27.
公爵邸に到着すると、オーレリアが待っていた。
「セリア様」
「オーレリア様」
二人は笑顔で挨拶を交わす。
「体調はいかがですか?」
「はい。先生から許可をいただいて、無事に外泊できました」
「それは本当によかったです」
オーレリアは心から嬉しそうに微笑んだ。
「療養院ではなく、お家でセリア様にお会いできるなんて、不思議な気分ですね」
「私もです」
セリアも自然と笑みを浮かべる。
「どうぞ、中へ」
二人は並んで屋敷の中に入った。
応接室に案内されると、一人の男性が立ち上がり一礼する。
「こちらは公爵家お抱えの医師です」
オーレリアが紹介した。
「念のため、待機していただいています」
「ありがとうございます」
セリアは少し申し訳なさそうに頭を下げた。
「気になさらないでください」
医師は穏やかに微笑む。
「万が一に備えるのも、私の仕事ですから」
安心したようにセリアも微笑み返した。
医師は一礼すると、隣の部屋に下がった。
応接室の扉のそばには、公爵家の護衛が二人控えていた。
しばらく二人で他愛のない話をしていると、部屋の扉が叩かれた。
「フレディ様がお見えになりました」
使用人の声に、部屋の空気が静まり返る。
「お通しして」
オーレリアの言葉に続いて、扉が開く。
「オーレリア、話って——」
部屋に入ってきたフレディは、ソファに座るセリアを見た瞬間、目を見開いた。
「セリア!?」
驚いた表情のまま、駆け寄ろうとする。
「待って」
オーレリアの落ち着いた声が響いた。
「まずは席に座ってください」
「でも、セリアが——」
「座ってください」
もう一度静かに告げられ、フレディは戸惑いながらも向かいのソファに腰を下ろした。
重苦しい沈黙が流れる。
セリアは膝の上で手をぎゅっと握り締め、小さく息を吸った。
「今日は……私から、お話があります」
震えそうになる声を必死に押さえながら、フレディを見つめる。
「今まで、私のことを心配してくださったことには感謝しています」
フレディの表情が少し和らぐ。
「ほら、やっぱり——」
「ちゃんと聞いてください」
セリアは勇気を振り絞って言葉を重ねた。
フレディは口を閉じる。
「でも……フレディ様は、一度も私の気持ちを聞いてくださいませんでした」
「そんなことは——」
思わず口を開きかけたフレディを、オーレリアが静かに見つめる。
その視線に気付き、フレディは言葉を飲み込んだ。
セリアはゆっくり続ける。
「私はいつも帰ってほしいと思っていました。体調が悪くても、フレディ様のお話を聞き続けるのは苦しかったです。それに、先日のお菓子のことも……私は本当に怖かったです」
一つひとつ、胸の奥にしまい込んでいた言葉を口にする。
「でも……はっきり言えませんでした。侯爵家の方に失礼なことはできませんでしたから」
フレディは信じられないという表情を浮かべた。
反射的に口を開きかける。
相手の話を聞けと諭した父の姿が頭をよぎった。
それでも耐えきれず——。
「違うよ、セリア。僕は君のためを——」
「私には、迷惑でした」
その一言で、部屋の空気が止まった。
「……え? 迷……惑?」
フレディの口から、小さな声が漏れる。
「善意だったことは分かっています。でも、私には苦しかったんです。もう……」
セリアは大きく息を吸い、震える声を抑えながら言った。
「もう、私のところへ来ないでください」
言い終えた瞬間、張りつめていた力が抜ける。
セリアは大きく息をついた。
そんな彼女の肩にオーレリアがそっと手を添える。
何も言わず、その温もりだけで『よく頑張りました』と伝えるように。
オーレリアは一度だけセリアに優しく頷いた。
それから呆然としたまま動けないフレディを見つめ、静かに口を開いた。
「次は、私です」
フレディはゆっくりと視線を向ける。
「私は、あなたとの婚約を解消することに決めました」
その言葉にも、フレディはすぐには反応できなかった。頭の中では、まだセリアの言葉が何度も繰り返されていた。
『私には、迷惑でした』
『もう、私のところへ来ないでください』
そんなはずはない。
ずっとセリアのためを思ってきた。
喜んでくれていると信じていた。
「……フレディ様」
オーレリアの声に、ようやく意識が引き戻される。
「私たちの婚約は、両家の話し合いで決まったものでした。正直に申し上げれば、不安もありました。ですが、あなたは優しい方なのだと思い、この婚約を前向きに受け入れようとしていました」
フレディは何も答えない。
「けれど、約束が守られなくなり、何度も続くようになりました」
オーレリアは静かに続けた。
「それでも私は、あなたを責めませんでした。きっと何か事情があるのだと思い、いつか分かり合えると信じていたからです」
フレディは視線を落とした。
「ですが、お話をしようとしても、あなたは『セリアが心配だから』と言うばかりで、私と向き合おうとはしてくださいませんでした」
オーレリアは一度だけ目を伏せる。
「ですが、セリア様から療養院でのことを聞き、その考えは変わりました。そして、セリア様を危険な目に遭わせたこと。結果がどうであれ、あってはならないことです」
応接室は静まり返っていた。
「私は、生涯を共にする相手として、あなたを信頼することができません」
真っすぐにフレディを見つめる。
「ですから、この婚約を解消します」
長い沈黙が流れる。
ようやく顔を上げたフレディは、信じられないというように首を振った。
「違う……そんなことより……」
その視線は、オーレリアではなくセリアへ向けられていた。
「セリア……本当に、迷惑だったの? 僕はずっと……君のために……」
その声は震えていた。
オーレリアは静かに立ち上がる。
「話は終わりです」
その言葉が応接室に静かに響いた。
「違う……君はそんなこと思っていなかった」
フレディはなおも何かを言おうと立ち上がる。
しかし、控えていた護衛が静かに前に出た。
「フレディ様」
その声に、フレディはゆっくりと振り返る。
「本日はこれでお帰りください」
「待ってくれ。僕はまだ——」
「旦那様のご指示です」
護衛は丁寧ながらも、有無を言わせぬ口調で告げた。
フレディは何度もセリアに視線を向ける。
何か言いたげに口を開いては閉じ、結局何も言えないまま護衛に促されて応接室を後にした。
扉が閉まると、部屋は静かな空気に包まれる。
オーレリアは小さく息を吐いた。
「……すっきりしました」
その一言に、セリアは思わず笑みをこぼす。
「私もです」
二人は顔を見合わせる。
次の瞬間、どちらからともなく小さく笑い出した。
その笑顔は、これまでで一番晴れやかなものだった。
ずっとしまい込んでいた想いを、ようやく言葉にできた。
セリアは、心を覆っていた重いものが消えていくのを感じた。




