16.
その日の夜。
セリアはゆっくりと目を開けた。
部屋の中は薄暗く、窓から月明かりが差し込んでいた。
「起きたか」
聞こえてきた低い声に、セリアはゆっくり顔を向けた。
「ゼイン様……?」
椅子に腰掛けていたゼインが静かに立ち上がる。
「主治医から連絡を受けた。熱が出たと聞いてな」
セリアは申し訳なさそうに微笑んだ。
「わざわざ来てくださったんですか?」
「ああ」
ゼインは短く答える。
「体調はどうだ」
「昼よりは……楽になりました」
まだ少し熱は残っている。
それでも昼間のような息苦しさはなかった。
ゼインはそっとセリアの額に手を当てる。
「熱はまだあるな」
「はい……」
セリアは俯いた。
「ごめんなさい」
小さな声だった。
「せっかく治療していただいたのに……」
ぎゅっと布団を握りしめる。
「体が楽になったのが嬉しくて……」
声が震える。
「無理するなと言われていたのに、守れませんでした」
胸の奥に溜め込んでいた思いがあふれ出す。
「私が浮かれてしまったから……」
ぽろり、と涙が頬を伝った。
ゼインはしばらく黙っていた。
そして静かに口を開く。
「事情は聞いている」
その一言に、セリアはゆっくり顔を上げた。
「お前だけの責任ではない」
優しくも厳しくもない。
ただ事実を告げるような声だった。
それでも、張り詰めていた糸が切れたように、涙が次々とあふれてくる。
「うっ……ごめんなさい……」
「泣くな」
ゼインはセリアの手にそっと自分の手を重ねた。
温かな魔力が静かに流れ込む。
「感情が乱れると魔力も乱れる」
その言葉を聞いて、セリアは何度か深呼吸を繰り返した。
少しずつ呼吸が整っていく。
病室には静かな時間だけが流れる。
どれくらい経っただろう。
セリアの呼吸が完全に落ち着くまで、ゼインは黙ってその手を包んでいた。
「……もう大丈夫です」
「そうか」
それでもゼインはすぐには手を離さなかった。
その温もりに不思議と安心できた。
セリアも何も言わず、そのまま身を任せる。
やがてゼインはゆっくりと手を離した。
「今日は休め。明日の治療は予定どおり行う」
「はい」
セリアは素直に頷く。
「今日は、本当にありがとうございました」
ゼインは小さく頷き、病室の扉に向かった。
扉を開ける直前、ふと立ち止まる。
「無理をしたくなる気持ちは分かる」
静かな声だった。
「だが、焦る必要はない」
そのまま振り返ることなく続ける。
「少しずつでいい」
そう言い残し、ゼインは静かに病室を後にした。
一人になった病室で、セリアは自分の手をそっと見つめる。
そこにはもう誰の手もない。
それなのに、まだ温もりだけは残っているような気がした。
「……ずるいです」
小さく呟くと、自然と笑みがこぼれた。
その夜のセリアは、久しぶりに穏やかな気持ちのまま眠りについた。
◇◇◇
翌朝。
ゼインは主治医とイクスとともに、療養院の院長室を訪れていた。
院長はゼインを見るなり静かに頭を下げる。
「お待ちしておりました」
ゼインは椅子に座ることなく口を開いた。
「昨日の件は報告を受けた」
「はい」
院長も表情を引き締める。
「申し訳ございませんでした。昨日は主治医が退室を求めたことで帰られましたが、これまでも同様のことが繰り返されていました」
ゼインは黙って話を聞いていた。
「このまま繰り返せば、次は命に関わる」
静かな声だった。
しかし、その一言だけで部屋の空気が張り詰める。
「治療責任者として、フレディ・バークの面会禁止を求める」
「承知いたしました。今後、面会は一切認めません」
院長はゆっくり頷いた。
「全職員に徹底しろ。同じことは二度と起こさせない」
「かしこまりました」
院長は深く頭を下げた。
ゼインは隣に立つイクスに視線を向ける。
「イクス」
「はい」
「バーク侯爵家にも正式に連絡しろ。今回の件と、今後は面会を認めないことを伝える」
「承知しました」
イクスは真剣な表情で頷いた。
それだけ確認すると、ゼインは院長室を後にした。
◇◇◇
その後。
朝の診察で熱が下がっていることを確認し、二回目の治療が行われることになった。
セリアは少し緊張した面持ちでベッドに横になる。
ゼインは隣に立った。
「体調は」
「もう大丈夫です」
セリアは小さく笑う。
「昨日は来てくださってありがとうございました」
「気にするな」
短く答え、ゼインは手をかざした。
「始める」
最初は魔力放出。
体に溜まった魔力がゆっくりと抜けていく。
「……っ」
何度経験しても楽な痛みではない。
それでも前より呼吸は落ち着いていた。
「ここからだ」
回路に魔力が流れ始める。
「っ……!」
押し広げられるような鋭い痛みに、体に力が入った。
額に汗が浮かび、苦しそうに息を吐いた。
「はぁ……っ」
ゼインはセリアの表情を見つめながら、慎重に魔力を流していった。
前回より、ほんのわずかだけ長く。
しかし無理はしない。
十分だと判断すると、すぐに魔力を止めた。
「終わりだ」
セリアは大きく息を吐き、力が抜けるようにベッドに身を預けた。
全身に疲労は残り、息も乱れている。
それでも前回ほどの恐怖はなかった。
ゼインは主治医に小さく頷く。
「予定どおり進んでいる」
「はい」
主治医も安堵したように微笑んだ。
ゼインは再びセリアに視線を向ける。
「前回より長く耐えられた」
セリアは驚いたように目を瞬かせる。
「本当ですか?」
「ああ」
短く頷く。
「順調だ」
セリアはほっと息をつく。
ゼインはしばらくセリアを見つめる。
「……よく頑張った」
その言葉に、セリアは嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
疲れているはずなのに、その笑顔は昨日よりもずっと明るかった。




