オーレリア
ある日の午後。
公爵邸では、使用人たちが慌ただしく客人を迎える準備を進めていた。
「お母様、今日いらっしゃるお客様は、マクラウド辺境伯でしたか」
オーレリアが尋ねると、母は微笑みながら頷いた。
「ええ。辺境で魔物が増えているそうで、魔塔に協力をお願いに来られるの。ゼインが対応することになっているから、会議の間はこちらに滞在していただくことになったのよ」
「そうなのですね」
ジーク・マクラウドの名は、オーレリアも聞いたことがあった。
若くして爵位を継ぎ、領地を治める辺境伯。
自ら騎士たちを率いて魔物の討伐に向かうことも多く、領民からの信頼も厚い人物だという。
その日の夕方。
客人が到着したと聞き、オーレリアが玄関に向かうと、ちょうどゼインとイクスが一人の青年を連れて屋敷に入ってきたところだった。
高い身長に、鍛えられた身体。
短く整えられた茶色の髪と、深い群青色の瞳。
精悍な顔立ちをしているが、纏う雰囲気は思っていたよりも穏やかだった。
「妹のオーレリアだ」
ゼインが簡潔に紹介する。
「初めまして。ジーク・マクラウドです」
ジークは少し緊張した様子で頭を下げた。
「初めまして。オーレリア・キャンベルです」
オーレリアも優雅に一礼した。
その後、一行は食堂に移った。
夕食が始まると、話題は自然と辺境の状況に向かった。
「ここ最近、魔物の数が急に増えているんです」
ジークは落ち着いた口調で説明した。
「特に北の森での目撃が多く、街道に現れることも増えました。今のところ大きな被害はありませんが、このままでは領民の暮らしにも影響が出るでしょう」
ゼインは真剣な表情で話を聞き、イクスも時折詳しい状況を尋ねていた。
オーレリアも静かに耳を傾けていた。
「領民の方々に、お怪我はないのですか」
オーレリアが尋ねると、ジークが少し驚いたように顔を上げた。
「幸い、今のところ命に関わる被害はありません。ただ、畑を荒らされた村もあります。騎士たちが交代で警戒に当たっていますが、長く続けば負担も大きくなるでしょう」
「それは心配ですね」
オーレリアは眉を下げた。
「一日も早く、皆様が安心して暮らせるようになるとよいのですが」
ジークはしばらくオーレリアを見つめていた。
やがて視線に気づいたオーレリアが顔を上げると、彼は慌てたように目を逸らした。
(何か失礼なことを言ってしまったのかしら)
少し気になったものの、その場で尋ねることはできなかった。
翌日。
午前中の会議を終えたジークは、一度公爵邸に戻っていた。ジークから辺境の状況を聞き終えた後は、魔塔内部で派遣する術者や必要な魔道具を選ぶことになった。
庭園を歩いていたオーレリアは、東屋の近くで一人景色を眺めているジークを見つけた。
「マクラウド様」
声をかけると、ジークが驚いたように振り返る。
「オーレリア様」
「よろしければ、ご一緒にお茶はいかがですか」
「ええ。ぜひ」
侍女に紅茶を頼み、二人は東屋に移った。
穏やかな風が吹き抜け、庭園に咲く花の香りを運んできた。
「会議はいかがでしたか」
「魔塔から術者を派遣していただけることになりそうです。防護用の魔道具もいくつか貸していただけると」
「それはよかったです」
オーレリアは安心したように微笑んだ。
「昨日のお話を聞いてから、領民の方々のことが気になっていました」
「ありがとうございます」
ジークもわずかに表情を緩める。
「王都では、辺境の話をしても、魔物が出る恐ろしい場所だと思われることが多いんです」
「実際に危険も多いのでしょうけれど、それだけではありませんよね」
「ええ」
ジークは少し嬉しそうに頷いた。
「春には、城の北側に青い花が一面に咲くんです。遠くから見ると、地面まで空が続いているように見える」
「素敵ですね」
オーレリアの顔が明るくなる。
「一度、見てみたいです」
「……それなら、いつかご案内します」
言ってから、ジークは自分の言葉に気づいたように目を見開いた。
