セリアとゼイン 1.
最後の治療を終えてから、しばらく経ったある日の午後。
セリアは久しぶりに魔塔を訪れていた。
「こんにちは、セリア様」
入口で出迎えてくれたのはイクスだった。
「こんにちは、イクス様」
「ゼイン様がお待ちですよ」
そう言われて頷くと、イクスの案内で最上階まで上がった。
「今日は執務室ではないんですか?」
「はい。今日はゼイン様のお部屋です」
「えっ……」
思わず足が止まった。
「お、お部屋ですか?」
「今日は基礎的な魔力操作の練習ですから、執務室では人の出入りが多くて集中できないから、と」
セリアは急に緊張してきた。
(ゼイン様のお部屋……)
今まで何度も魔塔に来たことはある。
けれど、私室に入るのは今日が初めてだった。
イクスが扉を軽く叩く。
「ゼイン様、セリア様をお連れしました」
「入れ」
静かな声が返ってくる。
イクスが扉を開ける。
「それでは、僕はこれで。勉強、頑張ってくださいね」
セリアが部屋に入るのを見届けると、イクスは笑顔で去っていった。
「来たか」
「はい。ゼイン様、こんにちは」
部屋に足を踏み入れたセリアは、小さく辺りを見回した。
思っていたよりも広い部屋だった。
窓際には落ち着いた色のソファと小さなテーブルが置かれ、壁一面には大きな本棚が並んでいる。
魔術書だけではなく、さまざまな本がぎっしりと並んでいた。
「すごい……」
思わず声が漏れる。
「こんなにたくさん本があるんですね」
「必要なものを置いていたら増えた」
ゼインはそう言って立ち上がる。
「紅茶を淹れる」
「あ、でしたら私もお手伝いします」
セリアが慌てて言うと、ゼインは首を横に振った。
「必要ない。本でも見ていろ」
「……はい」
少しだけ残念そうに返事をしながら、本棚に近付く。
背表紙を眺めているだけでも楽しかった。
「薬草の本まである……」
ページをめくると、見たことのない植物が丁寧な挿絵付きで紹介されている。
夢中になって読んでいるうちに、ふわりと紅茶の香りが漂ってきた。
「できた」
「はい」
二人はソファに腰掛ける。
湯気の立つ紅茶を口に含むと、柔らかな香りが広がった。
「美味しいです」
「それならよかった」
少しの沈黙が流れる。
けれど、不思議と気まずさはなかった。
しばらくして、ゼインが静かに口を開く。
「体調はどうだ」
「はい。おかげさまで元気です。熱も出ていません」
「そうか」
短く頷く。
「今日は魔力を動かす練習をする」
セリアは姿勢を正した。
「よろしくお願いします」
「まずは目を閉じろ」
言われた通り目を閉じる。
「自分の中を流れる魔力を意識する」
治療の時のことを思い出す。
ゼインの魔力が体の中をゆっくり流れていった感覚。
あの時とは違い、今感じるのは自分自身の魔力だった。
「……何となく、温かいものが流れている気がします」
「それでいい。今度は、その流れを腕へ」
ゆっくりと意識を向ける。
けれど、意識した通りには動いてくれない。
「難しいです……」
「焦る必要はない」
穏やかな声だった。
「最初は誰でもそうだ」
ゼインは隣から少し身を乗り出した。
声が近づく。
「少しいいか」
そっと手首に指先が触れた。
ゼインの指先はひんやりとしていた。
「この流れを意識しろ」
「……はい」
ゼインの指先が手首から腕に伸びる魔力の道筋を示す。
「ここを通して、指先まで流す」
言われた通りに意識を向けると、今度は少しだけ魔力が指先まで流れた気がした。
「できました……!」
「わずかだが動いている。初日としては十分だ」
セリアは嬉しそうに笑った。
ゼインの指先が手首から離れた。
「ありがとうございます」
ほっと息をついて顔を上げる。
その瞬間、思っていたよりもゼインの顔が近くにあった。
「……!」
心臓がどきりと鳴った。
慌てて視線を逸らした。
「どうした」
ゼインは不思議そうな顔をしていた。
「い、いえ。何でもありません」
頬が熱い。
きっと紅茶のせいだ。
そう自分に言い聞かせた。
ゼインは一瞬だけセリアを見たが、何も言わずに続けた。
「今日はここまでにしよう。まだ長時間の魔力操作は避けた方がいい」
「はい」
二人は再び紅茶を口にする。
穏やかな空気が流れる中、セリアは思い出したように口を開いた。
「そういえば、オーレリア様と一緒に療養中の皆さんを招いたお茶会の準備を進めているんです」
ゼインは静かに頷いた。
「順調そうだな」
「はい」
「無理だけはするな」
「分かっています」
セリアは嬉しそうに笑った。
「決めることはたくさんありますけど、とても楽しいです。来てくださる皆さんにも、楽しんでいただけるお茶会にしたいなって」
「そうか」
短い返事だった。
けれど、その声はどこか柔らかい。
午後の日差しが、静かな部屋に差し込んでいた。
セリアは紅茶を口にしながら、そっと笑みを浮かべた。
治療が終わっても、こうしてゼインのもとに来ることができる。そのことが、セリアには何よりも嬉しかった。




