2.
「では、胸の苦しさは昨日より少し落ち着いていますね」
診察室で主治医はカルテに視線を落としながら穏やかに言った。
セリアは小さく頷く。
「はい。少し眠れました」
「熱も下がっています。このまま無理をせず、ゆっくり過ごしてください」
「ありがとうございます」
診察は終わったものの、主治医はどこか言いづらそうな表情を浮かべていた。
「……昨日もフレディ様がお見舞いに来られたそうですね」
その言葉に、セリアは困ったように笑う。
「はい……」
「長い時間いらっしゃったとか」
「心配してくださっているだけですから」
自然とそう答えてしまう。
主治医は小さくため息をついた。
「本来でしたら、患者様の体調を優先して面会時間を制限するべきなのですが……申し訳ありません」
セリアは慌てて首を横に振った。
「先生が謝ることではありません」
「ですが」
主治医は少し声を落とす。
「バーク侯爵家は、この王立魔法療養院へ長年多くの寄付をしてくださっています。療養院としても、あまり強くは申し上げられないのです」
「……そうですね」
セリアもその事情は知っていた。
だからこそ、先生たちを責めることはできなかった。
分かっているから、余計につらかった。
「何かありましたら、すぐに私に知らせてください」
「はい」
診察室を出ると、セリアはゆっくりと廊下を歩き始めた。
病室に戻る途中、中庭が見えた。
大きな噴水の周りには色とりどりの花が咲き、患者たちが思い思いに過ごしている。
車椅子で読書をする少年。
木陰で家族と談笑する女性。
小さな子どもたちは魔法でふわりと浮かぶシャボン玉を追いかけ、楽しそうな笑い声を響かせていた。
ここは王立魔法療養院。
魔力に関わる病を抱えた者たちが治療を受ける場所だ。
長く入院する患者も多く、セリアも幼い頃から何度もここで過ごしてきた。
「セリア様!」
明るい声に振り返ると、看護師が数人駆け寄ってくる。
「昨日は大丈夫でしたか?」
「はい。ご心配をおかけしました」
「こちらをどうぞ」
小さな袋を差し出される。
「これは?」
「フレディ様がお持ちくださった焼き菓子です」
「看護師の皆んなにもたくさんくださって。セリア様の分も取っておいたんですよ」
袋の中には可愛らしく包まれた焼き菓子が入っていた。
「ありがとうございます」
「フレディ様、本当にお優しいですよね」
「いつもセリア様のお見舞いに来てくださって」
「羨ましいです」
看護師たちは楽しそうに笑う。
セリアも笑顔を作った。
「そうですね」
それ以上は何も言えなかった。
◇◇◇
病室へ戻ると、セリアはベッドに横になり、小さく息をつく。
机の上に置いた焼き菓子をぼんやりと眺める。
みんなフレディを優しい人だと言う。
それは間違ってはいない。
病気になってからも、ずっとお見舞いに来てくれた。そのことだけは本当にありがたかった。
でも——。
「……このままじゃ駄目。ちゃんと伝えなくちゃ」
小さく呟く。
昨日もフレディはオーレリアとの約束を断ってここに来た。
一度や二度ではない。
何度も、何度も。
侯爵家と公爵家の婚約。
そんな大切な約束を、自分のせいで壊してしまっている。
もし公爵家が怒ってしまったら、子爵家であるホワイト家にできることなど何もない。
考えれば考えるほど、不安になった。
コンコン。
病室の扉が叩かれる。
「お母様」
入ってきた母は優しく微笑みながら椅子に座った。
「今日は顔色がいいわね」
「うん」
少しだけ他愛のない話をした後、セリアは思い切って切り出した。
「ねえ、お母様」
「どうしたの?」
「フレディ様に……もう少しお見舞いを控えていただくようお願いできませんか?」
母の表情が曇る。
「……難しいわ。あなたのお父様も話そうとはしたのよ」
「そうなのですか……」
「我が家から侯爵家へお願いするのは簡単ではないの」
静かな声だった。
母も困っているのが伝わってくる。
「力になれなくて、ごめんなさいね」
「ううん……」
母を責める気持ちなどなかった。
むしろ、自分のせいで頭を悩ませていることが申し訳ない。
母が帰り、一人になった病室は静かだった。
セリアは窓の外を見つめる。
「私が何とかしなくちゃ」
フレディ様に言ってもきっと伝わらない。
なら、婚約者であるオーレリア様に事情を知っていただくしかない。
そうしなければ、もっと多くの人に迷惑をかけてしまう。
セリアは何度も深呼吸を繰り返し、震える手で便箋を取り出した。
ペンを持つと、一文字ずつ丁寧に書き始めた。
『オーレリア様へ』
それは、セリアが初めてフレディの婚約者へ宛てた手紙だった。




