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氷の辺境伯と呼ばれる俺に嫁いできた氷の悪役令嬢があまりにも有能で尊い  作者: 篝火


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10.劣等感※ルーファシス視点

「そうだな……。俺とジークの馴れ初めくらいは教えてやろう。少し昔話に付き合え」


 ソファに深く腰掛けたルーファシスが、どこか懐かしむような目を天井に向けた。

 そして、ゆっくりと口を開く。


 ◇


 王立貴族学園の第一学年。

 俺は、王国の第一王子ルーファシスとして生まれ、幼い頃から最高の教育と訓練を受けてきた。

 一流の家庭教師、王国騎士団の団長直々の剣術指南。

 同年代の貴族の子息たちの中で、俺に敵う者など一人もいなかった。

 周囲の取り巻きたちが俺を称賛し、ひれ伏すのは当然のことだと思っていた。


 そんな俺の絶対的勝者のメンタリティーに影を落とす人物が現れた。


 それが辺境の田舎伯爵家の嫡男、ジーク・エルファルトだった。


 あれは学園に入学して間もない頃の戦闘実技の授業だった。

 王国軍が訓練用に用意したゴーレムを相手にするという実戦形式の演習。

 俺は、得意の剣技と高度な炎魔法を組み合わせ、単騎でゴーレムを沈めた。

 周囲からは拍手と歓声が沸き起こった。


 当然だ。俺は第一王子にして、稀有な才能を持っているのだから。


 そうやって優越感に浸っていた俺の目の前で、次に演習場に立ったのがジークだった。


 さらさらとした黒髪に何を考えているのかわからない蒼い瞳。

 ジークは学生にはおよそ似つかわしくない、身の丈ほどもある無骨なハルバートを肩に担いでいた。


 その時点で様子がおかしかったのだが、俺は田舎貴族が物珍しい武器を使っているなと鼻で笑っていた。


 だが、次の瞬間、本能的に感じていた妙な不安は現実のものとなっていく。


 演習開始の合図と同時。

 ジークはハルバートを一閃させた。

 それだけで硬大なゴーレムの片腕が吹き飛んだ。

 さらに、ジークが短く息を吐いたかと思うと、演習場の空気が一気に凍りついたのだ。


 無詠唱の氷魔法。


 圧倒的な冷気がゴーレムの巨体を瞬時に氷漬けにし、続くハルバートによる一撃で、ゴーレムは粉々に砕け散った。


 時間にして、わずか数秒。

 俺が数分かけて倒した相手を、まるで羽虫を払うかのような手軽さで粉砕したのだ。


 演習場は、歓声どころか……、ちょっと引いていた。


 第一王子であるこの俺が……辺境の田舎貴族なんぞに劣っているだと……?


