12.婚約破棄
「まさか、ジーク様と殿下の間に、そのような絆があったなんて……」
シャルロットは驚きの表情を隠せないまま、ハンカチで目元を拭った。
「ははっ、実はそうなんですよ。俺の方が先だろ?」
「……はい?」
「……だからまぁ、王室とちょっとやそっとのトラブルを起こしたところで、俺が第一王子である限り、エルファルト領には指一本触れさせねえよ。安心しろ」
ルーファシスがにかっと笑うと、シャルロットは心の底から安堵したように息を吐いた。
「ささ、シャルロット様! 涙を拭いて! お茶でも淹れ直してきますから、向こうの部屋で少し休みましょう!」
「あ、はい……ありがとうございます、フィナさん」
フィナに手を引かれ、シャルロットは執務室を後にした。
そうして、執務室に残された男二人。
ソファに背中を預けながらルーファシスが苦笑する。
「……しかし、お前も数奇な運命だよな。お前の元婚約者のセシリアにうちの弟が沼ったかと思えば、その弟が捨てた公爵令嬢が、今度はお前のところに転がり込んできてお前が沼るんだからよ」
「ごほっ……、ごほっ……ぬ、沼ぁ……?」
「ん……? 違うのか?」
「……ど、どうでしょうか」
ジークは溜息をつきながら、自身の席に腰を下ろした。
(……だが、ちょうどいい機会だ)
「殿下。よろしければ、王都で何があったのか教えていただけませんか? ……シャルロット嬢の婚約破棄の件です」
ジークが真剣な眼差しを向けると、ルーファシスは少しだけ表情を引き締めた。
「……まぁ、俺から見た客観的な事実だけでよければな」
ルーファシスは腕を組み、ゆっくりと語り始めた。
◇
王立貴族学園でのシャルロットは極めて有能な令嬢だった。
非常に優れた教養、とりわけその異常なまでの計算能力と執務処理能力は他の追随を許さなかった。
だが、彼女は常に感情を表に出さず、どこか達観した様子であった。
その隙のない完璧さと冷ややかなまでに落ち着いた態度から、中央の貴族たちの間ではいつしか「氷の令嬢」と囁かれるようになっていた。
一方で、彼女は魔法を一切専攻していなかった。
公爵家の令嬢でありながら文官としての学びに特化しており、周囲からは「魔力をほとんど持たないのだ」と認識されていた。
そんな中、学園にとある令嬢が編入してきた。
セシリア・ラングルスター子爵令嬢である。
セシリアはシャルロットとは対極の存在だ。
感情豊かで、愛嬌があり、どこか放っておけない儚さを持つ。
彼女のその不思議な魅力は、多くの男子生徒を惹きつけた。
実のところ、第一王子であるルーファシスも所用で学園に行く度に、なぜかセシリアと遭遇していた。
最初はギラギラした視線を感じたが、次第にそれはなくなった。
どうやらターゲットが第四王子ラドルッチに移ったようだった。
ラドルッチは見事に骨抜きになってしまった。
ラドルッチは、シャルロットという婚約者がありながら、ラドルッチはセシリアの温もりと純粋さに急速に惹かれていった。
セシリアが意図してラドルッチを誘惑したのか、あるいは無自覚であったのかは定かではない。
ただ、二人が心を通わせていくのは、誰の目にも明らかだった。
そして、卒業パーティー。
華やかなシャンデリアが照らす大広間で、その事件は起きた。
「シャルロット・ローゼンベルグ! 貴様との婚約を破棄する!」
音楽が止まり、静まり返った会場に、ラドルッチの声が響き渡った。
「貴様は私の愛するセシリアに嫉妬し、陰湿な嫌がらせを行った! この典型的な悪女め……!」
ラドルッチの後ろで、セシリアが怯えたように身を縮めている。
一方のシャルロットは、糾弾を受けながらも、表情一つ変えずに静かに立ち尽くしていた。
そして事態は、貴族の古きしきたりである『名誉をかけた魔法決闘』へと発展した。
シャルロットの罪を明白にするためという名目で、大広間の中心が即席の決闘場となった。
向かい合うシャルロットとセシリア。
壁際でその様子を見ていた第一王子ルーファシスは、結果は目に見えていると思っていた。
魔法を専攻していないシャルロットが、魔法を得意とするセシリアに勝てるはずがないからだ。
『いくよ……!』
セシリアが杖を構え、魔力を練り上げる。
炎の球体が形成され、シャルロットへと放たれた。
誰もが、シャルロットが為す術もなく負かされると思った。
そして、実際その通りになった。
シャルロットは避けることも防御することもしなかった。
ただ、その場に立ち尽くし、放たれた魔法を無抵抗のまま真っ向から受けたのだ。
ドレスが焦げ、シャルロットは床に崩れ落ちた。
『見たか! これが真実の愛の力だ! 貴様の敗北だ、シャルロット!』
ラドルッチの宣言が響く。
結果として、決闘に敗れ、悪女の烙印を押されたシャルロットは公爵家からも見放され、辺境のエルファルト領へ送られた。
◇
「……というのが事の顛末だ」
ルーファシスは息を吐き出し、ジークを真っ直ぐに見た。
「…………」
ジークは静かに耳を傾けながら、内心で激しく混乱していた。
(……魔法を専攻していない? 魔力を持たないと思われていた?)
ジークの脳裏に、廃教会で見せたシャルロットの姿がフラッシュバックする。
空間そのものを凍りつかせるような禍々しい紫黒の魔力。
敵を指先一つで蹂躙した、あの圧倒的な力。
(……あれほどの魔法の使い手が、魔力を持たないはずがない。いや、逆だ。魔法の訓練をしていない者があれほどの魔力を持つはずがない……)
そして最大の疑問。
(なぜ、シャルロット嬢は、決闘で魔法を使わなかったんだ……?)
セシリアの魔法など、あの時のシャルロットなら風圧だけで掻き消すことができたはずだ。
いや、一歩間違えればセシリアを消し炭にすることすら容易かっただろう。
(……)
『セシリアさんのこと、嫌いにはなれないんですよね』
帰りの馬車の中でシャルロットがこぼした言葉。
そこに、なんらかの答えがあるような気がした。
「殿下。教えていただき、ありがとうございます」
ジークが静かにそう告げると、ルーファシスはソファから立ち上がった。
「ただまぁ、ラドルッチはできた弟とはいえないが、あのパーティでのあいつの挙動は少しおかしかったようにも感じられる」
「え……? どういうことです?」
「あのような人前で派手に婚約破棄をするほど、シャルロット嬢がセシリア嬢に何かをしていたとは思えないんだ。なのに、決闘をするまでに至ったのは、少々、強引に思えた」
(…………)
「……そういう意味では、俺はなぜあれを止めなかったのだろうな……とふと思うことがある」
「……!」
(……確かに殿下ならこの状況を止めていてもおかしくない。……シャルロット嬢が無抵抗だったというのも不可解だ……)
「ジーク、ここから先は本人に聞いてみるしかないと思うぞ?」




