仲が拗れることを懸念しての措置なのだろう。自分がエリック相手にそういう感じの態度を取ると、母か父がそう思っているのだ。やはり信用はされていない。
が、そこまで徹底して自分を蚊帳の外に置く両親に、瑠璃が苛立たないはずがない。苛立ったところで、何も出来ないし、するつもりもないが……。
「エリックって人もこのホテルに?」
「それを知ってどうするの?」
「それは……」
キャロルに質問に質問で返されて、自分でもどうするつもりだったのか分からずに瑠璃は答あぐねる。
なんとなく聞いただけ。
気になっただけ。
気にならない方がどうかしている。
だって数時間後には夫婦になる相手なのに。
「気になったからだけど。なんか文句ある?」
「ふーーん、まあいいわ。エリックは下の階よ」
灯台下暗し。どうやら未来の夫は自分の足元に居るらしい。
「私……会ってくる」
気になっただけ。
つい数秒前の自身の発言も忘れたと言わんばかりの速度で、瑠璃が迷いなく立ち上がる。
「なりません、お嬢様」
しかしメイド達は早かった。
瑠璃が行動に移すより早く出入り口を塞ぎ、その上で瑠璃の肩に手を乗せて力尽くで着席させてくる。
「なんで」
「奥様からのご命令ですので」
「誰からの指示とかどうでもいいんだけど。私が聞きたいのは、なんで会ったらダメなのかってこと」
「結婚式を筒がなく進行させるためでございます」
しれっと言ってのけるメイド長代理だった。
その言い草はまるで瑠璃がエリックに会ってしまうと、何かしら問題が起きるとでも言うような。そんな感じだ。
問題が起きるというか、問題を起こすと思われているのだろう。
瑠璃は憮然とした態度で舌打ちした。その様を見てキャロルが笑ったので、瑠璃は益々不機嫌になる。
「どいつもこいつも……こうなったら意地でも会いに――」
夫となる男の顔を見に行こう。
そう息巻いていた瑠璃だったが、威勢の良さは瞬く間に消え失せた。
通知音。
化粧台に置いていたスマホからごく短い電子音が鳴る。
一瞬にして、不自然なくらい劇的に、瑠璃は自分の意識がスマホに向いたと自覚した。その気配は当然周囲にも丸わかりだったのだろう。キャロルが怪訝に眉を寄せた。
「メッセージじゃない? 誰からかしら?」
「……アンタには関係ない」
「もしかしてMr.代表?」
「……」
勿論兄なわけがない。
FMK関係者はとっくに全員ブロック済みだ。それどころか学校の友達や僅かな知り合いも全員ブロックしている。
今やこのスマホにメッセージを飛ばしてくるのは、母親と……。
瑠璃はスマホを取って、自分にだけしか見えないようにメッセージの内容を確認する。
『少し早いとは思うけど、結婚おめでとう。貴女が私との約束を守る限り、私は決して貴女の大事なものを傷つけない。結婚おめでとう。貴女ならきっと幸せになれる。結婚おめでとう。約束を守って。結婚おめでとう。もう二度とあの人に近付かないで。結婚おめでとう。貴女はあの人に相応しくない。結婚おめでとう。たかが妹の分際であの人に擦り寄るなよ。結婚おめでとう。お前が一番目障りなんだよ。結婚おめでとう。消えろ。結婚おめでとう。許せない。結婚おめでとう。私の席を奪ったお前が許せない。結婚おめでとう。卑怯者。結婚おめでとう。なんの才能もないくせにふざけるな。結婚おめでとう。にゃーにゃーキモいんだよ。結婚おめでとう。お前が悪い。結婚おめでとう。お前がズルをして私の邪魔をした。結婚おめでとう。お前だけ幸せになろうとするな死ね嘘だよ全部嘘幸せになってね本当に結婚おめでとう約束は守れよ』
「………………………………」
メッセージに目を通し、長い沈黙の末、瑠璃はスマホを握り締めたまま無表情で椅子に座り直した。
もうフィアンセに会いに行く気は失せてしまっていた。
「なんなの?」
瑠璃のただならぬ様子を見て、キャロルが問うてくる。
それに答えることもなく、瑠璃は手振りだけでメイドに命じる。そろそろお客様にお帰り頂くようにと。
「キャロライン様、お引き取りを」
「は? 私は合衆国大統領の娘よ」
「存じております。ですが……」
「ちょっと触らないでよ。どこ触ってるの。自分で出てくわよ。ゲストに軽々しく触ってるんじゃないわよ。訴えるわよ」
最後に訴訟大国らしいらしさを振り撒きながら、キャロルは退出していった。
「Mr.代表は絶対来るから。今のうちに復帰した時の挨拶でも考えておくことね」
最後の最後まで余計なことを言いながら。
「……復帰なんて、出来るわけない」
兄が来る来ないなど関係ない。
根本的な問題が解決する見込みがない時点で、元に戻ることは出来ない。
根本的な問題は二つ。
ひとつは脅されていること。
脅迫相手は、今し方このメンヘラみたいなメッセージを送ってきた人物だ。
そしてもうひとつの問題は、ある意味もっとどうしようもない。
「ごめん、みんな……私は最初から夢なんて見るべきじゃなかった。アイツの言う通りだ。私は――夢のためにみんなに嘘を吐いていた」




