8.
数日後。
セリアは病室のベッドで本を読んでいた。
コンコン、と扉が叩かれる。
「失礼します」
主治医の声に続いて、二人の男性が部屋に入ってきた。
一人は明るい茶色の髪をした青年。
もう一人は——。
黒い髪。
鋭い金色の瞳。
長い黒衣をまとい、静かな威圧感を漂わせている。
その姿を見た瞬間、セリアは固まった。
「そんな……」
思わず本を抱きしめる。
「まさか……」
黒衣の男性は怪訝そうにこちらを見る。
セリアは瞳を輝かせながら、小さく呟いた。
「魔王様……?」
一瞬の静寂。
「ぶっ……!」
イクスは慌てて口元を押さえたが、肩の震えまでは隠せなかった。
「イクス」
ゼインはため息をつき、軽くイクスの頭を小突いた。
「痛っ」
「笑うな」
「だって、魔王様って……!」
肩を震わせるイクスを見て、ゼインは呆れたように首を振った。
そしてセリアに向き直る。
「魔王ではない」
「違うんですか?」
「当たり前だ」
真顔で返され、セリアは少しだけ残念そうな顔をした。
「でも、すごく似ています」
「似ていない」
主治医はどう反応すべきか迷うように、曖昧な笑みを浮かべた。
ふと、セリアは胸がどきどきしていることに気付いた。
(本当に、魔王様みたい……)
オーレリアが話していたお兄様。
まるで本から飛び出してきたような人だった。
胸の鼓動が速いのは、病気のせいだけではない気がした。
けれど、考える余裕もないうちに息が浅くなる。
「……っ」
小さく息を吸い込む。
その変化に真っ先に気付いたのはゼインだった。
「横になれ」
「え?」
「呼吸が乱れている」
落ち着いた声に促され、セリアは慌ててベッドに横になる。
ゼインは手首に触れ、魔力を細く流し込んだ。
セリアの体内を巡る魔力の動きを探ると、いくつかの箇所で流れが滞っているのが分かった。
しかし、乱れた呼吸のまま詳しく調べるのは負担が大きい。ゼインはすぐに魔力を引いた。
「少し興奮しただけです」
セリアは苦笑した。
「大丈夫ですから」
「無理をするな」
短く言う。
「今日はゆっくり休め」
ゼインは主治医に目配せした。
「少し話がある」
病室を出ると、主治医は二人を診察室に案内した。
「容態はいかがでしたか」
「記録にある閉塞は確認できた。だが、今日の状態で詳しく調べるのは負担が大きい」
ゼインはふと思い出したように尋ねた。
「普段の魔力治療は誰が行っている?」
「私です。医師であると同時に術者でもありますので」
「次回の魔力治療には私も参加する」
主治医は少し身を乗り出す。
「本当ですか」
「記録どおりなら、治療に立ち会うつもりだった。それで魔力回路の状態を詳しく確認したい」
ゼインは淡々と続ける。
「結果次第で、今後の治療方針を決める」
「ありがとうございます」
「本人には、後ほど君から説明しておいてくれ」
「かしこまりました」
◇◇◇
その日の午後。
主治医から話を聞いたセリアは、目を丸くした。
「ゼイン様が……?」
「次回の治療に加わってくださいます」
セリアの表情がぱっと明るくなる。
「また、お会いできるんですね」
「ええ」
主治医が病室を出たあとも、セリアはぼんやりと扉を見つめていた。
脳裏に浮かぶのは、病室に入ってきた黒衣の青年。
『魔王ではない』
真顔で返されたことを思い出すだけで、自然と頬が緩んだ。
「ふふっ」
あんなにはっきり否定されるとは思わなかった。
それでも、やっぱり魔王様のように格好良かった。
もう一度会える。
そう思うだけで胸が弾む。
コンコン、と扉が叩かれる。
「セリア」
「お母様」
見舞いに来た母が、部屋に入ってくる。
セリアの顔を見ると、くすっと笑った。
「今日はずいぶん楽しそうね」
「そうかな?」
「ええ。さっきからずっと笑っているもの」
言われて初めて気がつき、セリアは照れくさそうに頬に手を当てた。
「実はね、次の治療を魔塔主様が手伝ってくれることになったの」
「まあ」
母は目を丸くした。
「魔塔主様が?」
「うん」
セリアは嬉しそうに頷く。
「主治医の先生も驚いたみたい」
「それは……そうでしょうね」
母は少し考え込む。
「でも、急にどうしてなのかしら」
「私も不思議だったの」
セリアも首を傾げる。
「もしかしたら……」
ふと、銀色の髪を思い浮かべる。
「オーレリア様がお願いしてくれたのかなって」
「……そうね。オーレリア様が、お兄様にあなたのことを話してくださったのかもしれないわね」
母は優しく微笑んだ。
「素敵なお友達ができたのね」
「うん」
その一言だけで、胸の奥が温かくなる。
「ゼイン様にも、ちゃんとお礼を言わないと」
母は静かに頷いた。
「魔塔主様は、とてもお忙しい方だと聞くわ。診ていただけることに感謝しなくてはいけないわね」
「うん」
セリアは素直に頷いた。
母が帰ったあと、病室は再び静かになる。
窓から差し込む夕日を眺めながら、セリアは小さく笑った。
「次の治療……楽しみだな」
言葉にした瞬間、自分でも少し驚いた。
これまで治療の日が楽しみだったことなど、一度もない。
それなのに、ゼインにまた会える。
何より魔塔主である彼に診てもらえる。
もしかしたら、今までとは何かが変わるかもしれない。
そう思うと、辛い治療も待ち遠しくなっていた。
◇◇◇
魔力治療の日。
「今日は、よろしくお願いします」
そう言ったセリアの声は少し緊張していた。
「ああ、力を抜け」
ゼインの低い声に促され、セリアは目を閉じた。不思議と落ち着く声だった。
主治医が、セリアの体内に溜まった魔力を外に導いていく。ゼインはその動きに合わせ、ごく微量の魔力を閉塞部分に送った。
自らの魔力を目印にして、細く途切れそうな回路の形を探っていく。
(やはりそうか)
予想していたとおり、閉塞部分は外部からの魔力に反応した。回路も完全には塞がっていない。
これなら、少しずつ広げられる。
時間はかかる。
難易度も高い。
だが、不可能ではない。
治療を終えたゼインは、静かに主治医に向き直った。
「二日後、ご両親と本人に話をしたい」
「……!」
主治医は目を見開く。
「治療法についてですか」
「ああ」
「ただし、成功を約束するものではない」
ゼインは冷静な口調で続ける。
「危険もある。選ぶのは本人だ」
主治医は力強く頷いた。
「必ず、お伝えします」