 俺は生まれて初めて、劣等感という言葉の片鱗に触れた。


 ま、まぁ……相手の相性というものもあるしな……。


 そう自分に言い聞かせ、しかし、それからというもの、俺はジークをライバル視した。

 それだけならよかったのだが、嫌がらせに近い態度をとるようになっていた。


「おい、エルファルト。辺境の田舎者が少しばかり腕が立つからと、調子に乗るなよ」

「野蛮な戦い方だ。貴族としての品格に欠ける」


 取り巻きを連れて、廊下でわざとぶつかったり、嫌味を言ったりした。

 だが、ジークの反応は俺の想定とは違った。


「おっしゃる通りですね」

「品格ですか。参考になります」


 ジークは常に冷静で、淡々としていて、どこか達観した目で俺の言葉を受け流した。


 次第に、自分が小物のような気がしてきて、恥ずかしくなってきた。

 実際に小物であったと思う。


 そんな矢先、俺たちの運命を決定づける事件が起きた。


 学園の裏山で行われた魔物討伐の実地訓練でのことだ。


 本来は引率の教官の指導のもと、安全な浅い森で低位のゴブリンなどを数匹狩るだけの簡単な訓練のはずだった。


 だが、突如として森の奥から地響きが鳴り響いた。


『——グルルルルルルルッ!』


 なぎ倒される木々。

 現れたのは、獅子の頭、山羊の胴体、そして先端が猛毒の牙を持つ蛇になっている尾を持つ巨大な魔獣。

 本来ならこの山にいるはずのない強大な存在、キマイラだった。


「なっ……なぜこんな浅い層にキマイラが!?」


 引率の教官が顔を青ざめさせ、剣を抜いた。


「生徒たちは直ちに学園へ走れ! 絶対に振り返るな! ここは私が食い止めるっ!」


 教官の悲痛な叫びに、生徒たちはパニックに陥り、散り散りに逃げ出した。

 俺の取り巻きたちも、ジークも、その中にいたように見えた。


 だが、俺は逃げなかった。

 第一王子であるこの俺が魔獣ごときに背中を向けて逃げ出すなどあり得ない。

 それに、王族たるもの、民と臣下を見捨てて生き延びるわけにはいかない。


「教官! 俺も戦う……!」


 俺は剣を引き抜き、炎魔法を纏わせてキマイラへと向かった。


「で、殿下、お下がりくださいっ!」


 教官の制止も聞かず、俺と教官はキマイラに応戦した。


 だが……、格が違いすぎた。


 俺の魔法はキマイラの硬い毛皮に弾かれ、教官の刃も浅い傷しか与えられない。


『ガァアアアアアアッ!』


 怒り狂ったキマイラの蛇の尾が教官の胴体を薙ぎ払った。


「ぐはっ……!」


 教官は血を吐いて吹き飛び、大木に激突して動かなくなった。


「教官っ! くそっ……!」


 俺はキマイラに斬りかかるが、獅子の巨大な前足に剣ごと弾き飛ばされ、地面に転がった。

 全身の骨が軋み、息ができない。


 その間にも、キマイラが悠然と歩み寄ってくる。

 巨大な顎が俺を喰いちぎろうと大きく開かれた。


 俺は……こんなところで死ぬのか……?

 ……はは、第一王子? なんだそれ?

 圧倒的武力の前には、そんな肩書は無意味じゃねえかよ……。


 俺は己の無力さを痛感し、そして目を閉じた。


 だが、想像していた痛みはいつまで経っても訪れなかった。


 ギャンッ!!


「なっ……!?」


 激しい金属音が聞こえた。


 目を開けると、俺の目の前に、無骨なハルバートを構えた黒髪の背中があった。


「……エルファルト!?」


 逃げたはずのジークがキマイラの巨大な爪を受け止めていたのだ。


「……逃げろと言われたのに残るなんて、……どうやら自分は王族の誇りを見誤っていたようです」


 ジークは振り返りもせず、そんなことを言う。


「お、お前……なぜ戻ってきた! ここは俺に任せて……」


「お許しください」


「え……?」


「教官の指示に従い、一度、ここを離れたことをお許しください」


「……!」


『ガァアアッ!』


 獲物を邪魔されたキマイラが蛇の尾を死角から突き立てようとする。


「——氷壁(アイス・ウォール)


 ジークが無詠唱で分厚い氷の壁を瞬時に展開し、蛇の尾の軌道を逸らした。


「……殿下、教官を連れてこの場を離れてください」


 ジークはそれだけ言い残すと、ハルバートを構え直し、単身、キマイラの懐へと飛び込んでいった。

 あんな化け物を相手に一人で戦うつもりなのか。


 俺はよろけながらも立ち上がり、その光景に息を呑んだ。


『グガァアアアッ!』


 前衛では、ジークが身の丈ほどもあるハルバートを軽々と振り回し、キマイラと激しく打ち合っていた。

 圧倒的な身体能力と、相手の隙を的確に突く身のこなし。

 ジークの刃がキマイラの強靭な肉体を確実に削っていく。


 獅子の爪、山羊の突進、そして死角からしなる蛇の尾。

 三つの意思を持つような連撃をジークは捌き続けていた。


 改めて……、本当にすごい奴だ……。

 あんな化け物を相手に一歩も引いていない。

 俺は僅かな差だと思っていたものがそうではないことを理解した。


 それでも……。


 ジークがハルバートで大きくキマイラを弾き飛ばした。

 キマイラが体勢を立て直し、怒り狂ってジークへ飛びかかろうと大きく身を沈めた、その瞬間。


 俺は残った全魔力を振り絞り、剣に炎を纏わせて振り抜いた。


「——炎閃(ファイア・スラッシュ)!」


 放たれた炎の刃が、キマイラの顔面、獅子の目に直撃し、炸裂した。


『ギャァアアアアッ!?』


 視界を炎で焼かれたキマイラが苦痛に身を捩らせて大きく体勢を崩す。


「……!」


 ジークが驚いたように振り返った。


 俺たちの視線が交差する。

 ジークの口元がほんの少しだけ緩んだように見えた。


「——凍結(フリーズ)


 ジークはキマイラの四肢を瞬時に氷漬けにして地面に縫い付ける。


 動きを封じられたキマイラに向かって、ジークが深く踏み込んだ。


「うるぁああああっ……!」


 蒼い魔力を帯びたハルバートが一閃する。

 巨大なキマイラの首が宙を舞い、地鳴りを立ててその巨体が倒れ伏した。


 森に静寂が戻る。


「……はぁ、はぁ……」


 俺は魔力を使い果たし、その場にへたり込んだ。


 土煙が晴れた先で、ジークは静かにハルバートの灰を払い、俺を見下ろしていた。


「……逃げてくださいと言ったと思うのですが?」


「……ふっ、ははははっ! はっはっはっは!」


「……どうかされましたか?」


 ジークが本気で不思議そうな顔をする。


 俺は腹を抱えて笑った。


「よぉ、ジーク、お前、おもしれー男だな……」


「はい……? 殿下はわりとそうだと思いますが? 結構、強いですし……」


「……!」


 嬉しかった。多分、王族としては好ましくないのだろうが、俺はこいつに褒められて嬉しかった。


「……言うじゃねえか」


 俺が差し出した手を、ジークはためらいながらも握り返し、俺を引っ張り上げてくれた。


 それが俺とジークが身分を超えた悪友になった瞬間だった。

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