40.
治療を終えると、ゼインは器具を片付けながらセリアに視線を向けた。
「……少し時間はあるか」
「はい」
セリアは頷いた。
ゼインに案内され、二人は魔塔の執務室に向かう。
向かい合ってに腰を下ろしたものの、ゼインはすぐには話し始めなかった。
午後の日差しが、机の上に静かに差し込んでいる。
「この前のことだが——」
「ごめんなさい」
セリアが小さく頭を下げる。
ゼインはわずかに目を見開いた。
「私のせいで……ゼイン様があんな風に言われてしまって」
ゼインは静かに首を振る。
「お前が気にすることじゃない」
「でも……」
「気にする必要はない」
短く言い切ると、ゼインは少しだけ視線を落とした。
「……ああいうことは、昔からあった」
そう口にしたものの、それ以上は続けず、静かに目を閉じる。
脳裏に浮かんだのは、馬車の中で涙を流していたセリアの姿だった。
あの涙を見た時、不思議と昔を思い出した。
幼い頃のオーレリア。
兄が嫌なことを言われるたび、オーレリアは決まって悔しそうに泣いていた。
何度も『気にしなくていい』と伝えた。
それでも涙は止まらなかった。
だが、セリアの涙は少し違っていた。
オーレリアと同じように、自分のために涙を流してくれた。そのことが、どうしても心に残っていた。
だからだろうか。
今まで誰にも話そうと思わなかったことを、話してもいいと思えた。
ゼインはゆっくりと口を開く。
「十歳くらいだった」
セリアは黙って耳を傾ける。
「家庭教師が付き、本格的に魔術を学び始めた頃だ。子ども同士で集まる機会も多かった」
ゼインは懐かしむように遠くを見る。
「今日はこんな魔法を覚えた。昨日より上手くなった。そんなことを見せ合っていた」
少しだけ口元が緩む。
「最初は皆、すごいと言っていた」
だが、その笑みはすぐに消えた。
「成長するにつれて、差は開いていった。誰も俺には勝てなくなった……次第に距離を置かれるようになった」
静かな声だった。
感情を押し殺したような、淡々とした語り口だった。
「十二歳の時、前魔塔主に出会った。魔塔へ来ないかと言われた」
「前魔塔主様……」
セリアが思わず呟く。
ゼインはセリアに視線を向け、静かに頷いた。
「それから、前魔塔主のもとに通うようになった。専門的な魔術書を読むのは面白かった。知らない魔法を学ぶことも、魔力を研究することも。……気づけば魔術そのものが好きになっていた」
ゼインは小さく笑う。
「その頃には、周りはますます俺を恐れるようになっていた。それでも構わなかった」
「……」
「家族もいた。前魔塔主もいた。俺自身を見てくれる人はいたからな」
少し間を置き、続ける。
「自分にとって大切な者が理解してくれていれば、それで十分だ。周りが何を言おうと、気にしないようになった。それに……もう慣れた」
その言葉に、セリアはぎゅっと手を握り締める。
「そんなこと……言わないでください」
ゼインは視線を向ける。
「傷つけられることに、本当に慣れることなんてないと思います」
セリアの瞳には涙が浮かんでいた。
「うまく言えないんですけど……」
少し考えるように俯く。
「十歳や十二歳だった頃のゼイン様の心は……」
ゆっくりと顔を上げる。
「今も、泣いている気がするんです」
ゼインは息をのんだ。
「傷ついたことは、なくならないと思います。だから……」
セリアは優しく微笑む。
「我慢しないでください」
部屋は静まり返った。
ゼインは何も言えなかった。
返す言葉が見つからなかった。
やがてセリアは返事を求めることなく、静かに立ち上がった。
「今日は、お話ししてくださってありがとうございます」
小さく頭を下げ、部屋を後にする。
扉が閉まり、部屋には再び静寂が戻った。
ゼインは一人、ソファに背をあずける。
「……慣れることなんてない」
セリアの言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
慣れた。
そう思っていた。
そう思い込んでいた。
だが——。
十歳の頃の自分は、本当に笑えていただろうか。
初めて、そんなことを考えた。




