9.
セリアは両親とともに、王立魔法療養院の会議室を訪れていた。
普段診察を受ける部屋より広く、静かな雰囲気の部屋だったが、セリアは何度も膝の上の手を握り直していた。
隣に座る母も、どこか緊張した面持ちでハンカチを握りしめている。
父はそんな二人を安心させるように穏やかな表情を浮かべていた。
コンコン、と扉が叩かれる。
「失礼します」
主治医に続いてゼインが部屋に入ってきた。
父と母はすぐに立ち上がる。
「本日は娘の治療についてお時間をいただき、ありがとうございます」
父が深く頭を下げる。
母もそれに続いて一礼した。
「急な話にもかかわらず、お集まりいただき感謝する」
ゼインは軽く頷き、向かいの席に腰を下ろす。
主治医も隣に座ると、全員を見回した。
「それでは、始めましょう」
ゼインは静かにセリアに視線を向ける。
「今日は今後の治療について話がある」
部屋の空気が一気に引き締まる。
「先日の診察で、君の魔力回路を確認した」
机の上に一枚の図を広げる。
「閉塞症と呼ばれているが、君の場合は完全に塞がっているわけではない。何か所かが細くなり、流れが滞っている」
図を指でなぞりながら説明を続ける。
「特に、この一か所だ」
胸部にあたる箇所で指を止めた。
「ここは回路が極端に細く、ほとんど魔力が通っていない。この部分で魔力が滞り、それが現在の症状の大きな原因になっている」
セリアは真剣な表情で図を見つめていた。
「ここが良くなれば……体は楽になるんですか?」
「改善できれば、今よりは楽になる。発熱や息苦しさも、かなり軽くなる可能性が高い」
その言葉に、母は思わず口元を押さえた。
しかし、ゼインはすぐに言葉を続ける。
「ただし、急いではいけない。治療のためとはいえ、細くなった回路に一度に強い魔力を流せば、回路そのものを傷つける危険がある」
「少しずつ広げていくのですね」
父が確認するように尋ねる。
「そうだ」
ゼインは頷いた。
「慎重に回路を広げ、魔力が正常に流れる状態に体を少しずつ慣らしていく必要がある」
「治療には、どのくらい時間がかかるのでしょうか」
「完治できるかはまだ分からない。だが、短期間で結果が出る治療ではない」
セリアは小さく息を吐いた。
希望がある。
その言葉だけで胸が熱くなる。
だが、ゼインは表情を変えずに続けた。
「危険もある」
母の肩が小さく震える。
「今の治療は、溜まった魔力を外に逃がすだけだ。それでも回路に負担はかかる」
「はい……」
「今回は、細くなった回路そのものに干渉する治療だ。慎重に進めるが、回路を傷つける危険がなくなるわけではない」
部屋に沈黙が落ちた。
母は静かに目元を押さえ、涙をこぼす。
「お母様……」
セリアが心配そうに声をかける。
「ごめんなさいね。嬉しいのか、怖いのか……自分でも分からなくて」
母は涙を拭いながら苦笑した。
父はそっと母の肩に手を添えた。
「まだ何も決まったわけじゃない」
「ええ……分かっています」
それでも、母の涙は止まらなかった。
幼い頃からずっと自分を見守ってきた母だからこそ、さまざまな思いが込み上げたのだろう。
父は静かにゼインに向き直る。
「ゼイン様、本当にありがとうございます」
ゼインは小さく首を振った。
「礼には及ばない」
「まだ治療が成功すると決まったわけではありません。それでも、娘のために可能性を探してくださったことに、心から感謝いたします」
父は深く頭を下げる。
ゼインはしばらく父を見つめ、小さく頷いた。
「最善は尽くす」
その短い言葉だけで十分だった。
最後にセリアに視線を向ける。
「今日、答えを出す必要はない」
ゼインはセリアを真っ直ぐ見つめた。
「危険のある治療だ。家族ともよく話せ」
短く言葉を切り、静かに続ける。
「だが、最後に決めるのは君だ。君自身が納得しない限り、治療を始めるつもりはない」
セリアはわずかに目を見開いた。
