13.
同じ日の午後。
キャンベル公爵家の応接室では、オーレリアがフレディを待っていた。
ほどなくして、執事が扉を開く。
「フレディ様がお見えです」
「通してちょうだい」
「失礼するよ」
フレディはいつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべ、部屋に入ってきた。
「お越しいただき、ありがとうございます」
「話があると聞いたけれど、どうしたんだい?」
向かい合って席に着く。
「先日、セリア様のお見舞いに行かれたそうですね」
「ああ」
フレディは頷いた。
「話している途中で、セリアが少し体調を崩してしまってね」
オーレリアは静かに尋ねる。
「何かあったのですか?」
「大したことじゃないよ」
フレディは苦笑する。
「君がセリアに何か言ったんじゃないかって聞いたら、すごい勢いで否定されてしまって」
「私が?」
思わず聞き返す。
「うん。『オーレリア様はそんな人じゃありません』って」
フレディは困ったように笑った。
「最後まで君を庇っていたよ」
オーレリアは一瞬言葉を失う。
セリアが自分のために、そこまで声を上げてくれたことが胸に沁みる。
「それで?」
努めて冷静に尋ねる。
「そのあと少し興奮してしまってね。体調を崩したんだ」
「そうだったのですね……セリア様がそこまで声を荒らげるほど、何度も同じことを聞かれたのですか?」
「そんなに何度も聞いたかな」
オーレリアは小さく息を吐く。
セリアが自分を庇ってくれたことは嬉しかった。
だが、それ以上に気になったことがある。
「フレディ様」
「ん?」
「どうして、私がそのようなことを言ったと思われたのですか?」
フレディは不思議そうに首を傾げた。
「だって、君は嫉妬していただろう?」
あまりにも自然に言われ、オーレリアは静かに目を伏せた。
「……違います。私は一度も、セリア様に嫉妬していると申し上げていません」
そう答えても、フレディは『そうかな』と笑うだけだった。
「私が問題にしているのは、セリア様が休みたいと伝えても、あなたが聞き入れないことです。セリア様の体調が安定するまで、お見舞いは控えていただけませんか」
「僕が行かなければ、セリアが寂しがる」
しばらく沈黙が流れた。
やはり、伝わらない。
その時だった。
「失礼いたします」
侍女が新しい紅茶を運んできた。
オーレリアとフレディの前で一礼し、銀のポットを持ち上げる。カップに紅茶を注ごうと傾けた、その瞬間だった。
「きゃっ……!」
ポットの持ち手が大きく揺れた。
侍女の手から滑り落ちかけたポットが、テーブルの縁にぶつかる。熱い紅茶がこぼれ、白いクロスの上に広がった。
「申し訳ございません!」
侍女は慌ててポットを置き、青ざめた顔で深く頭を下げた。
オーレリアはすぐに立ち上がる。
「火傷はありませんか?」
「は、はい。手にはかかっておりません」
「本当に?」
「大丈夫でございます」
侍女の手に異常がないことを確認し、オーレリアは小さく息を吐いた。
「それならよかったわ。新しい紅茶は後で構いません。まずはこちらを片付けてください」
「かしこまりました。本当に申し訳ございません」
震える手でポットを持ち上げようとした侍女を見て、オーレリアは眉を寄せた。
「少し待って」
ポットの持ち手に目を向ける。
「先ほど、持ち手が動いていませんでしたか?」
「え……」
侍女も戸惑いながら確認する。
持ち手を軽く動かすと、付け根の部分がぐらりと揺れた。
「緩んでいるわ」
「そんな……」
侍女の顔からさらに血の気が引く。
「使用する前に確認できず、申し訳ございません」
「あなたの責任だと決まったわけではありません」
オーレリアは落ち着いた声で告げた。
「いつから緩んでいたのか、ほかのポットにも同じ不具合がないかを確認する必要があります。今日はこのポットを使わず、責任者に渡してください」
「かしこまりました」
「ほかの給仕道具も調べてもらいましょう。次は誰かが火傷をするかもしれませんから」
「すぐにお伝えいたします」
侍女は何度も頭を下げた。
その様子を見ていたフレディが、穏やかに笑った。
「そんなに大ごとにしなくてもいいんじゃないかな」
オーレリアは彼に視線を向ける。
「大ごと、ですか?」
「今回は誰も怪我をしなかっただろう?」
フレディは侍女を安心させるように微笑んだ。
「誰にでも失敗はあるよ。気にしなくていい」
侍女は困ったようにオーレリアとフレディを見比べた。
「失敗を責めているわけではありません」
オーレリアは静かに答えた。
「今回こぼれたのは、侍女が不注意だったからではなく、道具に不具合があったからです」
「だったら、なおさら彼女のせいじゃないだろう?」
「ええ。ですから、原因を確認しているのです」
フレディは不思議そうに首を傾げる。
「同じ道具を使い続ければ、次は誰かが火傷をするかもしれません。持ち手が外れれば、もっと大きな事故になる可能性もあります」
「でも、そこまで心配しなくても」
「何も起こらなかったからと見過ごせば、同じことを繰り返します」
オーレリアは穏やかな口調のまま続けた。
「失敗した人を責めないことと、原因を確かめないことは別です」
フレディはわずかに目を瞬かせたが、すぐにいつもの笑みを浮かべた。
「オーレリアは真面目だね」
軽く笑いながら肩をすくめる。
「……本当に、それでよいとお考えなのですか?」
「もちろん」
迷いのない返事だった。
オーレリアは、それ以上何も言わなかった。
小さな異常を見つけても、誰かを責めなければそれでいい。次に起こるかもしれない事故については考えない。
その場で優しい言葉をかけることだけが、フレディにとっての解決なのだ。
侍女は壊れたポットを持ち、静かに部屋を出ていった。
応接室には、先ほどまでとは違う重苦しい沈黙が残った。
◇◇◇
フレディが帰った後、オーレリアは一人、窓の外を眺めていた。
(優しい人だと思っていた)
困っている人を助ける。
失敗した人を責めない。
それは間違いなく長所だ。
(私は、優しいという言葉だけで、考えることをやめていたのかもしれない)
休暇に入ってから、フレディは侯爵家の跡継ぎとして必要な勉強を始めたと言っていた。
領地のこと。
領民のこと。
家臣のこと。
そのすべてを背負う立場になる。
小さな失敗の原因さえ確かめず、『許せばいい』と笑って済ませる人に、多くの命と暮らしを預けられるのだろうか。
(本当に務まるのかしら)
その不安が、胸の中で少しずつ大きくなっていく。
そして、もう一つ。
(侯爵様は、フレディ様のこうした一面をご存じなのかしら)
もしご存じなら、どうお考えなのだろう。
オーレリアは静かに紅茶に視線を落とした。




