イクス 2.
休日になると、イクスは魔塔に通うようになっていた。
魔術書を読んだり、モーガンから講義を受けたり。
充実した時間を過ごす中で、一つ気付いたことがあった。
モーガンは、以前よりもゼインに仕事を任せることが増えていた。
「ゼイン、この書類を頼みます」
「分かりました」
届いた報告書に目を通し、必要な指示を書き加えていく。
魔術研究だけではない。
各地から届く依頼や魔塔の運営に関する仕事まで担当していた。
「ゼイン様って、本当に何でもできるんですね」
イクスが感心して言うと、モーガンは穏やかに笑った。
「少しずつ任せているのです。私は年齢的にもそろそろ引退を考えていますから」
イクスは目を丸くした。
「じゃあ、次の魔塔主は……」
視線は自然とゼインに向いた。
モーガンは静かに頷いた。
「そのつもりです。ですが、私が指名するだけでは魔塔主にはなれません。魔塔の上層部や王家に、その実力を認めさせるだけの成果が必要です」
イクスは不思議そうに首をかしげた。
「成果ですか?」
「新しい魔術理論の発見。魔法陣や魔道具の開発。あるいは国に大きく貢献する研究。実力主義だからこそ、結果が求められます」
イクスは納得したように頷いた。
(ゼイン様なら、きっと大丈夫だ)
そう思っていた。
しかし、その日の帰り道。
人の少ない廊下を通りかかった時、半開きになった休憩室の中から話し声が聞こえてきた。
「次の魔塔主はゼイン様だと噂になってる」
「ああ。どうせ公爵家だからだろ」
「実力主義なんて建前さ」
イクスは思わず足を止めた。
「モーガン様のお気に入りだから選ばれるんだ」
「最初から決まっていたようなものだ」
胸がざわつく。
(そんなこと、思っている人がいるのか)
魔塔なら、実力を示せば誰もが認めてくれると思っていた。けれど、どれほど優れていても、身分だけを見て判断する者はいるらしい。
翌日。
イクスは思い切ってモーガンに尋ねた。
「昨日、魔塔主のことを話している人たちがいました。ゼイン様がどれほど努力しても、家柄だけで選ばれると思う人はいるんですか」
モーガンは静かに頷いた。
「います。どれほど優秀でも、人は時に先入観で判断します。だからこそ、誰にも否定できない結果を残さなければならないのです」
イクスはゼインを見る。
本人は何事もなかったように書類に目を通していた。
「気にならないんですか?」
問いかけると、ゼインはペンを止めずに答えた。
「興味はない」
その一言だけだった。
イクスは少しだけ笑った。
(ゼイン様らしいな)
それから、イクスは魔塔を訪れるたびに、ゼインの仕事を手伝うようになった。
最初は、モーガンに頼まれて、机の上に積まれた書類を分類しただけだった。
「それは向こうへ」
「はい!」
「終わったら帰れ」
「まだ仕事ありますよね?」
「……」
ゼインは何も言わない。
それでもイクスは勝手に仕事を探して手伝い始めた。
研究に必要な資料を探したり、魔術書を書庫から運んだり、実験の準備を手伝ったりした。
仕事は正確で早い。
次第にゼインも『帰れ』とは言わなくなり、自然とイクスが隣にいる時間が増えていった。
その頃、ゼインは以前から新しい魔力操作の理論を研究していた。
これまで一つの流れとして扱われていた魔力を、量や速度、経路ごとに分けて制御する方法だった。
成功すれば、魔法に必要な魔力を抑えながら、より安定して発動できるようになる。
しかし、わずかな乱れでも術式は崩れてしまう。
何度試しても、思うような結果にはならなかった。
「また記録が必要ですか?」
「ああ」
「任せてください」
ゼインが実験を行い、イクスが結果を書き留める。
二人は何度も同じ実験を繰り返した。
「三回目と七回目だけ、魔力の乱れ方が違います」
イクスの指摘に、ゼインは記録を見直した。
そして、イクスが手伝い始めてから数か月後。
ゼインが作り上げた術式は、従来より少ない魔力で、安定して魔法を発動させることに成功した。
その理論は魔道具や防御魔法にも応用でき、魔塔内で大きく評価された。
発表を聞いていた魔術師たちは、その成果を否定することができなかった。
それは、公爵家という身分ではなく、ゼイン自身の実力によって生み出されたものだった。
卒業後、二人は正式な試験を経て魔塔に入った。
イクスは、学生の頃から研究を手伝っていたこともあり、配属されたのはゼインの研究室だった。
そして、その翌年。
モーガンは正式に引退を表明した。
新たな魔塔主としてゼインの名が告げられた。
歴代最年少の魔塔主だった。
魔力操作に関する新理論を確立し、いくつもの魔術や魔道具を改良した実績は、誰もが認めていた。
それでも、若さや家柄を理由に、就任を快く思わない者は残っていた。
その光景を見つめながら、イクスは静かに笑った。
(今はまだ認めなくてもいい。ゼイン様なら、きっと実力でみんなを納得させる)
その確信があった。
ゼインの魔塔主就任が済むと、モーガンはゼインに尋ねた。
「補佐は誰にしますか」
ゼインは、迷うことなく答えた。
「イクスでいい」
それを後から聞いたイクスは、『そこはイクスがいいって言ってくださいよ』と笑った。
その日から何年が経っても、イクスは変わらずゼインの隣で働き続けた。
◇◇◇
そして、現在。
イクスは懐かしそうに呟いた。
「ゼイン様、昔は僕のこと無視してましたよね」
「……今も変わらん」
「いやいや、返事してくれてるじゃないですか」
イクスが笑ったその時、扉が叩かれた。
「セリア様がお見えになりました」
ゼインは静かに立ち上がった。
昔なら、誰が来ても書類から顔すら上げなかったのに。
イクスは遠ざかる背中を見つめ、小さく笑った。
(セリア様のことになると、本当に変わりましたね)