「その、機会があればですが」
「楽しみにしています」
オーレリアが微笑むと、ジークは少し照れたように紅茶に視線を落とした。
しばらくして、ジークがためらいがちに口を開く。
「一つ、聞いてもよろしいですか」
「はい」
「私のことを、怖いとは思いませんか」
オーレリアは目を瞬かせた。
「怖い、ですか」
「辺境では、顔が怖いとよく言われるんです。新人の騎士などは、最初のうちは目も合わせてくれません」
あまりにも真剣な表情で言うものだから、オーレリアは思わず微笑んだ。
「私は、怖いとは思いません」
「本当ですか」
「はい」
オーレリアはまっすぐジークを見つめた。
「昨日のお話を聞いて、領民や騎士の皆様をとても大切になさっているのだと思いました。危険な辺境を守ってくださる、とても頼もしい方だと思います」
ジークは一瞬、言葉を失った。
「……そう、ですか」
群青色の瞳をわずかに揺らし、照れたように俯く。
その耳は赤く染まっていた。
慌ててカップに手を伸ばした拍子に、指先が縁に当たった。
「あ」
カップが傾き、紅茶が受け皿に少しこぼれた。
「申し訳ありません」
あまりにも慌てた様子に、オーレリアは思わず微笑んだ。
「ふふっ」
ジークは動きを止め、その笑顔を見つめた。
「……とても素敵な笑顔ですね」
オーレリアは目を瞬かせる。
「え……」
「昨日から思っていました」
ジークは真剣な顔のまま言葉を続けた。
「領民のことを最初に心配してくださったことも、私の話を真剣に聞いてくださることも……とても優しい方だと思いました。それに、その笑顔も素敵です」
「ジーク様」
オーレリアは頬を赤くし、慌てて止めた。
「も、もう十分です」
「あ……」
ジークもようやく自分が何を言っていたのか気づいたらしい。
顔を真っ赤にして俯く。
「……すみません」
「いえ……」
気まずい沈黙が流れた。
やがて顔を見合わせると、どちらからともなく小さく笑った。
それからは、辺境の景色や名産、騎士たちの話をしながら、穏やかな時間を過ごした。
ジークの話からは、厳しい環境の中でも領地を大切にしていることが伝わってくる。
オーレリアもまた、これまで王都で経験したことや、友人と始めた療養院でのお茶会について話した。
「オーレリア様が始められたのですか」
「いいえ。セリア様と二人で考えたのです」
「素晴らしいことですね」
ジークは心から感心したように頷いた。
「誰かのために、新しい場所を作ろうとするのは簡単なことではありません」
「まだ始めたばかりです。失敗することも多いと思います」
「それでも、始めなければ何も変わりません」
その言葉に、オーレリアは静かに微笑んだ。
「そうですね」
話しているうちに、いつの間にか紅茶はすっかり冷めていた。
それから数日後。
魔塔との話し合いを終えたジークは、辺境に戻ることになった。
滞在中、二人は食事の席や庭園で何度か言葉を交わした。
短い時間ではあったが、初めて会った時よりも、互いのことを少しだけ知ることができた気がしていた。
「短い間でしたが、お世話になりました」
屋敷の前で、ジークは公爵家の者たちに頭を下げる。
「こちらこそ。どうかお気を付けて」
オーレリアが微笑むと、ジークは何かを言いかけた。
けれど、しばらく迷ったあと、小さく息を吸う。
「今度は、辺境の花の話をもう少し聞いていただけますか」
オーレリアは少し驚いたあと、穏やかに頷いた。
「はい。楽しみにしています」
その返事を聞き、ジークもほっとしたように笑った。
馬車に乗り込む直前、彼はもう一度だけオーレリアを振り返った。
オーレリアも小さく手を振った。
馬車が走り出し、少しずつ遠ざかっていった。
その姿が見えなくなっても、オーレリアはしばらくその場に立っていた。
(また、お話しできる日が楽しみです)
柔らかな風が吹き抜ける。
オーレリアは風に揺れる髪を押さえながら、小さく微笑んだ。