まだ信じられないという思いでいっぱいだった。
簡単に頷くことはできなかった。
「……分かりました」
セリアはゆっくりと答えた。
「きちんと考えます」
「それでいい。返事は急がなくていい。質問があれば、主治医を通して知らせてくれ」
ゼインと主治医は立ち上がると、会議室を後にした。
◇◇◇
病室に戻ってからも静かな時間が流れていた。
先ほど聞いた話が、まだ夢のように感じられ、誰もすぐには口を開かなかった。
「セリア」
最初に口を開いたのは父だった。
「私たちは、どんな決断でもお前を応援する」
母も涙を拭いながら頷く。
「ええ。どちらを選んでも、無理だけはしないでちょうだい」
二人の優しい眼差しを見て、セリアは小さく笑った。
「ありがとう」
それからしばらく三人で話したが、父も母も治療を受けるよう勧めることはなかった。
「返事は急がなくていいそうだから、ゆっくり考えなさい」
「うん」
母は名残惜しそうにセリアの頭をそっと撫でた。
「また明日来るわ」
「待ってる」
二人が帰ると、部屋は静まり返った。
セリアは窓の外に目を向けた。
穏やかな青空が広がっていた。
(治るかもしれない……)
その言葉が、何度も頭の中を巡る。
幼い頃、この病気が見つかった。
熱を出しては入院し、体調が落ち着けば家に帰る。
そんな生活を何度も繰り返していた。
十歳を過ぎた頃から、入院する期間は少しずつ長くなっていった。家で過ごせる時間は減り、窓の外で季節が移り変わるのを眺めることが増えた。
それでも、学園に通える日が来ると信じていた。
友達を作り、勉強をして、放課後には町へ出かけて。
そんな当たり前の日々を、いつか自分も過ごせるのだと思っていた。
けれど、その願いは叶わなかった。
十五歳になる頃から体調を崩す日が増え、学園への入学を諦めた。
そして十六歳。病状はさらに悪化し、気づけば一年以上、この療養院で暮らしている。
もう、それが当たり前になっていた。
期待すると苦しくなる。
諦めた方が楽だから。
そう自分に言い聞かせながら、生きてきた。
ふと、幼い頃のことを思い出す。
体調を崩す日が続いたある日、泣きながら母にぶつけてしまったことがある。
『こんな体、嫌だ……!』
『どうして私だけなの?』
母は何も言わず、ただセリアを抱きしめて泣いていた。
父も笑顔を作ろうとしていたけれど、その表情はとても苦しそうだった。
あの時の二人の顔を、今でも忘れられない。
それ以来、なるべく弱音は吐かないようにしてきた。
悲しませたくなかった。
心配をかけたくなかった。
だから『大丈夫』と笑ってきた。
けれど今日、母の涙には不安だけではなく、初めて得た希望も混じっていた。
セリアはゆっくりと胸に手を当てる。
怖くないわけではない。
失敗するかもしれない。
今より苦しくなる可能性だってある。
それでも、この機会を逃したくなかった。
(受けたい)
答えは、もう決まっていた。
父と母のためだけではない。
自分自身のために、治療を受けたい。
学園にはもう通えないけれど、自分の足で町を歩いてみたい。
本で読んだ景色を、自分の目で見に行きたい。
その時、黒衣をまとったゼインの姿が頭に浮かんだ。
「魔王様……じゃなくて、ゼイン様」
思わず名前を口にすると、自分で少し照れてしまう。
自分の病気と真剣に向き合ってくれた人。
あの人を信じたい。
セリアは静かに微笑んだ。
「……受けよう」
小さな声で、自分自身に言い聞かせる。
決意を口にすると、不思議と胸の中が軽くなった。
◇◇◇
翌日の午後。
セリアは本を開いていたが、内容はほとんど頭に入ってこなかった。主治医が来たら、治療を受けたいと伝えるつもりだった。
コンコン、と病室の扉が叩かれる。
「どうぞ」
顔を上げたセリアの笑顔が、一瞬で固まった。
「セリア」
聞き慣れた声とともに現れたのは、フレディだった。




