28.
玄関の外から馬車が止まる音が聞こえた。
「お父様が帰ってこられました!」
セリアは嬉しそうに立ち上がると、母と一緒に玄関へ向かう。
扉が開き、仕事を終えた父が屋敷に足を踏み入れた。
「ただいま——」
何気なく顔を上げた父は、その場で足を止める。
目の前には、穏やかな笑みを浮かべるセリアが立っていた。
「おかえりなさい、お父様」
その一言に、父はしばらく言葉を失う。
以前は当たり前だった光景。
けれど、長い入院生活の間、それは叶わない日常になっていた。
娘がこうして自分を迎えてくれる。
それだけで胸がいっぱいになる。
「……ただいま、セリア」
ようやく絞り出した声は、少しかすれていた。
セリアは優しく微笑む。
「お仕事、お疲れ様でした」
「ああ。今日は早く帰ってきてよかった」
父は目を細めながらそう答えた。
母がくすりと笑う。
「あなた、立ち話はそのくらいにしてください。せっかくですから、今日はみんなでゆっくり夕食をいただきましょう」
「そうだな」
三人は並んで食堂に向かった。
◇◇◇
食卓には、色とりどりの料理が並んでいた。
湯気の立つシチューに、小さなオムレツ。
どちらもセリアが幼い頃から好きだった料理だった。
どれも料理長が、セリアの体調を考えて用意してくれたものばかりだった。
「わあ……」
セリアは思わず目を輝かせる。
「全部おいしそうです」
「無理はしないでね。少しずつ召し上がってくださいと、料理長が言っておりましたよ」
母の言葉に頷き、セリアはシチューを一口運ぶ。
「……おいしい」
ほっとしたように頬が緩む。
どの料理も少しずつ口に運び、ゆっくりと楽しんだ。
「やっぱり料理長のお料理、大好きです」
その言葉に父も母も嬉しそうに笑った。
「このまま順調にいけば、またいつでも食べられるようになるわ」
母の優しい声に、セリアは何度も頷く。
「はい」
食後には焼きたてのアップルパイが運ばれてきた。
甘く香ばしい香りが広がる。
「アップルパイまで!」
「もちろんです。セリアの大好物ですもの」
一口食べると、懐かしい味が口いっぱいに広がる。
「……おいしいです」
その笑顔を見て、父の表情も穏やかに緩んだ。
食後は応接室に移り、三人で温かい紅茶を飲みながら今日の出来事を話した。
セリアは昼間のことをゆっくりと話していく。
フレディに自分の気持ちを伝えたこと。
オーレリアが婚約解消を告げたこと。
話し終えると、少し不安そうに俯いた。
「もし……侯爵家から何か言われたら……」
父は穏やかな表情でセリアを見つめる。
「心配しなくていい」
「あなたは勇気を出して、自分の気持ちを伝えただけよ」
母も優しく微笑む。
「私たちがいるわ」
二人の迷いのない言葉に、セリアの表情も自然と和らいだ。
「……ありがとうございます」
その後もしばらく三人で他愛のない話を続け、穏やかな時間はあっという間に過ぎていった。
部屋に戻ると、セリアはベッドに寝転んだ。
「今日は、本当にあっという間だったなぁ」
窓の外では、庭が月明かりに照らされている。
「明日の朝は、少しだけお庭を歩いてみよう」
そんな小さな楽しみを思い浮かべながら、セリアは静かに目を閉じた。
◇◇◇
その日の夜。
ゼインとイクスはオーレリアから話を聞くために、公爵邸を訪れていた。
「今日だったな」
ゼインが静かに口を開く。
オーレリアは頷いた。
「ええ。今日、フレディ様とお話をしました」
その一言で、部屋の空気が少しだけ引き締まる。
ゼインは妹の表情を静かに見つめた。
婚約が決まった日から、オーレリアを見てきた。
約束を楽しみにしていたことも、少しずつ笑顔が減っていったことも知っている。
だからこそ、今の妹がどう思っているのか気になっていた。
「……どうだった」
オーレリアは少し考え、ふっと笑った。
「不思議なくらい、すっきりしています」
その表情に無理はなかった。
「言いたいことは、全部伝えられましたから」
「そうか」
ゼインは短く頷いた。
その横で、イクスが肩をすくめた。
「よく冷静に話せましたね。僕なら、もう少しきついことを言っていたかもしれません」
「イクス」
「冗談ですよ」
オーレリアは苦笑すると、思い出したように続けた。
「でも、一番ショックを受けていたのは、セリア様の言葉だったみたいです」
「セリア様?」
「『迷惑でした』って、はっきりおっしゃっていましたから」
思い返すと、その時のフレディの表情があまりにも驚いていて、オーレリアは思わず小さく笑ってしまった。
「本当に信じられない、という顔をしていました」
イクスもつられて笑った。
「それは効きますね」
ゼインはそこで初めて顔を上げた。
「……彼女もいたのか」
「ええ。一緒に話をしに来てくださいました」
ゼインとイクスは顔を見合わせた。
「体調はどうだった?」
ゼインの問いに、オーレリアはすぐ答えた。
「大丈夫そうでした。少し緊張はしていましたけれど、帰る頃には落ち着いていましたよ」
その言葉を聞き、ゼインはわずかに肩の力を抜いた。
イクスはそんなゼインの横顔を見て、わずかに口元を緩めた。
「じゃあ、明日療養院へ戻られた頃に、僕が様子を見に行きましょうか」
「仕事があるだろう」
「午前中は忙しいですけど、夕方なら大丈夫ですよ」
ゼインは少しだけ考え、静かに口を開く。
「……勝手にしろ。ただし、長居はするな」
そう言うと立ち上がり、そのまま応接室を後にした。
扉が閉まると、イクスはオーレリアと顔を見合わせた。
「素直じゃありませんね」
「昔からです」
二人は小さく笑った。




